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ポジ熊の人生記

雑記ブログの育て方をメインコンテンツに、時事オピニオンや書評などを日々更新中です。

町内会費集金→「うち苦しいから150円ずつ払うわ(チャリン)」

社会 社会-人間関係


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町内会が衰退している

色々な家があって面白いです。

集金役に抜擢

現在の土地に引っ越してきて5年以上が経過 しましたが、僕は町内では新参者です。町内会には「入っといたほうがいいかな」くらいの感覚で何となく加入し、イベント等にはほとんど関わらずに最近まで暮らしてきました。

 

ある日、見知らぬ高齢の男性が訪ねてきて「次の班長をやってくれないか」と申し訳なさそうにお願いしてきます。「お金集めが大変なんだ」この一言を聞いたときに、なるほどみなが役員を嫌がる理由も理解できましたよ。

 

仕事でもないのに、面識のない人から現金を集める仕事なんぞ、誰もやりたいとは思わないでしょうね。

 

まぁ誰かがやらなきゃいけないことなのでしょうし、どうも引っ越してきた順番的には次は僕にその役が回ってきたようです。むげに断るのもこの人が困るだろうし、引き受けることにしました。

 

町内会とは

実家に住んでいたころから携わったことがほとんどない町内会という組織。これはいったい、どのようなものなのでしょうか?

 

市街地の町内に組織する住民の自治組織。日中戦争下、地方行政の末端組織として漸次組織化され、大政翼賛会の下部組織となり、内部に隣組を設置した。1947年法制上は廃止された。町会。

ー広辞苑第5版より

 

日中戦争下に組織されたのが公式な歴史ですが、遡れば大化の改新に端を発したという研究もあります。

 

町内会 - Wikipedia

 

大政翼賛会や隣組などと法的に紐づけ、つまり強制力を持っていた戦時下とはうってかわって、現在では加入も退会も任意の「自治」団体です。そもそも法的には1947年に廃止されているわけですから。

 

過去に退会や会費の上乗せについてなど、町内会関連で裁判が行われているようですが、いずれも町内会の強制力を是とするような判決は出ておりません(Wiki参照)。司法的にも、これらは住民の任意なわけです。

 

町内会費の多くは外灯代だった

僕の加入している町内の支出内訳を見てみますと、多くが「外灯費」の維持管理(電気代含む)に使われていました。

 

町内会でも任意で外灯を設置することができ、それに対して市から補助金が出ているようです。以後の維持管理は町内で集金したお金で維持しているというわけですね。

 

公的に設置されたものはもちろん税金で賄われているわけですけれども、任意設置の外灯があってそれを町内会で維持管理しているとは知りませんでした。しかもそれが支出の多くを占めている。

 

他のイベント支出は年々減少しているようです。それもそうですよね、参加者がいないのです。加入者の高齢化が進み、あとから入ってきた若い世代(僕を含む)がイベントに参加しないものですから、そもそも開催すら止めてしまおうか、という流れになる。支出が減るのも無理はありません。

 

地域交流の減少が進むと

イベントは全てなくなるでしょう。祭事やカラオケ大会、花火大会などです。このままの流れで行けば、参加者はほとんどいなくなる。そうなれば開催する意味がありません。

 

虚礼廃止の流れも加速を極めています。はす向かいや向かい、両隣の住人同士でさえ、可能な限りお互いに迷惑をかけないよう、関わらないよう生活している。これで垣根を超えた付き合いに発展するわけがありません。

 

時代の流れです。それぞれの家庭内であらゆることが完結するような生活様式に、新しい世代がすべからく移行しているのです。

 

では町内会等の自治会をなくしても良いのかといえば、そんなことはないでしょう。件の外灯費維持にしてもそうですね、地域の防犯力や環境を整えるためには、お金を集めてそれを執行する組織が必要になります。

 

イベントがなくなる、でも維持する必要のあるものが存在する。ということは、将来的にはお金を集めて執行するだけの組織ができあがるのではないでしょうか。僕がもっとおじさんになる頃ですね。

コミュニティが希薄になることの弊害

時代の流れだから、このような状態になるのはさもありなん。ですけど、このような地域コミュニティがもっとも機能するのは災害などの非常事態です。

 

家屋の倒壊や食料難、インフラの破たんなどで一時的に生活できない状態に陥っても、日頃のお付き合いで助けてもらいやすい。こういった「共助」が、コミュニティ希薄化とともにその力を失っていくのではないかと思います。

 

困った人はお付き合いに関係なく助ける、という美しい精神もあろうかと存じますが、「そもそもあの家って、何人住んでたっけ?」という状態では、出せる助け舟も出せないのではありませんか。

 

町内会の加入率自体が低下している昨今、災害インフラとして共助を有効に機能させる地域コミュニティの醸成というのは、決して簡単な問題ではありません。法的拘束力を有さないのですから、促進させようにも捗らないのですよ。

 

難しいですね。

 

集金役をやってみて感じたこと

みな、労いの言葉をかけてくれます。「大変でしょう」「ごくろうさま」など。励みになりますね。中には「あの家には気を付けなぁ!」という気骨おばさんもいたりして、田舎のコミュニティだなぁという感じでほのぼの。

 

誰かがやるべきことだし、システムの一部として淡々とこなすだけ。さほど苦とは考えていませんし、暇ですから。請け負った手前もありますし、苦労は買ったものとみなしています。

 

何より得たものは「近隣住民の顔ぶれがわかったこと」ですね。災害等非常事態が起きた時に、何気なくでも居住者の顔が解っていれば、打てる手は増えるでしょうから。集金役もやってみるものです。

 

やっと地域の住民と触れ合える機会を得たなぁというのが実感です。持ち回りにしろ、このような役を請け負うことは、ここに大きな意味があるのかもしれません。

 

 

1年分払ってくれ!

会費が月150円の家があって、1年分の支払いだと1800円なのですけれども。集金に行ったら1月分の150円しかくれませんでした。「うち、苦しいからね。それにいつ引っ越すかもわからんし」との言。チャリン。

 

この家には1年間で少なくともあと11回はお邪魔することになりそうです。お金をとりまとめる総務部長さんもこれにはさすがに飽きれていましたが、僕的には面白いですね。

 

「そうか、そんなに苦しいんか。いやまて、あと11回もこんな怪しいおっさんが訪ねてくることを是とするんかい。しかも引っ越した時は会費のバックがしっかりと規約にも謳われているわけで」などと突っ込みどころ満載なその人に思いを馳せるのが楽しい。そういう人は規約なんて見てません!

 

まぁ色々な人がいて面白いですよ。集金役、やってみて。

 

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