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ポジ熊の人生記

雑記ブログの育て方をメインコンテンツに、時事オピニオンや書評などを日々更新中です。

「消えたい」被虐待者の世界~幸せは食べ物が美味しくて良く眠れて人と関われること

本-メンタル系


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僕を含め多くの人は自分の存在を疑わずに生活していると存じます。

ここにいるのは当たり前、夜は寝れるし食い物は上手い、会えばうれしい人がいる。

でも、虐待を受けた人たち(以下「被虐」)は、どうやらそうじゃないみたい。

虐待とは

児童虐待の防止等に関する法律(2000年)によると

1 身体的虐待

2 ネグレクト(養育放棄)

3 心理的虐待

4 性的虐待

に分類され、

『消えたい』著者の高橋和巳氏はこれらに加えて

5 心理的ネグレクト

を挙げています。

さらに虐待かどうかを判定するにあたっては

継続性・異常性

母親の精神状態

を考慮することが重要であると説きます。

以下、各項目について説明します。

1 身体的虐待

殴る、蹴る、放り投げる、振り回す、突き落とす、窒息させる、タバコの火を押し付ける、熱湯をかける、閉所に閉じ込める、長時間屋外へ放る、外出を厳しく禁じる、長時間同じ姿勢で拘束 など

継続性:一過性のものではなく数か月~数年に渡るか否か

異常性:度を越しているもの(骨折や大量出血を伴うなど)

2 ネグレクト(育児放棄)

食事を与えない、病気を治療しないなどで子供の健全な育成を放棄

同年代の平均体重や身長よりも明らかな未発達状態やるいそう、極度の不潔状態になる など

思春期に近くなると被ネグレクト児は自らを守るようになるそうです。

3 心理的虐待

無視、著しい拒絶や暴言、脅迫

他の兄弟とあからさまな差別をする など

継続的な心理的虐待は深い傷を残すが、身体的虐待やネグレクトと違って外見からは判断がつかないため、発見が難しいのが問題です。

4 性的虐待

継続性の問題ではなく「ある」という事実だけで重症度4以上の虐待

性的行為の強要、性的な関心で身体を触る・見る、ポルノの被写体にする など

思春期以降から解離性障害を起こすことが多く、成人してからも性的被害やDV被害に遭いやすい。

5 心理的ネグレクト

親が子との間に愛着関係を築けない。無関心。

共感や気持ちの寄り添いをしない。子の気持ちを読み取れない。

ほかの4つの虐待すべてに心理的ネグレクトが含有する。

 

ーー

以上、虐待の分類について説明しました。

次に、僕ら「普通の」人間と被虐では世界に見方がどう違うかを説明します。

 

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辺縁の世界

母親との間に愛情を受けた子供は、それを基盤にアイデンティティーを確立し、社会に出て自分の存在をより鮮明にしていきます。ここは周囲との対比(承認や競争などの比較)で培われます。喜怒哀楽を感じながらも歳を重ねていくでしょう。

 

では、被虐は?

 

母親との愛着を築けなかった彼らは基礎が盤石ではなく、アイデンティティーがぐらついています。ですから、どこか宙に浮いたような不安定な精神状態となり、他者との関わりにおいても深い関係を築けなかったり、喜怒哀楽など感動や悲しみで涙を流す感覚が薄くなる。

 

「普通の」人の人生観や夢を熱く語るところを見て、共感できません。「この人、何を言っているのかな」「そんなものなんだろうか」「よくわからない」このように感じる。綺麗なものは綺麗であり、辛いことは辛いという世間では当たり前のように共有している感覚を持ちえないため、周囲との差に苦しむことも多々あります。

 

この世界には3つの同心円があり・・・

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まずは「普通の」人が生きている世界、心理カプセルです。ここでは共通の規範や意識を持って人生を生きるエリア。自分の存在は疑いようがなく、他者や外界との比較でアイデンティティーは浮き彫りになります。

 

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外側には「辺縁の世界」「宇宙」という同心円が広がっています。

 

被虐により母親との愛情を築けなかった人は「辺縁の世界」を漂い、アイデンティティーが不安定なため宙に浮いたような感覚となります。

心理カプセルと同期して生きようとしても世界観が違うため、齟齬に大変苦労します。その中で語られている当たり前のことは、どこか別世界のように感じてしまう。でも、社会は心理カプセルを中心に動いているから、合わさざるを得ない。苦しいジレンマですね。

 

