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ポジ熊の人生記

雑記ブログの育て方をメインコンテンツに、時事オピニオンや書評などを日々更新中です。

いじめられた経験のある人や今も受けている人へのエール

心-私信


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小学校高学年の頃、いじめられていた。

内容は典型的なもので、罵詈雑言の類を飛ばされたり、小突かれたりが日常的に起こる感じ。

今回はその思い出話を。

 

「いじめでもマインドコントロールは使われる!逃げ場のない子供たち」追記

「法務省のいじめ防止啓発漫画がユートピア過ぎるのだが」追記

いじめられた経験のある人や今も受けている人へのエール

いじめの始まり

原因は自分にもあった。人との距離感がいまいちつかめなくて、手荒な言動をすることも多々あったし、小難しい言葉を覚えては得意げに使うような、こまっしゃくれた子供だったので、余計に叩き甲斐があったのだと思う。

 

さらに輪をかける要因として「肥満」があった。子供というのは非常に残酷な生き物で、人の身体的ハンディキャップを何のお構いなしにえぐり、いじめのリーダーに乗っかるように集中攻撃を浴びせる。

 

授業の合間に小休憩があるでしょ?あの時は真っ先に教室を飛び出て、物陰に隠れるんだわ。そうしないと攻撃されるから。こんなこと、(5時間授業であれば)5コマも堪えられないのさ。時には捜索されるので、音楽室の2枚ドアの間に身を潜めてたこともある。リキッド・スネークみたい。反撃はできないけどね(笑)

 

当時のやつらは悪魔のように見えた。同じ人間とはとても思えない。「死んでくれ」下校時に毎日、呪詛を浴びせた記憶がある。今思えば子供らしい発想だよね。相手を変えるより自分を変えた方がずっと早いのに、そんなことには気が付かないで、迷路に迷い込んじゃうんだよなぁ。

 

ーー

 

エピソード

 

教師「5~6人のグループを作れ」との指示がある。仲の良い者同士はすぐにくっつく。2~3人の塊が即座にできあがり、さらにそれらが合体してあれよあれよというまに6人グループが複数できあがった。

 

いじめられていた私は、そのどれにも入ることなく、余されてしまう。こういう「任意でグループを作れ」と言われたときも、毎回、辛い思いをした。

 

教師「なんだ、○○、まだグループに入れないのか。なにをやっているんだおまえは。よし、そこのグループに入れ」

 

そこはいじめリーダーのグループだった。

 

先生、なんでよりによってこのグループに・・・

当時のいじめっ子はすでに教師を味方に付けたり、クラスの人間に根回しして上手に立ち回る狡猾さを有していたため、教師は私がいじめられていることなどは把握していなかったのだ。

 

逆らうわけにもいかず、そのグループに入っていく。当然、グループのメンバーは露骨にいやな顔をする。「なんで来るんだよ」それに対し(先生に言われたからだよ、何聞いてたんだアホンダラ)と、心の中でつぶやいた。

 

分かれたチーム同士で点数を競い合う小テストを実施するという、いまいち意味の分からないものだったが、対抗心を燃やすクラスメート同士で盛り上がった。私の気持ちは落ちたまま。

 

テストの結果が発表された。私はそのチーム内で最下位だった。「死ね」などという罵声をチームメイトから浴びる。足を引っ張ったからだろう。いじめっ子たちは頭が良かった。だから上手く立ち回れるのだろうし、テストの点数も良い。教師受けも良い。

 

「やっと地獄のような時間が終わった」ほっとする私。しかし、次に耳を疑うようなことを教師が言ったのだ。「チーム内で最下位だった者へは、そのチームメイトが罰ゲームを課すように。」

 

いったい、何を考えているのだろう。生徒同士で私刑を容認するようなものなのに。しかもクラスでは最高責任者の担任教師がそれを認めるなんて...。

 

