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ポジ熊の人生記

雑記ブログの育て方をメインコンテンツに、時事オピニオンや書評などを日々更新中です。

住居を持たない方がマクドやネカフェなどで亡くなること

社会


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sosigayax.hatenablog.com

そしがや様、言及させて頂きます。

この記事では、香港のマクドナルドで座ったまま死亡していた男性の記事をとりあげており、日本でもこのような方が増ないことを切に願う、とおっしゃっております。

私もまったく同じ考えです。今回はこのことについて考えたことを文章にしてみました。3200文字以上です、長くなります。

※人の死に関して、リアルな描写があります。そのようなものを見て気分を害される方は閲覧を控えてくださいませ。

住居を持たない人たち

数年前ですが、ネットカフェ難民という言葉が流行りましたね。住居を持たずに転々とする低所得者が、ネットカフェを寝床としている社会の実情を捉えたものです。

 住居を持たない理由は人それぞれなのでしょうが、おそらく彼(彼女)らは家族、地域、社会制度、それら全ての枠から何らかの事情で外れてしまい、頼る当てもなくその日を生きているのでしょう。

所得格差が広がるなか、こういった人たちもまた、増加の一途をたどっているそうです。

 

次は、人間の最期としてこのような「ネットカフェ」に始まり、24時間営業の「マクドナルド」など、「自宅」以外で死ぬことについて、問題点などを考えてみました。

 

本人視点

本人視点では「無」でしょう。少なくともそれについて一喜一憂することはありません。もはや意識、主観がありませんから。死後の世界の有無についてはわかりません。

 

住居以外の場所で自らの死を意識した時に、寂寞の想いがあったりするかもしれません。これも本人視点の一部なのかもしれませんが、本当にそれが嫌ならば動けるうちにアクションを起こす方もいるでしょう。今回は「急逝」した場合を主に考えさせて下さい。

 

肉体をどうするかという問題はありますね。病院で亡くなったわけではないので、自然な死としては恐らく扱われません。なので、検死などを行って死因を特定したり、犯罪性の有無の確認が必要でしょう。

...これももはや本人が預かり知ることではありませんね。書いていてなにやら不思議な気持ちになってきます。

 

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店視点

こんな言い方はしたくありませんが、大変迷惑でしょう。死に場所を提供する商売ではありませんからね。死をタブー視するか否かの議論ではなく、店内で「人間が死んだ」という事実が発生することがとても煩雑です。

 

亡くなった方がいつから店にいるのか。様子はどうだったか。トラブルはなかったか。などなど、店側の関係者は詳細な事情を聴取されるでしょう。

 

亡骸を発見してしまった店員のトラウマも大きいでしょう。日常から亡骸や、人間が緩やかにでも亡くなっていくのを目にする職業の方であれば、いくぶんかは耐性があるかもしれない。

ですが、ネカフェ店員やマクド店員はそのような人ばかりとは思えません。最悪、精神状態に異常をきたし、以後の生活の質を低下させるかもしれない。店員だけではなく、他の客が発見してもこれは言えるでしょう。

 

のちのち、一番悪い影響が出そうなのは、「この店で人が死んだ」という噂が広まることによる売り上げの減少です。

営業中に店内で人が死んでいるのです。病院ではなく店内でです。これはちょっとした騒ぎになるでしょうし、救急車も呼べばサイレンと赤色灯を回して飛んできます。不自然死ですので、パトカーも当然来るでしょう。自治体の規模にもよりますが、おそらく4~5台以上は来そうです。

こうなれば噂が広まるのはあっというまでしょう。私が経営者であれば、これが一番頭が痛い問題と捉えます。自分の食い扶持も、雇っている従業員の生活も脅かすわけですからね。

 

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メリット

店側の立場を考えると、メリットなんてとても言えないのですが、ここはあえて私が思ったことを言わせてください。これをもって、「マクドやネカフェで人が亡くなっても良い」と主張しているわけではない、ということを理解してください。

 

亡くなっても早期(24H以内)に発見してもらえる。

 

これが最大のメリットでしょう。

 

アパートの1室などで孤独死されるかたの実情、ご存知でしょうか?

