読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

ポジ熊の人生記

雑記ブログの育て方をメインコンテンツに、時事オピニオンや書評などを日々更新中です。

「起きて半畳寝て一畳、天下取っても二合半」という言葉について

うんちく

【シェアする】


f:id:pojihiguma:20170202201218j:plain

記事タイトルの言葉をご存知ですか?

「起きて半畳寝て一畳、天下取っても二合半」

何となく「清貧」を連想させる言葉ですよね。

そのお話を少しばかり。

由来

由来についてははっきりとしたことはわかっていません。韓詩外伝、織田信長、豊臣秀吉、禅寺小屋の引っ越し広告、夏目漱石、内田百閒などなど色々な説があるようですが、どれも不確かですね。

 

意味

次にWEBで言葉の意味を解説しているサイトから引用しますと

 

起きて半畳寝て一畳とは、人は必要以上の富貴を望むべきではなく、満足することが大切であるという教え。

起きて半畳寝て一畳 - 故事ことわざ辞典

 

人間が必要な広さは、起きている時が半畳で、寝ても一畳あれば足りる。贅沢(ぜいたく)は慎むべきであるという教え。

起きて半畳寝て一畳(オキテハンジョウネテイチジョウ)とは - コトバンク

 

このようにあります。

 

「天下取っても二合半」については

 

天下取っても二合半とは、あまり欲張るなという戒め。

天下取っても二合半 - 故事ことわざ辞典

 

また、いくら天下を取っても、一食に二合半以上の飯を食うことはできない。
人間が生活するのに、人間が生きていくのに、それほど多くのものはいらないということ。
必要以上に多くを望んでも、結局使うことができないので、仕方がないこと。
人間の際限のない物欲を戒める言葉。

名言ナビ - 起きて半畳、寝て一畳。天下取っても二合半。

 

とあります。

 

欲を戒める!

今回取り上げた故事ことわざはこのような意味があるようです。

 

僕の解釈

人間の欲望は飽くなき果てなきもので、ゴールすれば次のゴールに向かってしまう業を持っています。どこかで満足しなければそれは永劫続いてしまう。ですから、「起きて半畳寝て一畳」の教えはありがたく拝借し、咀嚼すべきだと思うのです。

 

ただ、清貧をむねとして慎ましく生きろ、というのはいささか出始めた芽を摘んでしまう危険性もはらんでいると思うのです。人間は幸福を追求する生き物であり、現代の社会に沿って良い職業に就いて高い年収を得て、それが幸福に直結するのであればそこへ向かうことを否定するべきではありません。少なくとも努力に冷や水を浴びせる社会ではあってはいけない。今、幸福になるべく勉学に励んだり利益を追求する人の勢いを止めることは不毛です。

 

ではこの言葉は今の時代、形骸化しているかというとそんなことはありません。この言葉から汲むべき真の意図、それは「生きているだけで良い」ということです。起きて半畳のスペースがあれば、寝るための一畳のスペースがあればそれで良いのです、それだけで人間というのは本来幸福であれる。このことを教えてくれる言葉なのかなと。

 

「天下取っても二合半」については、社長だろうとルンペンだろうと人間の価値は等しいということを謳っているのではないでしょうか。食べる量だって頭打ちがあってそれが人間としての価値の等しさを比喩しているのではないかと思うのです。ここには職種や立場などを超えた人類普遍の原理原則である「平等」が詰め込まれているのではないかと考えています。

 

「生きているだけで幸せ」の難しさ

綺麗ごとを並べましたけど「生きているだけで幸せ」ってすごく難しいことだと思うのです。もし、あなたが赤貧の家庭で障害を持って生まれて世間の差別を一身に浴びて生きていたら「生きているだけで幸せ」なんて思えますか?思える自信はあるでしょうか?

 

人間は自己を肯定、受け入れることができればその瞬間から幸せになれます。無職だろうが病気だろうがどんな状況でも受け入れて幸福感を享受することができます。でも、自分を受け入れられない人はどんな状況でもそれが得られないのです。いくらお金があろうが強靭な肉体があろうが蠱惑の魅力があろうが、自己肯定できなければ基礎のない豪邸のようなもの。グラグラして安定感に欠けるのです。人間は自分を受け入れて初めて「生きているだけで幸せだ」と思えるんです。

 

難しいんですよ。「起きて半畳寝て一畳、天下取っても二合半」という言葉を額面通り、もしくは僕のように自己解釈して取り入れることの可能な人間ばかりではないということです。いま、リアルタイムに自分を否定し続けて「生きているだけで幸せである」という至ってシンプルな方程式を身につけることのできない人たちが巷に溢れかえっています。

 

僕の身近にも自尊心が限りなく0に近い人がいて、他人の力で「無理やり」変えることは不可能だと思ってます。その人が「変わりたい」という気持ちを心の奥底から引き出す必要があるのかなと考えてまして、基本は傾聴であとは変化への導線をさりげなく敷く。これしか打つ手がないのかなと。

 

恵まれた家庭環境で行政・家庭・友人の3つの縁に恵まれた僕が、このような人の心に果たしてそどこまで寄り添えるかは不明です。もし、大切な人がそうなったら...ほんと、手探りで正直どうしていいかわからないと思う。動機付け面接法の本を読んだことはありますが、実務経験がないから自信はありません。

 

「起きて半畳寝て一畳っていうし、生きているだけで幸せだと思いなさい」なんて講釈をたれることは、とてもできないです、それが相手にとっての当たり前じゃないんです、自己という基礎自体がほぼない状況なのですから。

 

理想を語るのは簡単です、アドラーいわく「人は今この時点から幸せになれる」理屈ではわかってるんですよ、でもそれをすんなり受け入れるベースのある人とない人がいるんですってば。個別にアセスメントして、可能な限り無い脳みそ振り絞って介入していくしか他人を救うことなんてできないんです、多分。

 

身近で大切な人が、アイデンティティーの崩壊で立ちすくむことがあったら、僕は介入します。朝起きただけで「生きてる」って感じて幸せになれる幸運な人間ですが相手はそうじゃないんです。自分が幸運だったら全てOKじゃない、どうしたら自分以外の誰かに、「自分を受け入れて楽になってもらえるか」これが目下の課題です。

まとめ

  • 「足るを知る」は重要だよね
  • 「足るを知れ」は難しいよね

関連記事