一気に血の気が引いた。対して、ニヤニヤと邪悪な笑みを浮かべるいじめっ子たち。「どうする、みんな。こいつは最低だ。俺たちの足を引っ張りやがった。相当重たいのを課すべきだよね。」そんなことを話していた気がする。頭の中が真っ白になる。生きた心地がしない。

 

案の定、私にかけられた罰ゲームは「罰ゲーム」の範疇をゆうに越えていた。

 

「明日までに作文を原稿用紙50枚分書いてこい」

 

泣きそうになった。こんなこと、できるわけがない。文字数にして2万文字。それを小学生に書けというのか。書く内容もない。

 

「こんなことはできない」そう必死に彼らに訴えるも、「罰ゲームには従え」と、教師の決めたルールを凶器にして、私の心を容赦なくえぐった。

 

無理なものは無理だ。私は意を決して教師に直訴した。「このような罰ゲームを指示されましたが、私にはできません」これで助かる、そんな気持ちだった。

 

教師はこう言い放った。

 

「おまえたちで決めたことなのだから、ちゃんとやりなさい」

 

たったそれだけだった。私は泣きながら帰った。

 

「この事実を家族に伝える」それは凄く勇気のいることだった。私はいじめられていたことを親や兄弟に話していなかった。「恥ずかしい、悔しい」という気持ちがあったから。

 

それでも思い切って伝えた。そうしたら、みんな自分のために憤慨してくれたよ。そんなのは非常識だって。凄くうれしかったなぁ。嬉しさと悔しさと悲しさと、色々な感情がごちゃ混ぜになって号泣した。

 

でも、先生が言ったことだし、そのルール内で決めたことだから仕方ない部分もあるよねって、そう言われた。そのかわり、手伝ってくれたんだ。筆跡も全然違うけど、その日は一家全員で作文を書いた。

 

翌日、原稿用紙50枚、一家全員合作の作文を持って登校した。足どりは軽かった。家族が助けてくれて、自分は窮地を脱することができたんだ!ってね。

 

甘かったわ。いじめっ子たちによる、罰ゲーム提出状況の精査がはじまる。「これ、明らかに字が違うくね?」あっという間に指摘される。私は言う。「一人でできるわけないじゃないか、仕方ないじゃないか!」いじめっ子は言う。「ふざけんじゃねぇ、家族に甘えてんじゃねえぞ。おまえ一人でやれ。やり直しだ!」

 

父に護られた

意味がわからなかった。

 

家族全員で困難を乗り越えたと思っていた私は、絶望した。もう駄目だ、どこにも逃げ場はない・・・

 

帰宅した私からその事実を聞いた父の怒りは、遂に頂点に達した。即座に学校へ連絡、1時間以上にわたる猛烈な抗議。その次は各いじめっ子の家へ連絡し、30分以上にわたる抗議。

 

父は普段は温厚なのだが、一度怒ると手が付けられなくなる。しかも怒りに任せて怒鳴るだけじゃない。相手のぐうの音も出ないほど説き伏せてしまうスキルを持っていた。

 

当事者であるいじめっ子全員が謝罪してきた。「もう二度とこのようなことはしません。本当にごめんなさい」だって。当時は、とても許す気にはなかった。「私の受けた傷は消えないよ」そう思ってた。この後だって、きっと何か言われるだろうって考えてたし。

 

翌日、言われたことは予想通り「チクリ魔」。しかし、明らかに従来の勢いは落ちていた。親にこってりと絞られたのだろう。学校側もいじめっ子を呼び出して事情の聴取を実施。この時ばかりはスカっとした記憶がある。

 

ーー

 

それ以来、いじめは消沈化した。相変わらず小規模なものはあるけど、組織だった狡猾な様相を呈すことはなくなった。それだけで随分と楽になったよ。個別の案件に対処していけばいいわけだからね。

 

家族に救われたんだ。家は私にとって、心強い味方のいる逃げ場所だったんだよ。だから今はこうして元気に生きてるんだと思う。まさにお陰様。

 