 

タウン誌などのフリーペーパーや新聞、DM等が郵便受けに貯まることで、付近住民や配達員が不審に思うところから事件は始まります。連絡を受けたマンションの管理人が合いカギを使用し、中へ入ります。ドアチェーンがかかっていれば、嫌な予感はさらに高まります。

 

室内で、生前と変わり果てた姿で住人が発見されます。今時期は暖房を焚かない限りは低温となりますので、御遺体の腐食は緩やかです。しかし、夏場、高温で多湿となる場合は、腐食が激しく、自家融解(布団やカーペットと一体化する)することもあります。こういう場合は、郵便物よりも先に腐敗臭で発覚することも多いです。

 

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さて、このあとが大変です。ノンフィクションの漫画も最近は出ているようですが、専門の業者を呼ばなければ、人間が腐敗した部屋というのは再使用が難しい。染み着いた床や壁だけではなく、建材にまで臭いがこびりつくそうです。

これらのあおりを受けるのはアパートの所有者や管理会社だけではない、上下左右、そのアパートに住んでいる人全員に被害を与えます。物理的には臭い問題もそうでしょうし、精神的にも決していいものではない。

事故物件となるだけではありません。現在住んでいる方が出ていくことにより、収益が大幅に低下することも考えられます。

 

こうして自宅で孤独死を迎えた人間が「腐敗する」ということは、社会に多大なる影響を及ぼしてしまう。悲しい事実です。孤独に生きて、最後は人に迷惑をかけてしまうのです。

 

ここで誤解のないように記述しておきますが、孤独死は悪ではなく、身寄りがなくても、一人で立派に生き抜いた人間の最期です。しかし、それの発見が遅れることによる「腐敗」という自然現象が問題なのです。これについては民生委員や地域住民の努力により未然に回避されることもあるでしょうが、それらではカバーできないところでこのような「腐敗」事案が起きてしまう現実を例に挙げております。

 

マクドやネカフェ亡くなった場合は、腐ることは稀でしょう。いつまでも半個室から出てこなければ店員が不審がるでしょうし、椅子に座って動かなければそのうち声の1つもかけるでしょう。腐るまで放置されるということは無い。

これでその人は朽ち果てて社会にマイナスの影響を与えずに御遺体を処理してもらえます。これはメリットです。(ただし前述の店視点のデメリットを除いて...)

 

人が死ぬ問題はイコール衛生問題に直結するともいえそうです。

 

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「住」はなくとも死に場所の提供が必要なのでは

重ね重ねになりますが、マクドやネカフェで人が亡くなることは肯定していません。むしろ避けるべき事態です。しかし、住居を持たない人間は少なからずいる。これが日本の現実です。

彼らは死ぬべき場所で死ぬことすら許されない、非業の人生を送っているようにも思えます。これから、こういった自宅外で亡くなる人は増えるでしょう。低所得者だって高齢化が進んでいます。高齢になれば血管障害などで急逝する可能性も格段にあがりますから。

 

行政と協力して考えていかねばならないのは、「全ての人間に死に場所の提供を」ということではないでしょうか。

 

お金がない→住む場所がない→然るべき場所で死ねない。この図式は余りにも悲しすぎます。

 

全ての人に住む場所を、というのは理想ですが、現実的には難しいかもしれない。それでしたら、身体的不安を抱える住居を持たない人間を一人でも多く拾い上げて、「死に場所を提供する」サービスも必要なのかなと。

 

「死に場所を作ろう」なんて言うのは簡単でしょうが、凄く難しい問題でしょうね。ですが、マクドやネカフェで人間が死んでいく世界はやっぱりおかしいと思うのです。だから、拙い表現でも、記事を書いてみたのです。私の気持ちとして。

 

住所不定者のターミナルケア問題を考える上での意識付けとして、この場を借りて投げかけさせて頂きました。

 

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