心理カプセル内で生きる人にとっては、「辺縁の世界」も「宇宙」も理解することが難しい未知なるゾーンです。何故ならば自分の存在を疑うなどということはないから。だから、辺縁の世界に生きる人たちを「変人」として奇異な目で見てしまうのです。

 

では、辺縁の世界の人にとって死生観はどのようになっているのか。特に「死」について考えてみたいと思います。

 

独特の死生観

我々にとって死は人生の終着で、そこに恐怖を感じます。自分の存在がなくなるという未知なるものへの恐れがある。

 

また、とても苦しいときに「死にたい」などと感じることもある。壮絶ないじめや病苦、最愛の人を亡くした時などですね。ここには「苦しいから楽になりたい」という苦痛を逃れたい気持ちがあり、これはすなわち自分が存在しているからこそ感じるもの。

 

では、被虐はどう感じているか?

 

それは「死にたい」ではなく「消えたい」だそうです。

 

「死にたい」は、生きたい、生きている、を前提としている

「消えたい」は、生きたい、生きている、と一度も思ったことのない人が使う

ー高橋克己著『消えたい』より

 

僕らの「死にたい」は被虐には理解が難しいのです。母親との愛情を築けず安心というものを知らない彼らは、そもそも「生きている」という実感すらない。だから、「生きる」を根源とした辛い感情に寄り添うことはできません。

彼らにとって「死ぬ」ことは「消える」こと。だから心理カプセル内にいる僕らが感じる「死への恐怖」という感情が湧き起こらないのです。

 

子供の頃に安心を得られずに「生きている」ことすら曖昧になった人の気持ちを理解することが、いかに難しいかがおわかりですよね。僕らの常識は通用しないのです。

もし、明日の朝に神様が現れて「お前はお前じゃないんだよ」と言われてそれが事実だとわかったら、どうしますか?

自分が自分ではない。じゃあ、自分て何だ?きっと、想像をはるかに超える複雑な感情に苛まれることでしょう。今までの常識が全て崩れてしまうのですからね。

 

被虐がフワリと自死を図ることがありますが、間一髪で助かったあとに話を聴くと「花畑に行こうとした」「光がさす方向へ歩いただけ」などと述べることもあるそうです。僕らの感覚では、到底図れるものではないのですよ。

 

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被虐ママ

被虐も母親になります。

そこで「普通の」母親では生じない心理状態を述べますと

子供がいらない、と感じる

「ママ」と呼ばせたくない、呼ばれたくない

などですね。

 

母親自体がその母親から愛情をもらえなかった。安心が欲しくて母親を頼ったのに、裏切られ孤立した。だから「愛情はそもそももらえないもので、諦めたほうが良い」というものが根底にできあがる。だから人からの愛情も受け取れない。子供が自分を頼ってきても、その信頼が怖い。子供「からの」愛情を拒絶したくなって、いらない、となる。

 

「ママ」と呼ばせたくない理由は世間の共通言語としての「ママ」と、かつて自分の母親であった「ママ」とは明らかに意味合いが違うと考えているため。世間のママは優しく安心できる存在、自分のママはその逆。だから、自分がママと呼ばれると子供を愛せない人間という烙印を押されるようで、呼ばれたくなくなる。

 

簡単に説明するとこんな感じです。

 

これ、子供に限らず男女の恋愛がうまくいかない人にも共通している気がします。誰かに好意を向けても、裏切られるのが怖くて踏み切れない。逆に誰かから好意を寄せられても愛情を知らぬがゆえに恐怖心に駆られ拒絶してしまう。

極端なケースはおいといて、少なからず愛着障害で「普通の」愛し愛されができない人は、結構いるんじゃないですかね。

 

ちなみに僕は自分が軽度の愛着障害を持っていると感じていますよ。まず他者に興味が薄い、そして実の子供にもそこまで愛情を持てないのです。

被虐ではありませんが、幼少期の愛着構築において何らかの要因があるのではないかと考えてます。もしかすると、多感な時期に同級生から虐めを受けていたのも影響しているのかもしれません。

良くわかりませんが・・・(´・ω・`)まぁ、他者に共感できなかったり感情欠落するような重症じゃありませんし、社会生活を送る上では支障はないのですが。

 

幸せを感じるには

食べ物が美味しい

良く眠れる

他者とのかかわりを持つ

 

これ、普段当たり前のように享受している感覚でしょうけど、すごく幸せなことなのです。心理カプセル内ではこれを得られて当たり前、さらに競争で勝つとか富を得るなどでさらなる社会的喜びを獲得しようとする。これは欲深いのではなく、安心を基盤としたアイデンティティーがあるからこそ次なる欲求へ向かうといえそうです。