あの時、家族が助けてくれなかったらどうなったかなぁ。未成年だし、学校や家から逃げるのも一苦労だよね。きっと、どこかアウトローな場所に逃げ込んで、コミュニティに入ったかもしれない。いわゆる「グレる」ってやつだね。

 

グレる人間は、学校や家庭環境が生み出すものだ。好きでグレたわけじゃないんだよ。生きるためには、仕方ないんだ。だって、学校も家族も助けてくれないんだよ。そんな状況でどうやって年端もいかない子供が真っ当に生きていけばいいのか見当もつかない。

 

私の今回の件。教師の対応はどうだっただろう。酷いものだよ。最初の罰ゲームで無理難題を押し付けられて、それを勇気をもって相談した生徒の必死の嘆願を一蹴したんだ。人情味の欠片も感じない。必ずその報いは受けると思う。もう受けているかもしれない。

 

教師も色々と「しがらみ」があるだろうし、自分の生活を守りたいから静観してたのだろうけど、もしこれで私の家族が非協力的だったら、どうなってたかなぁ。グレるか、そのような縁にも恵まれなければ別人格を作り出して心理的負荷を散らすか、最悪は自死だね。

 

生徒のヘルプサインに向き合おうとせず、自分の安泰を最優先にした教師が、結果的に子供の命を絶つことを幇助する。これ、今もどこかで、複数進行しているケースだと思うなぁ。

 

ーー

 

年頃の子供を持つ親御さんへ

逃げ場所を作ってあげてください。家しか逃げ場はないのです。甘やかす、という意味ではないのですよ。ただ、「もう駄目だ」と思ったお子さんを救ってあげてほしい。本当に絶望的なんです。真っ暗なんですよ。助けてほしいのです。

言えない子供、いっぱいいます。頑張り屋さんこそ、いじめられていることをカミングアウトできません。恥ずかしいし、悔しいし、親に心配をかけたくない気持ちもある。どんなに辛くても笑顔で帰宅する、ひたむきな子もいる。

だから、サインを拾ってあげてほしい。子供と向き合って、毎日様子を見ていれば変化に気づくはず。必ず何かを発しているです。

いよいよになり、子供が「僕、いじめられてるんだ。辛い」って言ってきたら、まずはその勇気を誉めてあげてください。本当に頑張って告白したと思うから。そして、話を聞いてあげてください。全てを聴かずにステレオで叱咤し、止めの一撃を我が子に加えるようなことは止めてください。でないと、小さな棺桶を見ることになるかもしれませんよ。

私の父のやり方が正解だったかわわかりませんが、まず話を聞いてあげて、そのあとでどのような対処をするかは各家庭に委ねられていると思います。それでも、どんな対応でも、家族が味方をしてくれたなら、どうあがいてもその子は頑張れるんです。

 

どうか、お願いします。

 

ーー

 

教職に就かれている方へ

 

私の担任がしたことは許せるものではありませんし、先ほど強い嫌悪感を記したところですが、教員というのは本当に大変だろうなとお察しします。学校と家庭に挟まれ、多数の生徒を相手に責任を負う立場にある。きっと私にはできないことだと思います。尊敬します。

ですが、追い詰められた生徒について、少しでもエネルギーを振ることもしてほしい。お忙しいのは解りますが、それで取り返しのつかない結果を招くことだって十分に考えられるのです。

「この生徒は限界を迎えていて、ここまで追い詰められているのかも」という想像力を働かせていただきたいのです。これは幼い命に係る「危機管理」だと思います。

いろんなしがらみがあって、私の知らない仕組みでがんじがらめにはなっているのでしょうけど、当時の自分の立場から考え、稚拙ながらも心情を伝えさせて頂きました。

 

ーー

 

あとがき

 

