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ポジ熊の人生記

雑記ブログの育て方をメインコンテンツに、時事オピニオンや書評などを日々更新中です。

他人と比べて不幸せを感じてしまう人へ

心-助言


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嫉妬は良くないですよ

「絶対的幸福感」について

「他人や同期と比較して焦るな、戦う相手は己自身であることを知れ」追記

「彼女いない結婚できないって、いつまで周りと比べて消耗しているのか」追記

絶対的幸福感

幸せとは何だろう?

幸福(こうふく、希: εὐδαιμονία、羅: felicitas、英: happiness)とは、心が満ち足りていること。 幸せとも。 人間は古来より幸福になるための方法に深い関心を寄せてきた。

幸福 - Wikipedia

 

古来より数多の哲学者が人間にとっての幸せを探求し、希求し、それぞれがそれぞれの理論を展開しています。

 

ソクラテス:生きることよりもよく生きること

アリストテレス:ほかの手段に変えられぬ最高目標

 

などと宣ったようであります。

 

さて、今回は管理人が幸福について述べてみるとしましょう。

 

絶対的幸福感は真理

 

この感情はどこから湧いてくるのか。それは、他者との比較においてではないでしょうか。

 

「結婚できて羨ましい」「彼女がいて羨ましい」「子供がいて羨ましい」

 

世の中には無限の「羨ましい」が転がっています。このハードルを超え、他者との比較において自分が勝ることを証明したとき、一過性の幸せを得たような気持ちになります。

 

ですが、こ幸福感は錯覚なのです。すぐに次の羨ましいが首をもたげます。

 

最近では、「他者との比較による幸福の追求というものは際限がありません。いかに自分の中に幸せを見つけるかが真理!」的な自己啓発本が多いですよね。言ってることは間違ってませんね、簡単ではないだけで。

 

人間にはすごい能力があって、幸せを自分の中に感じることができるのです。誰しもできる訳じゃないのですけども。

 

以後、自分の中にある幸せを感じる能力を「絶対的幸福感」とします。

 

凄く難しいんですね、これを身に着けるということは。このような境地に達している人は少数派かもしれません。

 

幸せへの3STEP

難しいとはいえ、目指したいですよね。自分の中にある幸せを感じ取り、人を羨まない生活。これは誰にでも持つことができると私は信じています。

 

ステップアップが肝心です。いきなりこの境地に達する魔法は無い。少しずつ、心を醸成させていく必要があります。

 

では最初のステップを。

 

①自分の心に「人と比べない」という原則を抱く

まずはここから。

 

「羨ましい。なぜ私だけこんなに孤独なの。」

 

から

 

「あの人たちと私は別。羨ましいとは思わない。」

 

へ。心がけで変えていきます。

 

②「自分にはこんな素晴らしいものがある」というものを見つける

(例)

仕事をして食い扶持を稼いでいる

両親が健在である

帰る家がある

友人や、自分を気にかけてくれる人がいる

健康である

 

何でも良いのです。自分にはこんなに素晴らしいものがあるんだ、という意識を持ちましょう。究極かもしれませんが、中には今日も朝が来た、なんて自分は幸運なんだろう。なんて境地に達する人もいます。

 

私の目指す域はここですが、難しいです(;´∀`)

 

ポイントは、自分の現状からしっかり探すこと。無いものをねだる気持ちは捨てましょう。

 

「いいところがない」という人は、「いいところを探す目的がない」のでしょう。「ない」と決めつけている、とも言えます。今を頑張らないために、いいところを見つけようとしない人生のウソをついています。

 

③自分の中の素晴らしいものを大切にする

②の内容で当てはめてみます。

 

仕事をして食い扶持を稼いでいるその仕事を一生懸命こなしたり、スキルアップを図る。

 

両親が健在である元気なうちに、しっかり親孝行する。

 

帰る家がある家の掃除をして、より帰りたい家にする。

 

友人や、自分を気にかけてくれる人がいるその人たちがピンチの時は、積極的に力になる。

 

健康である不摂生を正し、健康を維持する。

 

 

自分の中の大切なものを磨けば磨くほど、それらは輝きます。そして、人を羨む気持ちは次第に薄れていくでしょう。この3STEPをしっかりと意識し、実践する。それが「絶対的幸福感」を身に着けるための道だと私は確信しています。

 

経験不足故の「羨ましい」

人の持っているものを「羨ましい」と思ってしまう人の心理に強く作用している要素。それはおそらく「経験不足」です。

 

例えば、結婚を1度経験している人は、結婚の良し悪しを経験として知っている。だから、ほかの人が結婚しても「羨ましい」とはならないのです。

 

