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ポジ熊の人生記

雑記ブログの育て方をメインコンテンツに、時事オピニオンや書評などを日々更新中です。

他人や同期と比較して焦るな、戦う相手は己自身であることを知れ

心-主張・指摘


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最初にはっきりいっておきたい。

 

この記事は特定の誰かに向けたものではなく、むしろ僕個人に方向付けを与えようというものである。

 

上手く文章化できることを祈り、筆を進めよう。

 

同時期に始めたブロガーに対する思い

同期、というのは良いものである。かつて僕は「同期ブログ*1」というシステムを知り、そこに加入していた経歴がある。 加入にあたってはアクセス数の恩恵に預かりたい、ましてやブックマークを付けられたいなどという気持ちはほとんどなく、「時期を同じくしてブログを始めたユーザーに対する親近感」というのが加入同期の大半を占めていた。しかしそれが、古参ユーザーからの半ば互助会スパムの認定を受けることとなり、疑わしい振る舞いをした自責の念もあって、ほどなくしてそのシステムを脱会することとあいなった。

今考えれば、大変滑稽な話である。運営会社であるはてなブログが構築したシステムに加入したユーザーを叩くという行為は、つまり木にヒラヒラと付いている「葉」を一生懸命に燃やしたことに他ならない。少し考えてみると、問題があろうシステムの根源にその矛先を向けるのが至って自然な行為ではないのだろうか。「葉」を攻撃する行為に、いったい何の意味があるのか。僕という「葉」を攻撃したユーザーのうち、いったい何人の人間が運営に抗議のメールを送るなどアクションをかけただろう。そしてどれほどの割合が日頃の鬱憤を晴らす、または私怨によるものであったか。ここは想像するに留めておきたい。そのほうが何かと面白いから。

さて、話を戻すと僕は始めた時期が似ているユーザーに強い親近感を覚える。ブログ運営でいえば同じ事柄を共有してきた者同士のような、そのような捉え方をしている。だからこういった感情が湧くのだろう。

1年先に始めたものは「巧者」で、1年後に始めたものは「後輩」、こんな風に自分の中でくくってしまっているのかもしれない。この発想は不健全である。それは現在学んでいるアドラーの教えには反する思想。つまり今回のテーマは僕に対する戒めということになる。

同期だろうが先をいってもそれについて焦燥感を覚える必要はないし、これが本来目指すべき境地。なのだが、自分の中に少しの焦りを感じてしまっていた、という事実があったから、それを整理する意味で記事を書こうと思ったわけ。

ながーい前フリですなw

 

自分の中でアドバンテージと標榜する数字の差が焦りを強くする要因

 

ここからはブロガーAとブロガーBのたとえ話を主軸に記事を組み立てていく。

 

PV数が正義であり、これさえあればどんな誹謗中傷を言われようが俺は立っていられる!なんていうPV絶対主義者のAがいたとする。かたや同時期に始めたBというユーザーがいて、親近感を覚えつつもAには出せない独特の魅力で彼も己の道を確実に進んでいる。

日頃は意識しないBのことであるが、ある時、Bはアクセス数を公開した。B「先月のアクセス数は15万PVでした。内訳は...」これを見たAは驚愕すると同時に、かつて体験したことのない焦りを覚える。「同時期に始めたBが、俺よりも5万PVも多いだと!?何故だ!!」

どうしてAはこんなにも焦ってしまうのか。それはPV数というのがAの中で大きなアドバンテージだったから。それを稼ぐことこそがAにとっての正義だったから。それを同時期に始めたBに大きく抜かれてしまったことが、自尊心を傷つける衝撃に繋がったのである。

 

この場合、Aは根本的に誤った考え方をしている。焦る必要は全くない。ここを掘り下げて考えてみる。

 

Aが焦る必要のない理由

AにはAの課題があって、BにはBの課題がある。外側の事象「Bに数字でPVを抜かれた」事実に対して焦りを覚える必要はなく、基本的にAは「Aの課題」について向き合っていれば良いのいである。「上を見ればキリがない。下を見ても上がらない」ということだ。

