ポジ熊の人生記

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独身男性の生き方と孤独と寂しさと

寝る前に焼酎をチビチビやりながら書くにはもってこいのテーマ。

このツイートはアノニマスダイアリーに書かれた記事に勢いで付けたブックマークに、ツイートを紐づけしたもの。

ここで書いたことに嘘はない。けど、仕事や子供を糧にして生きている、とはいえ独身の夜に孤独と寂しさは付き物であろうよ。

夜がやってくる

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・・・

 

 

 

 

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今日も夜がやってくる。

夜の来ない日はない。

 

周りから聞こえるのは、洗濯をしていれば洗濯機の音。

なにもしていなければ冷蔵庫の「ブーン」という小さな音。

時折、乗用車や大型自動車が幹線道路を走る音が。

 

まぁ、なんといっても静か。

この静けさに耐えられる?

 

独身男性の夜は静かです。嫌でも、静かになる。

 

TVをつけっぱなしにしていればマシ?

それとも、好きな動画でも流している?

もしくは、ゲームに没頭してみるとか?

 

それもアリでしょう。少なくとも、静寂から逃げることはできます。

 

でも、よほど熱中して時間を忘れるくらいのことをしないと、結局は寂しさに襲われるのではありませんかね。

 

僕は、毎夜毎夜、どう乗り越えるかを考えながらここまで来ました。なんだか、厨二っぽくなってきましたねぇ。冗談抜きで、そうなんですよ。やっぱり、静かで寂しくて孤独なんです。独身男性というものは。「独」が伊達に入ってません。

 

熱中できるゲームを探してはすぐに飽き。

興味のある本を購入してみては、先が見えて途中で投げ出し。

それで、何もしないでいる。

 

そうすると、頭の中に色々な考えが流れ込んできて、自分を責め立てる。いちばんキツい責めは「お前の一日はこれで良いのかよ」ってやつですね。まぁうるさいことうるさいこと。いいじゃないですか、日がな寝転がって過ごしたって、やることやってりゃ。そんなに自己鍛錬や学習が必要なんですか?でも、自分の中の鬼は、許してはくれない。

 

話を戻しますが、独身男性の夜は充実という概念の対極にあると言っても過言ではないかもしれません。なまじっか自分しかいないものだから、「それでいい」と指針を示してくれるものが何もない。自分の中に常に落としどころを作らなければいけない。生きるのに必死なうちはまだ良いですが、衣食住足りてさてどうしようか?ってーところの先がぽっかりと抜け落ちる。

 

誰かと過ごせば充実するのか?

仲が良いのは理想ですが、喧嘩をしたって何らかの感情を自分にぶつけてくれる人がいる。それだけで孤独なんて感じようがないのです。寂しさもなおさら。

群衆の中の孤独、とは比喩されますけど、それはあくまでも接点なき集団の中の無関心に生ずるものであり、自分以外の誰かと喜怒哀楽で接しているうちは人間、孤独でも寂しくもなくなるもんです。

つまり、誰かといれば、少なくとも孤独と寂しさは感じない。相手が病的なまでに暴力を振るう、肉体的にも精神的にも脅かされる相手ならば話はちょいと変わってきますけれども、「なんだかんだ、仲が良いよね」を毎度の落としどころにできるパートナーがいるのなら、それは孤独と寂しさの最大の回避要素に他ならないでしょう。

こういう意味では、誰かと過ごすことに意味はある。じゃあ、誰かと一緒に過ごせば良いじゃない、って言われるかもしれないけれど

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こーいう気質を持ち合わせてしまいまして。誰かと過ごすことが難しいんですよ。過去に何度か、「誰かと過ごす」ことをやってみましたけれど、結局は破綻している。確かに、孤独や寂しさはなかった。けど、充実もしなかったんです。

ひとりでいることの孤独と寂しさ、誰かといることでそれを紛らわす効果と充実の喪失、この2つを天秤にかけて自分の人生が豊かになるのはどっちだい?っていう難しい問題に出した答えが「ひとりでいること」だったんですわ!

いや、まぁ、理想はここらへんもすべて理解してくれて、それでいて一緒にいれる相手と巡り合うことですよ。そりゃそうさ。でもね、それって宝くじに当たるより確率低い気がしてならないの(´・ω・`)

 

ひとりはどうして孤独で寂しいのか?

ちょいと哲学的な話になる、かもしれない。

ひとりでいる、というのはすなわち「自分と向き合う」ことなんですわ。

自分と向き合うっていうのは、凄く難しい。阿吽の呼吸で気の置けないパートナーと、ずーっと過ごしてきた人がさ、ある日忽然と姿を消す。想像してみたこと、ある?そんなとき、とても恐ろしい孤独や寂しさに苛まれると思うよ。

どうして苛まれるか。それは、ひとりになるから。ひとりになると、嫌でも自分と向き合わないといけないから。自分と向き合うとき、人は孤独や寂しさを感じるものなんだろう。それで、毎晩毎晩、苦しいんだよ。そりゃ、時には死にたくもなるさね。

じゃ、なぜ苦しいのか?それは、「自分と向き合う」ことの答えが真理に近いから。もし、それを探し当てることができたのなら、達観して、どんなことにも動じない強靭な精神力を持った状態になる。人間が、そんな簡単に超人になれると思うかい。今の僕には難しい。

難しいなら、簡単に手が届く「孤独や寂しさを紛らわすもの」にとりつくか。例えば、誰でも良いから懐柔して、傍にいさせる?それとも、深酒して自分じゃなくする?そんなことはしない。

「自分と向き合う」ことは、凄く困難だ。今まさに、それを実感している。孤独、寂しさ。環境音はいつも一定のリズムを刻み、夜の闇に溶けていく。ゴールは見えない。「幸せとは何か、自分とは何者なんだろう」という果てしない禅問答を、よくもまぁ毎夜毎夜繰り広げているなぁと自分でも思う。超マゾい。

けど、やめられない。誰かと過ごしても、何かで気を紛らわせても、結局は孤独に戻ってくる。まるで、「そこには真理はない」と告げているかのよう。付け焼刃的な孤独や寂しさの紛らわせは、泡沫の夢のように消える。時には、悲劇という形で。

自分一人で見つけるしか、ないっぽい。もしかすると、死ぬまでこれ続くかもしれないね、禅問答。パっと目の前が明るくなって、それ以降は何の苦しみも悩みもなく、平穏無事に人生が過ぎていくなんて、そんなことはないのかもしれない。これじゃ、あまりにも都合が良すぎるしねぇ。

 

まとめよう

何言ってるか全然わからん

すまんな。

えーと・・・

独身男性というのは確かに孤独で寂しく、時には死にたくなることもあるかもしれない。しかし、それは自分と向き合うという作業をしているから孤独で寂しいのであって、決して惨めなものではない。自分と向き合った結果の真理というのは、それだけ果てしなく遠くにある答えということ。それに向かって進むのだから、困難な夜が続くのは当然。だから、苦しくても進もう。その答えに向かって。孤独だけど、孤高の戦いを毎夜繰り広げている戦士たちは、どうか強く生きてほしい。苦しくて心が破綻しそうになったら、その時は何かにすがっても良い。誰かと過ごそうが、気を紛らわそうが自由。でも、結局は自分一人に戻ってくる。これは逃れようがない。人間は、結局は孤独な生き物なのだから。

こんなところで、まとまっているだろうか。

難しいテーマでしたねぇ。

 

 

あとはあれだ、タイトルに「独身男性」って書いたけど、別に男性も女性も無関係だった。