ポジ熊の人生記

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孤独は人を強くするけど、縁に恵まれなければ孤立になる

孤独と孤立、似てますよね。

改めて辞書を引いてみると

孤独

仲間のないこと。ひとりぼっち。

孤立

他とかけはなれてそれだけであること。ただひとりで助けのないこと。

広辞苑第6版

とあります。

おや、僕的には孤独は自分の意志で一人になることを指し、孤立は諸事情によりそうならざるを得なくなった窮状を指すものとばかりと思ってました。辞書は引いてみるものですね。

ひとりが好きな僕はどちら?

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今もひとりでだだっ広い居間の片隅でノートパソコンと向き合ってますが、ひとりが好きな僕は孤独と孤立のどちらに分類されるでしょうか?

さきほど辞書で引いた限りでは、どちらにも当てはまると言えそうですね。ひとりぼっちなわけだし、他とかけはなれていわけですから。

この時点ではどちらとも言えないですね。孤独、孤立。これは辞書で引くだけでは線引きが難しそうです。では、新たな線を引く基準を見出さねばなりません。

おそらくそれは、縁でしょう。

縁。例えば、ひとりでいるにしても、今僕の心臓が急に停止したとして、いつ亡骸が発見されるのか。その速さも尺度になるでしょう。ここまで極端にならなくても、職場へ行く予定の日に行かなければ、連絡がつかないとして自宅まで訪ねてくれるだとかも判断基準になりそうです。

さて、今の自分はどうか。おそらくですが、1日でも仕事を無断で休み、職場へ行かないことがあれば、自宅まで誰かが訪問してきて、親の元へ連絡がいくでしょう。そして、警察への捜索願あるいは施錠された自宅内への突入が敢行されるに違いありません。これは大変ありがたいことです。縁によって、長らくの社会的な死を、他者に認知されない死を免れるということなのですからね。ここらへんに、サラリーマンの強みが潜在していると思います。

孤独は人を強くする

少し話はずれますが、僕は孤独というのは悪い言葉とは思いません。自分で選択して、ひとりでいる。これは、大変に尊いことです。他者といるのが煩わしい、というのが大きな理由でそうしている人も大勢いるのでしょうけど、それだけじゃなくて、自分との話し合い時間を設けたいという人もいるでしょう。

喧騒から離れて、誰かに気を遣う場所を避け、TVも音楽も流れていない静かな場所でひとりの時間にふける。そうしているうちに、その日起きた嬉しいことや嫌なこと、その日じゃなくても昔の整理のついてない記憶でも結構です。そういうものたちと真正面から自分として向き合い、気持ちを落ち着けるのです。

こうしているうちに、明日を生きる元気が湧いてくる。整理がついていないうちに、多忙な日常に身を投じていると、心身が摩耗してしまいます。人によって擦り減り方は違うのでしょうけど、僕はひとりの時間がないと駄目だ。静かなところで、まとまった時間が欲しいです。そして、内省する時間を設けるのです。こうすることで、世間という荒波の中に身を投じてでも、心を壊さずにまた安心できる静寂な孤独の場所へ還ることができるのですから。

「私は誰かといるほうが元気になるよ」って意見もあると思います。これについては個人の性格の違いでしょう。誰かと居ると充電できる人もいるんです。というよりそういう人のほうがどうやら多数派らしいですね。ひとり好きの僕にはちょいと理解が難しいところですが。ただ、そういう人たちに忠言、といえば偉そうですけれども、こう言いたい。「たまにはひとりになって、内省してみてはいかがだろうか」と。

TVや音楽、雑踏に身を投じてそこで安心できるパーソナリティなのかもしれませんけど。自分の中の心と対談する時間は、いつ設けているのですかね?そういう人に限って、どうも内面世界のあれこれを論ずるにあたり、壁にぶち当たっている気がしてならないのです。ちょっと、自分との話し合いが足りてないんじゃないですか?

