ポジ熊の人生記

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教会へ行って心が軽くなった時の思い出話

「子供が近所の教会のクリスマスイベントに参加したいらしいので、連れてってや」とう元嫁からのミッションをこなしてきた時の思い出を。

小さくて古い教会

おそらく40年以上は経過しているであろう、一般住宅の2階に礼拝堂を無理やり乗っけたような小さな教会だった。

前から存在自体は知っていたものの、時に気にも留めることもなく風景の一部と化していたんだけど、まさかここの門をくぐることになろうとは。

 

教会のイメージ

牧師さんがいて、祈りたい人は椅子に座って静かに祈りをささげているイメージ。ステンドグラスにパイプオルガン、壁にはイエスキリストや聖母マリアの絵。

キリスト教(色々宗派はあるんだろうけど、詳しくないからここでは統一)へのイメージとしては「宗教勧誘している熱心な信者たち」といったもので、正直、自分の中で芳しいものではなかった。

もともと、スピリチュアルなことに関心を示さない人生を送ってきた。仏教や禅の思想に傾倒している今では考えられないのだけど、かつては「物質こそすべて、金こそパワー」とガチで思い込んでいた時期もあったんだ。

 

当日のこと

訪問

玄関をくぐる。

チャイムも鳴らさずに「こんにちはー」と開けてしまう。

中から、人の好さそうな中年の女性が出てくる。

顔には静かな笑みをたたえて。

僕「今日はお楽しみ会があるということで、来てみたのですが」

言葉の裏には(信者じゃありませんが、参加良いですか?)というものを含んでいたように思う。

それを察したのか、さらにニッコリと笑う女性は、僕と子供を2階の礼拝堂まで案内してくれた。

そこはとても狭く、イメージしているような礼拝堂ではなかった。長椅子が5~6脚程度だろうか。ステンドグラスもなければ、パイプオルガンなんてどこにも見当たらない。ほんと、古い民家をちょこっと改装したようなものだった。

壁には、イエスキリストだろうか、大きさは50cm四方だが、確かに厳かで見るものを釘付けにする力を持っていた。

 

ビンゴゲーム

市販の、おそらく100均で買ってきたであろうビンゴマシンをくるくると回す女性。BGMは一切なし。待つ間は、とても静かだった。

一人、また一人とビンゴを完成させていく。紙袋に包まれており、中身は想像するしかない。

僕のビンゴはかなり後半に完成した。先に当たった人へは「良かったね」という純粋な気持ちで拍手を送っていたが、当たらない子供は半べそをかいていた。仕方ない。

とにかく静か。BGMなしも拍車をかけているが、誰も騒ぐことがない。そもそも、参加者が10人以下しかない。こんな静かなビンゴゲームは、生まれて初めてかもしれない。

讃美歌

少し派手な衣装を着た、歌手とおぼしき女性がピアノの伴奏にのせて讃美歌を歌ってくれた。アメージングレイスと、きよしこの夜。10曲くらい歌ってくれたんだけど、タイトルを覚えているのはこれだけ。

とにかく、綺麗で透き通る声だった。あの狭い空間でこれだけのインパクトを持っているのだから、もっと広いホールではさらにその歌声が映えるのだろうな、というくらいに。

目をつむって、ただその声に身をゆだねた。

主への愛を滔々と

最後に、牧師さんがイエスキリストへの愛を滔々と語った。

主との出会い、そこから変わった人生、そして現在の主への強い愛情を語る牧師。

僕はそれを、黙って聞いた。

子供は子供じみた突っ込みを随所に入れようとしていたので、そればかりはきっちり静止した。

 

心が軽くなった

帰り際に、牧師さんへ挨拶。

僕「今回は参加させていただいてありがとうございました。心が軽くなりました」と。

牧師さんは、とても喜んでいたように思う。

牧師「良ければ、また来てほしい」力強い握手に添えて。 

讃美歌を歌ってくれた歌い手の女性にも、素直な賛辞を送った。いろいろなところでイベントで歌っているので、来てほしいと言われた。

 

これで、僕が帰依することはなかったけれど。

 

ーー

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不思議です。教会に来るまでは少しイラついた不安定な精神状態だった(子供の世話を終日していたため)のですが、帰る頃には穏やかな心を取り戻していた。

おそらく、あの静かなフィールドで自分の心を内観する機会を与えられ、イライラや焦燥といった負の感情が浄化されたのでしょう。

あるいは、教会の礼拝堂というところは、不思議な力が宿っていて、そこでは自然と心が軽くなるようなエネルギーが満ちており、その恩恵にあやかったのかもしれません。

 

なにはともあれ、心が軽くなったのは事実です。

 

もうひとつ、収穫があります。それは、キリスト教の人たちも、人生の中で自分がコレだと思うものを信じ、一生懸命に生きようとしているんだな、ということを知ったことですね。

宗教は関係ないですね。無宗教でも、人間ってやつは何かしらを信じて、それを拠り所にしてひたむきに生きている。それで、毎日を充実したものにできるのなら、別に何を信じてようが問題ではない。

だから、「宗教」と聞いただけでアレルギーを起こしてしまうような先入観は、早いうちに捨ててしまったほうが良いと僕は思います。これがあると、優しく真面目に生きている人たちを、曇った目で見てしまう。

 

 

教会にいた人たちが、何を祈っているのかはわかりません。

ただ、想像なんですけど、きっと他者の幸せがそこに含まれているような気がする。

あの人たちの笑顔と澄んだ目を見ていると、そう考えざるを得ないんですよね~。