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ポジ熊の人生記

雑記ブログの育て方をメインコンテンツに、時事オピニオンや書評などを日々更新中です。

「どこが悪かったか言ってみろ」時代遅れの教育指導~後悔ではなく自省を促そう

社会 社会-人間関係


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後悔させるような指導はするな!

職場の若者が壊れていきます。上司や先輩の指導により、精神を病んで出勤できなくなる事態に陥っているのです。そこには、強烈なネガティブフィードバックがありました。

「どこが悪かったか言ってみろ」

このように、ぶしつけに言うのです。若者は何かしら、上司や先輩にとって思わしくない行動を取った、または失敗した。これは紛れもない事実なのですけど、その後の叱り方が問題なのですよね。

 

どうですか、みなさんなら、自分が何らかの失敗をしたとして、このように指導されたいでしょうか?僕は御免です。「どこが悪かったか」などと言われれば、「自分は悪いことをした」ということを前提として話を聞かないといけない。

 

失敗したのは確かでしょうけど、過去の失敗を省みるにあたって、思わしくないメンタルで臨まなければいけません。自分は駄目な人間である、という自尊心の毀損に直結してしまうのです。 

 

理想的には「あの時の失敗はこれが原因だ、ならば次からはこうしよう」ではないですか。前向きにならねばいけません。甘やかすというわけではないのです。失敗を放置するのは、会社のためにも若者のためにも良くない。しかし、相手を攻め立てるようなネガティブな指導は、もはや時代遅れなんですよね。

 

昔は通用したのかもしれない

通用というのは、被指導側が「壊れない」という意味です。どうして昔はネガティブフィードバックでも上手くいったのかは自信を持って言えないのですが...おそらくその頃は、そのような指導をされても若者の自尊心は壊れにくかったのでしょう。「何をこのやろう!」なんて、跳ね返った精神でも、向上していくことができたのかもしれない。

 

ですが、今の若者は脆いです。自分を否定されるようなことを言われれば、瞬く間に足元がぐらついて精神を病んでしまう。世間一般的な幸せの基準が抽象的に、おぼろげになってしまっているからこそ、自分の存在意義を見出すことが難しくなっているのかもしれません。兎にも角にも、脆いんですよね。

 

「弱いやつは淘汰されるべきだ!」なんて断じるのは難しくないのですが、それではせっかく芽が出るかもしれない若き可能性を摘むことになりかねない。人材育成というのは、その時代、相手に応じたものでなければいけないのです。相手が脆いからといって、その脆さに上手くいかない根源を見出すことは、盲目になっているといわざるを得ません。

 

悪の社労士を思い出す

www.pojihiguma.com

 

社員を鬱へ追い込むための教唆を、管理者に行った悪の社労士を話題にした記事です。この中で興味深いのは「人間は後悔すればするほど、鬱になりやすい」という部分ですね。これを悪用して、件の社労士は解雇したい社員に対して、失敗をノートに記録するよう指導したそうです。とんでもない話ですよ。

 

ここで、今回の「どこが悪かったか言ってみろ」というフレーズを思い出してみましょう。これって、相手に後悔させるような言い回しに聞こえませんか?「お前は悪いことをしたんだよ、それを思い出せ」って、これは後悔しろと言わんばかりのニュアンスではないですか?

 

若者を鬱に追い込んでいるに等しいのですよ、こういう指導は。相手に後悔をさせてはいけないのです。省みさせることは必要です、同じ失敗を繰り返さないためにも。ですが、そのような前向きな気持ちを引き起こすためには、言い方というものを考えないといけない。そうじゃなければ、知らずのうちにネガティブフィードバックで鬱の若者を量産する害悪になりかねないのです。

 

前向きな指導を是としよう

僕なら、若者が失敗してもそのことに気づいてない時には、こう切り出します。

 

「さっきの件なんだけど、僕はこうしたほうがいいと思うんだ。理由は○○だから。君はどう思う?」

 

経験上、自分のほうが仕事をしっているし、失敗についてリスクが大きいことも理解している。それに加えて、どうしてそれがいけないのかを理由をつけて理解させる工夫をするのです。その上で、相手がどう思うかを聞き出す。この時点で気がつかないようならば、さらに優しく掘り下げて教える必要があると思います。が、気づかせるような言い回しができるかどうかも、自分の手腕にかかってくるのでしょうし、一発目でしっかりとそれが「失敗である」ということを理解してもらう努力は必要でしょうね。

 

ここで相手が「あっ」と気がついて、自分のしたことが失敗であると気づければしめたもの。そうなればこちらが提示した理想的なやり口を、その人が学んでくれることを祈りましょう。次回にそれが活かされていれば、指導は成功したといえます。

 

罪を憎んで人を憎まず

理想論なのですけれども、大事なことだと思います。人間ですし、若者のどうしようもない失敗に腹が立つこともあるでしょう。ですが、基本にこれを据えることは悪いことではありません。失敗を見つめても、その人の人間性を貶める必要はないのです。人格否定なんてもってのほかですよ。「お前は駄目なやつなんだ」なんて、愚の骨頂です。それで相手が良くなるかどうか、考えてみればわかることでしょう。これはご法度です。

 

後悔させるような、自尊心をえぐるような指導は時代遅れのやり方です。

 

もし、未だにこのような指導を繰り返して若者を精神的に追いやっている人がいるのなら、考え直したほうがいいと思います。それって、自分が納得できない稚拙な内面を相手にぶつけて、憂さ晴らししているだけではないですか。そんな指導法で、事態が改善するのでしょうか。効果判定を含め、相手に合った指導法を模索しなおすべきです。

 

ーー

 

僕は根性系なので、やられればやられるほど燃えるタイプなのですが、こういう人ばかりではないのです。メンタルをやられて、ドロップしそうになっている若者の話を聞くたびに、心が痛みますよ。

 

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