四六時中、哲学の話をしろとかそういう極端なことを述べたいのではなくて、周りに喧噪な人や環境を置くことによって自分との対話の機会を逃し、もしくは避け、ものごとの核心に至るような内省を経ずして世間の上辺の情報に翻弄されて他者に寄り添う想像すら起こせなくなっているのではないかと想像するのです。思い過ごしなのでしょうか。

もちろん、普段ひとりを好んで内省している哲人のような人でも、バランスが大事なのだろうとは思います。定期的に誰かと会って、コミュニケーションをとって、気を遣って、慮って、声を出して、そうやって世間に馴染むことは大事なことだと思います。モンテーニュの塔に籠って書物を読み、ひたすら自分と向き合い哲学をするのが健全な身とかと言えばそんなことはないです。要はバランスなのです。お互い様です。喧噪、そして他者との群れを好むパーソナリティにおいては、時折自分と向き合う内省の時間を作る必要がある。自分と向き合い、ひとりの時間を好むパーソナリティにあっては、時には誰かと過ごし、刺激を受け、喧噪の中に身を投じてもそこに楽しさを見出せるような境地に至るくらいの達観を目指す心構えを持つべきなのかなぁと。

孤立は人を追い詰める

冒頭の辞書で定義した孤独と孤立では説明がつきませんが、当記事ではその分水嶺として「縁」というものを挙げました。

  • 家族の縁
  • 地域の縁
  • 行政の縁

この3つが、貧困に陥らぬための要諦であると鈴木大介氏は申しておりました。

僕は、ここに新たに「職場の縁」を掲げたいと存じます。というのも、先ほどお伝えした通り、まず僕が音信不通になって気が付いてくれるのは職場なのです。家族や友人知人は、数か月もすれば疑問に思ってくれるのでしょうけど、それでは身体が腐ってしまいます。でも、職場は違う。来る予定の日に来なければ「あれ?」と気が付いてくれるのです。この縁はとても大きいですよ。

縁がない人が孤立する

人間は、縁がないと駄目になります。今、こうしてひとりでいることを許してくれる環境があるのは、ひとえに縁があるからです。もし、僕が天涯孤独で無職であるならば、きっと不安でたまらなくなって、誰かと繋がりたいという気持ちが強くなるでしょう。

でも、そうじゃない。家族も健在、友人知人とも連絡がとれる、行政手続きも自ら調べて行うことができる、職場がある。こういった縁があるからこその、我がままを許される形での独居であり、「ひとり」なわけです。経済的にも、精神的にもそうです。そうした中で、ひとりでいることによって内省を繰り返し、たまには表に出て行って誰かとコミュニケーションをとることによって人の素晴らしさを再認識し、また沈黙の寝床へ還ることができる。これほどに幸せなことはないんじゃないかなと思うんです。

「ひとり暮らしだけど、寂しくないし人生エンジョイしてます♪」

って人は、きっと身寄りがあるか、コンタクトを取らなくても定期的に誰かからお誘いのある人望の厚い人だと思います。僕もそうです。幸運に思います。

「ひとり暮らしで寂しい、けど誰とも会う人がいない」

って人は、きっと縁に恵まれていない。こういう人たちを僕は「孤立している」と考えます。このままでは闇に飲まれてしまいます。友人知人がいなければ、とりもあえずもどこかにヘルプサインを送るべきではないでしょうか。・・・とはいっても、「孤立」しているのですよね。どこに手を差し伸べても良いかわからない。出口のない迷路に迷い込んでいるような、苦しい戦いを孤立者は強いられていることと存じます。

国や自治体が主導となって、こういった孤立者に手を差し伸べることは言うまでもなく、あなたの身の回りで「孤立」で苦しんでいるような人が友人知人になったのであれば、あなたには是非とも相談役になっていただきたい。

孤独っていうのは、それを良いものとして享受できるのは縁に恵まれた者であり、そうじゃないものは孤立者として窮地に立たされているものなんです。

 

人間が最も不幸な状態は孤独

最も不幸なのは孤独じゃなくて「孤立」じゃないのかな。容姿がどうあれ、愚痴ったり悩み打ち明けたり同じ趣味の話題で盛り上がれる友人知人がいるかどうかも幸不幸の分水嶺。

2017/08/25 16:59

 

貧困者が自己責任であるという人は、まずこの本を読んでください - ポジ熊の人生記