勢いに任せて当時の心境を語りました。辛辣な言い回しもありますが、嘘はありません。いじめというのは全体的に捉えて環境を整える必要もあるのでしょうが、いじめられている本人にしてみれば、ただただ辛いものです。目の前が真っ暗です。そこを想像して、手を差し伸べる人間が一人でも増えてほしいってのが正直な気持ちです。それでこんな訴えるような記事になったのかもしれません。

今も全国でいじめられている子供たちが大勢いることでしょうが、どうか色々な縁に助けられつつ、幼い命を自ら断つことのないように祈るばかりです。

 

負けてもいいんだよ、帰る場所があるなら。勝たなくていい。そして君は、とても優しい人になれると思う。

 

以上です。

 

いじめでもマインドコントロールは使われる!逃げ場のない子供たち

 

いじめ

僕の小~中学校で受けたいじめについて、主犯格の男の子を思い出したのでつらつらと書いてみます。

喧嘩が強い

子供の社会というのはリーダシップや社会的地位で人の優劣は判断されず、喧嘩の強いものが専横状態となります。 少なくとも僕の時はそうでした。

 

いじめの主犯格をとします。彼は学校でも1、2を争う喧嘩の強さを誇り、何か小競り合いがあっても「やるのか、おう?」と凄めば誰もそれに歯向かう人はいませんでした。それを良いことに、基本的にはやりたい放題。気に入らないものは徹底的に糾弾します。

 

性質が悪いのは「弱いものを標的にする」ところ。ここを見ると本当の意味で強さは無いのかもしれませんが、物理的に強い相手ですので正す人がいないのです。教師や親に明るみに出るまでは、ある程度子供同士でのやりとりになりますので、ほとんどの案件を暴力でねじ伏せられてしまう。辛い現実でした。

 

頭が良い

国語や数学に関わらず、全般的にテストの成績は良かったですね。毎回、取る点数は全校でも上位クラス。しかも身体能力まで高いので自ずと成績表も良くなります。教師的には「できる子」に映るわけです。

 

勉強だけじゃありません。教師の前での振る舞いも実にしたたか。愛想をふるのは当たり前、歯向かうことなんてしません。もちろん、そのような場ではいじめの素振りは一切見せない。

 

何度か教師にSの蛮行を直訴しましたが、信じてもらえませんでした。「あの子がまさかそんなことをするはずがない」と。逆に僕の虚言を疑われるほどです。これにはやり切れませんでしたね。

 

親にも言えない

早いうちに親に訴えればよかったのですが、子供の間で「親に言うのは卑怯、負け犬」という風潮がありまして、僕も負けず嫌いだったせいか相談に踏み切れずにいました。とにかく耐えて耐えて。本当に限界にきてどうしようもなくなった時に1度、相談したことはありましたけれども、基本的に自分でしょい込んでいましたよ。

 

どんどん追い詰められていって最悪のケースに陥る悲しい事案が後を絶ちませんが、そういうニュースを見て思うことは「この子は家にも逃げ場がなかったのかな」ということ。心を痛めます。限界まで来たら、最後の砦である親にすがるのが普通です。その普通な環境ですら与えられなかった子の非業の死。

 

親に直訴して明るみに出てからも、その後の学校生活では辛いのですよ。「あいつは負けた。負け犬だ」なんてレッテルを貼られて、ことあるごとに皮肉られる毎日が待っているのです。弱者であることに変わりはありません。それが嫌で一人でしょい込む子も少なくないと思いますよ。

 

マインドコントロール

暴力一辺倒の馬鹿なら、まだ可愛げがありますし早いうちに芽を摘まれるものです。ジャイアンのようなタイプがわかりやすい。しかしインテリいじめっ子はこの型にはまらないのです。僕もひたすら殴られるようないじめなら、学校に行くことは止めていたでしょう。しかし、そうではなかった。

 