恋人の場合はどうでしょう。よほどの美男美女を羨むケースは置いといて、1度でもまともに異性とお付き合いを経験した人なら?他人の浮いた話に強烈な羨望は抱かないと思います。

 

このような経験不足からくる羨望の感情というのも事実としてありそうです。なので、思い切って経験してみること。これも「羨ましい」呪縛から逃れる1つの方法なのかもしれません。

 

案ずるより産むが易しとも言います。未経験なことで二の足を踏んでないで、思い切って失敗でもすれば良いのですw

 

難しいけど意識しなければ考えが構築されない

絶対的幸福感なんて理想論で、現実は厳しいと考えている人も多いかもしれないですが、まずは「考える」ことから始めないと、そもそも「始まらない」ですよ。

 

社会で生きていく以上は、今回の理論がいかに絵に描いた餅に近いかは僕が良くわかっているのですよ。だからといって、真理が曲がるわけじゃないのです。

 

理想とは解離した人間関係の摩擦で辟易することもあろうかと存じますが、まずは「考え」ましょうよ。幸せは自分の中にあるんだって、考えましょう。それこそが真理なのです。考え続けることで、少しずつでもそこへ近づいていけますよ。

 

人を羨ましがることがあっても、「あ、また羨ましがってる」くらいに自分を俯瞰視できるようになれば、健全と言えるのではないでしょうか。

 

彼女いない結婚できないって、いつまで周りと比べて消耗しているのか

過去も未来も考えるな

堂々と生きたらいいですよ。

彼女がいなくてもいい

だからどうしたというのです。肉体関係を持つ特定の異性がいないというだけで、あなたの細胞はアポトーシスを引き起こすとでもいうのですか。違いますよね。

 

周りと比べてはいけませんよ、周りは周り、あなたはあなたです。友人や同僚に彼女がいようと、あなたの価値は変わりません。

 

何でもそうですけど隣の芝は青いのです。彼女ができたら、次はその関係に悩まされるようになる。人間というのは欲深いものでして、満たされたと思ったら次の欲望が首をもたげるようにできています。彼女がいなくて気楽なあなたの生活をうらやむ人も、少なからずいるでしょう。

 

要はいかに現状に満足できるかどうか、そして周りとの対比で自分の価値を決めることを止めるかが肝なのです。ここを追求していきましょう。ここはこの記事で以降、すべてにおいて共通です。

 

結婚しなくてもいい

結婚なんてシステムは現代社会では足かせになりがちです。結婚しなければ誰かと添い遂げられないと考えている時点で脆弱な人間関係と言えます。別に内縁でも構わないわけですから。世間体に振り回されて魂を簡単に売る人間の末路は悲惨なものが多いですよ。

 

さらに結婚した場合、相手が傲慢になってこちらの人間性を貶めてくるケースもあります。これも結婚制度の弊害でしょう。誰かの夫または妻になったからといって、自分の価値や相手の価値はかわらない。ここに原則を置けない人間が精神面で破たんして相手の浸食を始めるのです。

 

制度自体は否定しませんが、しなければいけないものとは考えません。ましてや無理に結婚なんてするものではありませんよ、慣例や法律に縛られることは事実ですから。

 

子供がいなくてもいい

子孫を残すことが生命の目的である=人間の目的も生命を残すことである、とするのは乱暴で単純な理論です。子孫を残して種を繁栄させるだけなら、ここまでデカい脳みそはいらないのです。

 

文化というものを練り上げるまでに思考を高めた人類だからこそ、種の繁栄のみならず多様な生きる目的というものに辿りつく権利を得ているのです。種を残すだけなら虫でも猿でもできるんですよ。

 

ここにこだわるのはもったいない。子供なんぞいなくても、楽しく人生を過ごすことは可能です。

 

仕事がなくてもいい

社会的信用を得るためには仕事は重要ですが、こと生きるだけならそれこそ社会システムを利用すればいい。生活保護を受けるのです。これで仕事しなくとも生きていくことは可能ですよ。

 

人間関係が破たんしただとか、会社の業績が悪化したなどで仕事が駄目になり「私はもう生きていけない」なんてのたまう人は、生きるつもりがないだけです。

 

腹にモノを詰めて生きるだけならいくらでも生存可能。まだまだ諦めが足りないようですね。開き直れないプライドを抱えているのでしょう。背伸びは事故の元。あなたはそこまでの人間なのです、良い意味でこれを受け入れましょう。

 

周りと比べて消耗しすぎです

やれあいつは年収がいくらだ、とか。やれこいつは結婚して家庭を持って、だとか。そんなものはあなたに一切関係がない、他人の人生です。あなたには何の責任もない。それなのに勝手に対比して苦しんで自分を追い詰める。

 