 

辺縁の世界に生きる人には、食べ物の味すら意識したことがない人も大勢いるそうですよ。カウンセリングを受けてやっと「美味しい」と感じるようになり、良く眠れるようになり、そして少しずつでも他者と関わっていく。この中で彼らが感じることは「自分が「在る」ことを認めるって、こんなに素晴らしいことだったんだね」という感覚です。

 

生きているという実感。自然の風景や人の波を見て外界を認識できる喜び。これを取り戻せば、もうそれだけで「幸せだ」と感じることができるようです。心理カプセルの中にいる人がすっかり忘れている、当たり前の幸せを、辺縁の人たちは感じ取ることができる。「普通の」人よりもその能力を得る力が強いそうです。

 

「幸せって何だろう?」なんて漠然と考えている人は、当たり前のように得ていることを、いまいちど考えてみたらどうですかね。満天の星空を眺めてぼんやりしてみたり、人込みを見つめて他者に想いを馳せてみたり。いちど自分の中の「心理カプセル」から離れて、当たり前だった食べる、眠る、関わりというものを俯瞰的に意識してみましょう。

 

自分がいかに幸せか、知ることができるはずですから。

 

被虐が人生を取り戻す具体事例など

高橋和巳著『消えたい』こちらを購入して読んでください。

 

多くの被虐者が精神科医である著者のカウンセリングを受けて、心理カプセルで生きる感覚を知り、人生を取り戻す過程が数多く紹介されています。

 

カウンセリングを受けた被虐がまず言われてパラダイムシフトを起こすのが「それは酷いことをされましたね、虐待です。今まで頑張ってきたのですね」という言葉をかけられたとき。「ああ、虐待を受けていたんだ。僕は愛されていなかったんだな」って自覚するところから人生は再スタートしています。

 

今まで緊張して生きてきた人生、とにかく我慢することで社会での存在を保ってきた自我が崩壊する瞬間です。その後は、新たな自分を獲得するためのいばらの道が広がっています。しかし、それを乗り越えて「自分は存在して良い」ということを認められれば、自分を責める気持ちが薄れていき、当たり前のことに幸せを感じられるようになるそうですよ。

 

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おわりに

心理カプセルに完全に包含されて生活している人と、僕は少し位相が違う気がしています。先述しましたが、僕には少なからずの愛着障害があるし、世間一般では悲しくなることに対してもどこか冷めた感覚を持っている。これは過去に色々なことがあって、このような性格形成がなされたのでしょう。

 

  • 共働きで両親が忙しかった
  • 兄弟従妹と比べられることもあった
  • 学童時に虐めにあった
  • 社会人になってから長期間社会から離れる機会があった

 

虐待を受けたわけではありませんが、それでも「辺縁の世界」に少しはみ出した僕も異邦人の一人なのかもしれません。

常に緊張している、リラックス状態が少ないのも自覚があります。パワフルなのは良いのですが、やっぱり静かに落ち着いて心理カプセルから離れる機会があってもいいんじゃないかと思うのですよね。でも、自分の気質はなかなか止められないのが現状です。

だからといってカウンセリングを受けなければいけないほどに社会生活がままならないわけではないのですけど。人間、安心できる場所ってのは大事なんですね。今の僕にはそれが「誰もいない自分の家」になってます。ここで疲れた精神を調律するのでしょう。

 

まぁ、こんな感じで「少し自分は違うんじゃない?」って感じる人も、『消えたい』読んでみると良いですよ。自分は子供の頃に愛着を築けたのか、安心を獲得できたのだろうか。もしかすると被虐かもしれない。こんな風に悩む人への大きなヒント、助けになることは請け合いです。

 

今回の記事を書いたキッカケは、自分の友人にもおそらく被虐だろうという人がいるのですよ。んで、やっぱり普通の人とは違う感性を持っていて、僕らの言うことをいまいち理解できないことも多々あった。こういう人たちはどういうふうに世界をとらえているのだろうか、また、未来はあるのか。もし、僕にできることがあるなら、被虐が見る世界を書籍でもいいから知っておこうと考えたわけです。

 

結果、大変重要な知見を得ました。良書だったと、間違いなく断言できます。

ただ、書籍の内容が他人事じゃなく、「辺縁の世界って、実は僕が少しはみ出しているグレーゾーンなんじゃないの?」って予想外に思わされたのには驚きを隠せませんけどね(笑)

 

でも、読んでよかった。

幸せって、すごそこにあるんだねぇ。

 

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