時にはこんな甘言もあります。「実はお前のことが好きなんだよ。あの時はひどいことをしてごめんな。今日もうちでゲームするから、遊びに来いよ」と。これを聞いて僕の心は毎回揺れるのですね。「何をいまさら、外道め!」という気持ちと、クラスで実験を握っているSからの誘いという、自分の立場を守れるかもしれないという淡い期待。その狭間で揺れ、結局は遊びに行くのですよ。

 

まぁ、大抵は身動きが取れないようにされて多数に棒のようなもので叩かれたり突かれたりして、己のふがいなさに涙するパターンが待っているのですけれども。じゃあ行くなよ、と思われるかもしれませんが、Sとの学校生活は永遠とも思えるくらいに長く続くのです。そのことを考えると、恭順せざるを得なかった。そんなに強くなかったのです。抗える腕力もなかったし。

 

帰り際にはまた甘言です。「みんな酷いな、俺はやめろって思ってた。負けるなよ」なんて。いやいや、お前が扇動していたのは馬鹿でもわかるよ、ふざけやがって!なんて思いつつも、その見てくれの優しさで僕の心はまた揺さぶられる。こんなことが何年続いたでしょうか。

 

その後

中学校を卒業して、やっとその呪縛から逃れた僕は、Sのその後をつぶさに知ることはありませんでした。

 

成人して間もなくのころ、一本の電話が。懐かしのSからです。「パチンコの玉を持ち出して換金する方法を知っている。一緒にやらないか」という犯罪行為への加担勧誘でした。さもありなん。もちろん、丁重にお断りしました。

 

その後のSがどうなったかは不明。とっ捕まったかもしれないし、まっとうに生きてるかもしれない。

 

弱い個体を守ってほしい

僕はまだメンタルが脆弱ではなかったので、心を病むことはありませんでした。それに最後の砦である「親」がいましたから。プライドを捨てれば生きていくことは可能でした。

 

しかし、生まれながらに打たれ弱く、暴力や悪意に晒されて心が駄目になってゆく個体もいるはずです。それとあわせて家庭への逃げ場が無くなったとき、小さな命が散る最悪のケースになりかねません。

 

子供のいじめというのは、未経験者が想像するよりもずっと陰湿で複雑です。僕の時のように、マインドコントロールを使いこなす狡猾でインテリないじめっ子もいます。ですから、少しでも危機感を持って決定的な対処を打ち出すくらいの覚悟を常に持って欲しい。これは教師にも親にもお願いしたいことです。

 

子供は無力なのですよ、自分の力で生きていくことは法的にも不可能です。いやなら止めろ、が現実的に難しい立場にいます。非常に閉鎖的な社会に生きている弱い子供たちを、どうか守ってあげてください。無理に集団に馴染ませようとするエゴも捨ててください。子供のために、独自の道を模索する労力を惜しまないで。

 

法務省のいじめ防止啓発漫画がユートピア過ぎるのだが

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法務省:マンガ(みんなで「いじめ」をなくそう)

 

元いじめられっ子として、法務省のいじめ防止啓発漫画について感じたことを書きます。

 

反論のハードルが高い

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今西君はいじめっ子の恫喝に対して、怯えながらも反論します。これは大変に勇気のいること。このあとに「味方が現れる」という要素がバックボーンにあるかないかで、このフェーズに移行できるかどうかが分かれます。親や教師が理解を示し、柔軟な対応をしてくれるかどうかの影響も強いでしょう。

 

僕がいじめを受けていたのは20年も前の話ですが、いじめっ子は狡猾でした。ジャイアンのようなステレオタイプで単純な馬鹿ではありません。親や教師を含め、根回しや愛想を振りまくなどの地固めも、いじめと並行して行っていました。

 

ですので、このように反撃へと転じる素地を作るのは、非常に困難なのです。この時点で現実味は薄い。

 

味方が現れない

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そもそも、権人君が現れる可能性が低いです。

 

