ポジ熊の人生記

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共感力が強すぎて他人の苦しみや恥ずかしい場面が苦手すぎる

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あなたは、誰かが怒られているのを見ると苦しくなりますか?

TVや映画で他人が恥をかく場面を見るのが辛いですか?

このような人たちはもしかすると「共感力が強すぎるのではないか?」と思うのです。僕ももれなくこれにあてはまっちゃう。

共感とは?

(sympathyの訳語)他人の体験する感情や心的状態、あるいは人の主張などを、自分も全く同じように感じたり理解したりすること。同感。

-広辞苑第6版より

共感(きょうかん、英語:empathy)は、他者と喜怒哀楽の感情を共有することを指す。もしくはその感情のこと。例えば友人がつらい表情をしている時、相手が「つらい思いをしているのだ」ということが分かるだけでなく、自分もつらい感情を持つのがこれである。

共感 - Wikipedia

 他人の意見や感情などにそのとおりだと感じること。また、その気持ち。

共感(キョウカン)とは - コトバンク

以上、3つの出所から引用しました。

他人の意見や感情を、自分がその通りだと感じ、共有すること。大雑把にまとめるとこのような具合でしょうか。

 

僕の共感エピソード

小さな頃から、人の感情に非常に敏感でした。親、幼稚園の先生、同級生。歳を重ね、それは職場の人間、彼女、妻、子供にまで及びます。とにかく、自分以外の誰かの喜怒哀楽はヒョイヒョイと移ってきます。そのたびに目まぐるしい思いをして疲弊し、知らずのうちにぐったりしているなんてこともしばしばです。これを自覚したのはつい2~3年前ですから、随分と内省というか自分の精神面との向き合いが足りていなかったのだと思います。

 

共感はリアルの人間関係に留まらず、テレビやシアターの中の人間や動物にまで及びます。苦しいこと、恥ずかしいことを経験している人などを見ると、とても心苦しくなる。「なんてことをするんだ、やめろ!」なんて心の中で悶絶して、耐えられない場面では手で視界を覆い隠したり、TVの場合はチャンネルを替えたり。人がかく恥は、特に心をえぐります。とてもじゃないけど、まともに注視できません。

 

最近では、某俳優が罪を犯して、その母親が親の責任の名のもとに公衆の面前に晒されて謝罪をしていた場面などですか、あれが強烈でしたね、もういてもたってもいられず、その場を中座したのを今でも覚えています。

 

とにかく人の感情には敏感です。出勤しても、朝、上司や同僚の顔を見るだけで「あ、なにか家庭で揉めたかな」だとか「体調でもすぐれないのだろうか?」など、敏感に顔色を察知して心配してしまう。普段通り、ガツガツと明るいコミュニケーションをとるのが憚られる。そんな気持ちに苛まれます。

 

誰かに怒られたときは最悪です。「ああ、この人、怒ってる。こんなに辛い思いをさせるなんて、こっちが辛い」など、相手に共感しすぎて慙愧の念で潰されそうになります。これを誰かに相談すると「考えすぎ」と言われますが「いやいや、感情を読み取る力が弱すぎますよそれ」などと心の中で考えて声には出さずに終わります。どうやら共感力が高い人は多勢ではないのかなというのが肌感覚です。 

 

もう挙げればきりがないくらい、人の感情に右往左往して生きていたエピソードを持っています。これが影響してか、一人でいる方がずっと楽です。人の顔色を見て感情が揺れると、脳がとても疲れるからです。

 

共感力は自己満足?

そもそも、自分以外の誰かの気持ちになりきることは不可能です。なのに、相手が示す考えや感情に移入して「それは自分も感じる!」となる。これって、自己満足なのでしょうか?

 

理屈的には自己満足になってしまいますよね、というのも相手が苦しい顔をしていても、その内実は嬉しすぎて苦しい顔をしているかもしれない。本当のところなんて、本人以外の誰にもわからないのです。なのにそれを「ああ、苦しいんだな、辛いんだな、それを見ると自分も苦しくなるよ」っていうのは自己満足以外のなにものでもないんじゃないかと。

 

「小さな節介余計なお世話」よろしく、自分が良かれと思ってしたことでも相手にとってはいい迷惑になる場合もあり、時としてこれは押しつけの感情になってしまうのかなとも、やっぱり思いますよ。

 

けど、僕は共感力は悪いものじゃないと考えます。

 