無駄です。比べたら駄目ですよ。幸せなんて比較で得られるものではありません。自分が「今は生きているだけで幸せなんだ」って思えれば、いくらでも幸福感は得られる。

 

プライドを捨てきれないからこそ、苦しむのです。「自分はこうあるべきだ」とか止めましょうよ。今のあなたが全てです。

 

アドラーを学んでください

 

この本はタイトルからして「誰かに嫌われても平気なメンタルを作る自己啓発本」っぽく見えますが、内容はそんな薄っぺらいものじゃありません。

 

人間は誰しもが平等であり、自分の価値は誰かと比べてはかれるものではない。幸せは他人と比べて得られるものではない。自分以外のあらゆることへの執着を捨てろ、ねたきりだろうがニートだろうが社会に所属する一員であり、人間なのだ

 

と説いています。実社会へ導入するにはかなり刺激的な本ですが、根本的な考えを自分の中心に据えるには最高の一冊です。この本をしっかりと心に落とし込めば、誰しもが今回の記事のような考えに辿りつくはず。

 

今を生きることが肝要

人生なんて今の積み重ねです。過去に彼女がいない、将来的に結婚できそうもないなんていう変えられぬものに腐心して苦しむのはもう止めにしませんか。今この瞬間で自分にできることを積み重ねていけばいいのです。

 

考えすぎなのですよ、そして自分に理想を追い求めすぎです。分際というものを知りましょう。あなたの人生は、そんな高尚なものではありません。

 

今日も腹にモノを詰めて、空腹を満たしてください。遅かれ早かれ、寿命を迎えます。すべては移り行き、消費するものです。執着を捨てましょう。

 

他人や同期と比較して焦るな、戦う相手は己自身であることを知れ

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最初にはっきりいっておきたい。

 

この項は特定の誰かに向けたものではなく、むしろ僕個人に方向付けを与えようというものである。

 

上手く文章化できることを祈り、筆を進めよう。

 

※ここからは断定調となります

 

同時期に始めたブロガーに対する思い

同期、というのは良いものである。かつて僕は「同期ブログ*1」というシステムを知り、そこに加入していた経歴がある。 加入にあたってはアクセス数の恩恵に預かりたい、ましてやブックマークを付けられたいなどという気持ちはほとんどなく、「時期を同じくしてブログを始めたユーザーに対する親近感」というのが加入同期の大半を占めていた。しかしそれが、古参ユーザーからの半ば互助会スパムの認定を受けることとなり、疑わしい振る舞いをした自責の念もあって、ほどなくしてそのシステムを脱会することとあいなった。

今考えれば、大変滑稽な話である。運営会社であるはてなブログが構築したシステムに加入したユーザーを叩くという行為は、つまり木にヒラヒラと付いている「葉」を一生懸命に燃やしたことに他ならない。少し考えてみると、問題があろうシステムの根源にその矛先を向けるのが至って自然な行為ではないのだろうか。「葉」を攻撃する行為に、いったい何の意味があるのか。僕という「葉」を攻撃したユーザーのうち、いったい何人の人間が運営に抗議のメールを送るなどアクションをかけただろう。そしてどれほどの割合が日頃の鬱憤を晴らす、または私怨によるものであったか。ここは想像するに留めておきたい。そのほうが何かと面白いから。

さて、話を戻すと僕は始めた時期が似ているユーザーに強い親近感を覚える。ブログ運営でいえば同じ事柄を共有してきた者同士のような、そのような捉え方をしている。だからこういった感情が湧くのだろう。

1年先に始めたものは「巧者」で、1年後に始めたものは「後輩」、こんな風に自分の中でくくってしまっているのかもしれない。この発想は不健全である。それは現在学んでいるアドラーの教えには反する思想。つまり今回のテーマは僕に対する戒めということになる。

同期だろうが先をいってもそれについて焦燥感を覚える必要はないし、これが本来目指すべき境地。なのだが、自分の中に少しの焦りを感じてしまっていた、という事実があったから、それを整理する意味で記事を書こうと思ったわけ。

ながーい前フリですなw

 

自分の中でアドバンテージと標榜する数字の差が焦りを強くする要因

 

ここからはブロガーAとブロガーBのたとえ話を主軸に記事を組み立てていく。

 

PV数が正義であり、これさえあればどんな誹謗中傷を言われようが俺は立っていられる!なんていうPV絶対主義者のAがいたとする。かたや同時期に始めたBというユーザーがいて、親近感を覚えつつもAには出せない独特の魅力で彼も己の道を確実に進んでいる。

日頃は意識しないBのことであるが、ある時、Bはアクセス数を公開した。B「先月のアクセス数は15万PVでした。内訳は...」これを見たAは驚愕すると同時に、かつて体験したことのない焦りを覚える。「同時期に始めたBが、俺よりも5万PVも多いだと!?何故だ!!」