周囲の人間も、自分の身の安全を最優先に考えることがほとんどです。危険を冒してまで弱者であるいじめっ子を助けようなどということはしません。いじめグループが常日頃から地固めを怠っていなければ、この傾向はさらに強まります。

 

また、義務教育において長期間同じ学び舎で過ごす人間関係の同調圧力というのは、想像を絶するものがあります。卒業間近で「この際だから」このような言動に及ぶことはあるかもしれませんが、それでも今後地元の人間関係に影響を及ぼすことを考えると、いじめられっ子に加担することは稀でしょう。

 

少数派の誰かが義憤により衝動的にいじめられっ子に加担したところで、それに賛同する人間が増えない限りは、その人もいじめのターゲットになります。

 

ステージは復讐へ

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いじめグループの面々を見ると「えへへ、ごめんね」といった感情が見て取れます。しかし、実際にこのような気持ちへ即座に切り替えることはできるでしょうか。

 

感情のコントロールもままならない、年端もゆかぬ子どもが、自分の主張を「クラス全員の意思」という多数決に押しつぶされるのです。怨嗟の感情は起きてしまうでしょう。

 

このあとは恐らく復讐のフェーズへ移行します。いじめられっ子が「いじめられた」という逆恨みを今西君に静かに激しく募らせ、目に見えない陰湿な攻撃へと移行する可能性があります。

 

また、いじめグループが次の標的になり、新たないじめが発生する可能性もあります。そうなれば、次はグループではなく、クラス全員がいじめっ子となります。

 

結論:現実味がない

いじめを受け、行き詰っている子供がこれを見た場合に憤りを感じかねない構成です。現実味がなさすぎるのですよね。

 

これを考えた人は、おそらくいじめを受けたことがないのでしょう。もしくは、漫画通りステレオタイプの漢気溢れるいじめっ子しかいない時代に育ったか。

 

なんせ花が咲いてます。これはユートピアですね。ファンタジーにしても面白味がなさ過ぎます。人間の純粋な悪意というものを直視するなといわんばかりの出来です。

 

公的機関が発するものとして、いかがなものかと思います。リアリティがありすぎるのも良くないですが、ここまで絵空事に仕上げるのも非常識ではありませんか。

 

いじめは多数決で起き、教師も多数の一である

皮肉なものですけれども、スクールカーストというのは多数の言葉なき意思により形成されます。その結果、今西君というスケープゴートを作り出して攻撃し、多数の安全が守られる。川が高いところから低いところへと流れるがごとく、自然な現象です。

 

残念ながら、教師は生徒を守ってくれません。個人を守った結果、全体に綻びが生じると判断し天秤にかけた結果、いじめられっ子を見捨てるという選択肢を選ぶ。

 

自分の立場を危うくさせるので非介入を貫くといった惰弱な者もいるでしょう。人間ですのでその弱さはわかりますが、職責として介入が妥当であるならば、全うして頂きたいものですけれども。

 

僕がいじめを受けた時は、教師が守ってくれるようなことはありませんでしたよ。いじめっ子の手中にありましたからね。定年間近で大過なく職を全うしたいという逃げの姿勢も感じ取れました。

 

後記

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多数決により生じたいじめを多数決で解決することは難しい。なれば、いじめられた子供が絶望の淵に立たされる前に環境を変える必要があります。具体的には集団から引き離すのです。

 

社会に馴染めないから、という理由で劣悪な人間環境に暴露した結果、最悪の行動を起こすことも考えられます。それだけは避けねばなりません。

 

誰でも手をつないでコミュニケーションをとり、円滑な人間関係を築ける、などとは考えぬことです。それは個性を潰す思想。馴染めぬ子供もいるのです。それは現実として受け入れるべきでしょう。

 

集団に無理に所属しなくとも、自分らしく生きていくことは可能である。自分らしさを伸ばしていけばいい、あるがままで尊い。この意思が少数派である児童の心に伝わり、自尊心を育んでいける体制を作るべきです。