誰かに対して自分なりにでも慮り、それに寄り添ってできるかぎりのことをする。それって、そんなに悪くないことです。もし、これに則らずに相手の為に行動を起こすにあたって「あなたのして欲しいことを教えて」っていちいち聞いてたら、それにまともに答えてくれる相手じゃなければ何の助けにもならないことになりますよね?これ、結構多いパターンではないですか。

 

友人が苦しんでるっぽい、何かしてあげられることは・・・なんて考えてるうちに「まぁ、ヘルプサイン寄こさないんだから、何かしても迷惑かもしれないし」なんて納めてしまう。結局、何もできずじまいのまま。あとから後悔するくらいなら、自分が良かれと思うことでも行動を起こして、相手に渡してみれば良いんじゃないかなぁ。

 

良くないのは「私はこれをしてあげたのに、あの人は何も返してくれない!」って考える心じゃないかと。

 

善も偽善もないんです、相手の為に行動を起こした段階でそれは意味を成します。そこからがポイント。挨拶と一緒ですよね、相手に「おはよう」と投げかけるのは、相手からのおはようを期待するものじゃない。まぁ、要するに善意ってのは掛け捨てが一番健全なのですな。

 

ってなわけでこの項を総括すると、共感力は自己満足と思われがちだけど、そうじゃなくて相手に共感することは悪いことじゃなく、相手に共感して何らかの見返りを求める精神に自己満足の悪い部分があるのではないか、ということ!

 

共感力が強い人に送る処世術や考え方

善やら偽善やら自己満足について滔々と語らせてもらいましたが、とにかく相手の感情に敏感過ぎるのは間違いないし疲れるんですよ。こんな日常を社会で送っていたら、身が持たないです。だから僕は僕なりの処世術を編み出しました。

 

まずは人との付き合いを最小限に縮小することです。かつて自分の敏感な気質を知らずに無理して職場の先輩に追従してひたすら消耗していた時期もありましたが、今となっては「僕、一人が好きなんで」というプライベートは完全陰キャ宣言を公に致してます。そうすることにより誰からもお誘いを受けなくなって平穏な日々を過ごせます。

 

とにかく誰かといると感情が移るし、表情読み取っちゃうからできるかぎり人と接しないのが吉です。

 

一人になってください、とことん一人になるのです。社会との接続を断て、という意味では決してありませんよ、健全な社会生活に人との交流は不可欠です。そうじゃなくて、基本ベースとして一人でいる方が心穏やかでいられるということをまずは自覚することが肝心です。無理すんな!

 

良いところもあるんだよ

共感力が強いと、優しくなれます。また、相手の話を一生懸命に聴くことができます。それにより、相手はその優しさや聞く力に惚れ込んでますますこちらに接近し、深いお付き合いを望みがちです。ここに共感力が強い優しき人間のジレンマがあります。

 

ですが、間違いなく誰かに優しくなれることは良いところです。メリットです。あなたはその気質を誇りに思ってください。誰かに寄り添える力があなたにはあるのです。ただ、自分が壊れないように注意してください。できるだけ一人の時間を確保するなどして、メンタルバランスへの配慮をお願いします。

 

ところでどっこい、「共感力は良くない」という論をインターネッツで目にします、その理論は「押しつけの共感で間違った選択をとる危険性がある」というもの。これについて言わせてもらえば

 

共感するまでは問題ないんです。

 

ただ、それについて「じゃあ具体的に何をしよう」となるとそこは感情抜きで冷静に考えなきゃいけないところだと思うんですよ。「共感すること」と「共感して相手に何かをすること」を混同するのは、なにか違うと思う!

 

ここまで読んでくれたあなたへ

5人に1人の繊細な気質

HSP(ハイリーセンシティブパーソン)を知っていますか?

もしかすると、あなたもHSPかもしれません。

以下の記事では自己診断もできますので、興味があれば読んでください。

 

ひとりでいないと充電できない。騒がしい場所は苦手!

って人は、内向型人間の可能性がありますね。

内向型・外向型を脳の仕組みの違いからもアプローチした記事があります。

内向型・外向型の恋愛パターンにも迫っていますので、参考にしてください。

 

ひとりが好き。何が悪いのさ?

って常日頃から感じているあなたにおすすめの記事が以下になります。

ひとりが好きな人の特徴をあけすけに語っています。

きっと、共感を得られるでしょう。

 

以上、共感力の強いあなたにお勧めする記事でした♪