どうしてAはこんなにも焦ってしまうのか。それはPV数というのがAの中で大きなアドバンテージだったから。それを稼ぐことこそがAにとっての正義だったから。それを同時期に始めたBに大きく抜かれてしまったことが、自尊心を傷つける衝撃に繋がったのである。

 

この場合、Aは根本的に誤った考え方をしている。焦る必要は全くない。ここを掘り下げて考えてみる。

 

Aが焦る必要のない理由

AにはAの課題があって、BにはBの課題がある。外側の事象「Bに数字でPVを抜かれた」事実に対して焦りを覚える必要はなく、基本的にAは「Aの課題」について向き合っていれば良いのいである。「上を見ればキリがない。下を見ても上がらない」ということだ。

何事においても、自分にとって優劣をつけるべきではない。つけた瞬間にその相手(物も含めて)は「闘争対象」となり、縦の関係が生まれるのである。つまり、「相手に抜かれた」という発想自体が、横の繋がり、つまり相手を同じ「ブロガー」として見れていないということになる。極端な話、征服の対象でしか相手を見れていないということになるのだ。誰にでも競争心・闘争心を抱いてしまう方、思い当たる節はないだろうか。自問してみると良い。

闘争自体がなぜ悪いのだ、という論者もおられるかと思う。それについての回答はこうである。「闘争の末の勝利は、優越感や復讐を生む」ことに繋がるからだ。ではなぜそれらに繋がると良くないのか、それは「他人と真の意味で解り合うことができない」ことへ直結するからである。

AがBに対して闘争を仕掛ける。今回の件でいえばPV数であるが、それについて越えよう、越えようと日々、励む。結果、Aよりも多くのPV数を稼ぐことができたBは、優越感に浸る。さらには言葉の端々でBに対して「まだそんなPV数なのか」というのが出てしまうかもしれない。

前者の優越感に係る弊害は、その後にBに対して上から目線で接してしまうことだろう。これでは本当の意味で解り合うことなどできない。後者であればBが復讐に燃え、反撃ののろしを上げるか、またはAの人間性に愛想を尽かせて去っていくかもしれない。これでは分かり合えないことは自明だろう。

以上のことから、AはBに対して焦燥感を抱くべきではないのである。

 

己の劣等感として取り込み、成長の糧にはできよう

AがBに対して焦燥感を抱いてしまうことに関しては、人間の根底にあるものが反射的に表出した結果であり、それ自体を止めるのは難しいと思われる。なので無理にこれを抑え込もうとすれば、いらぬ苦労をすることになるので非推奨。問題はその後である。

 

ルートは大まかに2つに分岐するだろう。

 

ルート1「Bを競争相手とみなし、ひたすらに追いかける」

 

ルート2「Bに悔しさを覚えつつ、自分の中にそれを取り込んで努力の糧とする」

 

さて、どちらを選択すれば自分の未来にとって有益かは言わなくてもお分かりかと存ずる。ルート1とルート2の差、それはBをどのような対象として見るのか、また、その後に誰と向き合うのかで明暗が分かれる。

1の場合は前述のとおりで、多くは闘争の行きつく先は優越感という見下しか復讐という次なる闘争の火種に辿り着くだろう。

2の場合はどうだろう。反射的に浮上した焦りの感覚は抑えようがない、またはよほど達観していなければ抑えることが難しい感情だと捉える。しかしながら、その後に自分の中で悔しさとして、劣等感として取り込み、矛先を自分に向けたのである。自分自信が悔しいから、成長したい、頑張りたい。つまり指標は己の中に生まれた。

ここで伝えておきたいことがある。個人心理学の創設者であるアルフレッド・アドラーはこう言った。「劣等感は劣等コンプレックスに非ず。捨てるべきは劣等コンプレックスであり、劣等感はむしろ成長のバネとなりうる」と。劣等コンプレックスというのは端的に言うと「どうせ僕なんか」でその場に立ち止まることである。これでは人間は前に進めない。そうではなくて、「悔しい」という劣等感をバネして進むことに対しては健全なものであると彼は言うのである。僕なりに解りやすく説明したつもりではあるが、ここらへんはじっくりと学ばねば理解しにくいところではある。記事末に紹介している書籍を参考にしていただきたい。

 

話の軸を戻したい。

 

つまり、誰かに対して悔しさを覚えるのは結構だが、それでその人を闘争相手とみなして追いかけるよりも自分の中にハードルを設けて己と戦ったほうが周囲の人間とも協調・調和でき、真の人間関係を構築できるということだ。

 

飛躍でもなんでもなく、真剣に僕はこう考える。

 

*1:はてなブログのシステムの一