ポジ熊の人生記

雑記ブログの育て方をメインコンテンツに、時事オピニオンや書評などを日々更新中です。

太りやすい人の消費カロリー脳と美醜コンプレックス

太りやすい人あるある「なんでもカロリーで考えてしまう」

少なくとも、僕がそうです。

「これを食べたら○○キロカロリー摂取」

「ここまで歩いたら○○キロカロリー消費」

とか。

太りやすい

太りやすい身体だと自覚しています。

好き放題食べても膨らまない細身の人には想像もつかないのでしょうけど、簡単に太れるんですよ。細身の人に太りやすい話をすると、「こっちは太る方法を教えて欲しい」とのたまうので、隣の芝というか、個体ごとに悩みはあるのだろうなと想像しますけども。

ま、とりあえず太りやすいです。

 

良いところもあるんですよ。今まで出会った人たちの傾向として

「太りやすい人は筋肉がつきやすい」

「細身で太らない人は、トレーニングでバルクアップしにくい」

というものを見ています。

僕的には、このメリットは放棄して、筋肉はそれなりにつくけど、それなりに太りにくいバランスの取れたボデーが欲しかったなと思うわけですがねぇ。

 

体型に唾を吐かれた過去がある

詳細はリンク先参考なんですけど。

小学校の頃から猛烈に太り出して、「デブ」だの「ブタ」だの散々罵られ続けた過去を持っています。

「ブタ」で怒るのはブタさんに失礼ですけど、どうしても当時は畜生風情と一緒にしないでほしいという純粋な嫌悪感がありまして、辛かったです。今なら、「あんなに美味しい肉を提供してくれる動物と比肩していただけるとは・・・!」とか、素で喜びそうなもんですけどね。小学生にこの発想は無理でしょう。

体型を揶揄された期間が、長すぎましたね。どれくらいでしょうか・・・10年間は、くだらないです。センシティブな青春の時代に、美醜について心をえぐられるようなことを日常的に吐かれ続けた人間の心に、どれほどの創が形成されたのでしょうか。自分でも、無意識下にそれを閉じ込めているので、どれだけ深手を負っているかはわかりません。が、冒頭でも述べたように、運動や食に関して、全てを消費カロリーで考えてしまうくらいには性格形成に影響を及ぼしているといえるでしょう。

なお、120キロ→75キロまでの劇的なダイエットに成功したのですけど、これが成功と言えるのかどうか。というのも、今回述べている歪な発想もさることながら、摂食障害にまで陥ってしまったのですよ。急激なダイエットは、心にとても良くない。摂食障害(過食嘔吐など)は、命を奪うこともある恐ろしい精神疾患です。

 

摂取カロリーや消費カロリーを気にする

美味しそうなものが目に入ったら、まず「美味しそうだな、食べてみようかな」というのが普通じゃないですか。でも、違うんです、こうなるんですよ。「それ、何キロカロリーですか?」と。なんか、悲しくないですか。普通に食べたいものを食べたい...。節制うんぬんのレベルじゃなく、食べれる物すべてに対してカロリーを気にするのは嫌です。この発想を何とかしたい。

運動にしてもそうです。健全な発想としては「いかにして楽しむか」だと思うんですよね。強度とかそんなん二の次で良いのに。なのに、身体を動かすとなると消費カロリーのことばかりを気にしてしまう。

 

おそらく、過去に外見で散々揶揄され、自分の中で

「太ることは絶対悪である」

という概念が強烈に形成されてしまったのだと思います。

準美醜コンプレックスってところでしょうか。

 

身体醜形障害(しんたいしゅうけいしょうがい、英: Body dysmorphic disorder ; BDD)あるいは醜形恐怖症とは、極度の低い自己価値感に関連して、自分の身体や美醜に極度にこだわる症状である[1]。実際よりも低い自己の身体的なイメージが原因である。俗に醜形恐怖また醜貌恐怖とも呼ばれる。

身体醜形障害 - Wikipedia

こちら参考。

  

悪いことばかりじゃないけど

標準体型になった僕は、人前にでても赤面したり、どもることが無くなりました。ダイエットによって、自信を身につけたのです。初めての彼女もできました、って書くととたんにいかがわしい広告文句みたいになりますけど、これも本当。

だから、悪いことばかりじゃないってことです。飯や運動をカロリーで図ってしまうことは、確かに寂しいですけど。また太ってしまい、自分に自信がなくなって対人関係に悪影響を及ぼすだとか。それ以前に健康を害してしまうだとか。こういうことも、予防してくれるのではないかな、と。

 

本当はね、どんなに太ってても、腹が出てても、これがありのままの自分だって思えて。ノーストレスで社会における対人関係をこなしていきたいんですよ。鏡を見ても、どんな姿でも、それを許容したい。肯定したい。これが理想です。わかっちゃいるんですよ。

しかし、どうもそれを許さない自分がいる。過去の傷は、心の深いところにあるようで、なかなか治ることがありません。体系については、自分が自分を罰してしまうのです。

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ありのままの自分でいるために

(特に思春期の子に対しては)外見について揶揄するのはタブーだと思います。人の外見に対して平気で放言しちゃうような癖は、大人になる段階で矯正されることがほとんどでしょうけども。

傷ついた被害者が大人になってそのコンプレックスを患い、未だに苦しんでいることは、かつて言い放った人には想像もできないでしょう。これ、取り返しのつかないことだと思うのですよね。

 

年頃のお子さんを持つ親御さんも、他人の容姿について発言するのは、少なくとも子供の前では控えたほうが良いと思います。誰かを不美人だと罵ることは言語道断として、美人だ美人だとちやほやし、外見が至上であるという価値観を見せることも、子供には毒ですよ。

良いところ探しを、教えてあげてください。

人の美醜を揶揄するような子供に育たないようにしてあげてください。

 

「ありのままの自分でいる」つっても、僕はどうしたら良いのかわかりません。今日も今日とて、食い物は消費カロリーで考えるし、1日1000キロカロリー以上の有酸素運動は欠かさないつもりです。こういう生活をしてないと、不安ですから。いつ暗黒の時代に戻るかわからないという恐怖感も、あるのだと思います。

だから、せめてこれ以上、美醜コンプレックスを抱えて、大人になっても苦しむような人が増えないように。他人を外見で揶揄することがいかに良くないか、恐ろしいことか、被害者が心をえぐられるかということを、ひとりでも多くの人が知ってくれればいいなと考えて、ブログで注意喚起する。自分にできるのは、これくらいだと思います。

 

あと、ダイエットが正義だっていう風潮は良くないよね...。某ダイエットプログラムのCM、いちどは目にしたことがあるでしょう。最初は前かがみで、腹の出た体系を強調し、プログラムを受けた後では脂肪が削がれた、筋肉質で立体的な身体が示されます。勇ましいBGMとともに。良くないと思いますよ、ああいうのもコンプレックスを助長させるんじゃないかと。いやべつに成功後は結構なんですよ。問題はその前。腹が出る=しょぼくれて元気のないおじさんおばさん、というイメージを植え付けるあれがガンですね。別に成功前の姿、いらなくない?

 

なーんて、ちょっとヒネくれすぎですかね。