何事においても、自分にとって優劣をつけるべきではない。つけた瞬間にその相手(物も含めて)は「闘争対象」となり、縦の関係が生まれるのである。つまり、「相手に抜かれた」という発想自体が、横の繋がり、つまり相手を同じ「ブロガー」として見れていないということになる。極端な話、征服の対象でしか相手を見れていないということになるのだ。誰にでも競争心・闘争心を抱いてしまう方、思い当たる節はないだろうか。自問してみると良い。

闘争自体がなぜ悪いのだ、という論者もおられるかと思う。それについての回答はこうである。「闘争の末の勝利は、優越感や復讐を生む」ことに繋がるからだ。ではなぜそれらに繋がると良くないのか、それは「他人と真の意味で解り合うことができない」ことへ直結するからである。

AがBに対して闘争を仕掛ける。今回の件でいえばPV数であるが、それについて越えよう、越えようと日々、励む。結果、Aよりも多くのPV数を稼ぐことができたBは、優越感に浸る。さらには言葉の端々でBに対して「まだそんなPV数なのか」というのが出てしまうかもしれない。

前者の優越感に係る弊害は、その後にBに対して上から目線で接してしまうことだろう。これでは本当の意味で解り合うことなどできない。後者であればBが復讐に燃え、反撃ののろしを上げるか、またはAの人間性に愛想を尽かせて去っていくかもしれない。これでは分かり合えないことは自明だろう。

以上のことから、AはBに対して焦燥感を抱くべきではないのである。

 

己の劣等感として取り込み、成長の糧にはできよう

AがBに対して焦燥感を抱いてしまうことに関しては、人間の根底にあるものが反射的に表出した結果であり、それ自体を止めるのは難しいと思われる。なので無理にこれを抑え込もうとすれば、いらぬ苦労をすることになるので非推奨。問題はその後である。

 

ルートは大まかに2つに分岐するだろう。

 

ルート1「Bを競争相手とみなし、ひたすらに追いかける」

 

ルート2「Bに悔しさを覚えつつ、自分の中にそれを取り込んで努力の糧とする」

 

さて、どちらを選択すれば自分の未来にとって有益かは言わなくてもお分かりかと存ずる。ルート1とルート2の差、それはBをどのような対象として見るのか、また、その後に誰と向き合うのかで明暗が分かれる。

1の場合は前述のとおりで、多くは闘争の行きつく先は優越感という見下しか復讐という次なる闘争の火種に辿り着くだろう。

2の場合はどうだろう。反射的に浮上した焦りの感覚は抑えようがない、またはよほど達観していなければ抑えることが難しい感情だと捉える。しかしながら、その後に自分の中で悔しさとして、劣等感として取り込み、矛先を自分に向けたのである。自分自信が悔しいから、成長したい、頑張りたい。つまり指標は己の中に生まれた。

ここで伝えておきたいことがある。個人心理学の創設者であるアルフレッド・アドラーはこう言った。「劣等感は劣等コンプレックスに非ず。捨てるべきは劣等コンプレックスであり、劣等感はむしろ成長のバネとなりうる」と。劣等コンプレックスというのは端的に言うと「どうせ僕なんか」でその場に立ち止まることである。これでは人間は前に進めない。そうではなくて、「悔しい」という劣等感をバネして進むことに対しては健全なものであると彼は言うのである。僕なりに解りやすく説明したつもりではあるが、ここらへんはじっくりと学ばねば理解しにくいところではある。記事末に紹介している書籍を参考にしていただきたい。

 

話の軸を戻したい。

 

つまり、誰かに対して悔しさを覚えるのは結構だが、それでその人を闘争相手とみなして追いかけるよりも自分の中にハードルを設けて己と戦ったほうが周囲の人間とも協調・調和でき、真の人間関係を構築できるということだ。

 

飛躍でもなんでもなく、真剣に僕はこう考える。

 

きっかけ(あとがき)

本来であれば冒頭に書きたい気持ちはあったが、記事のコンセプトを考えればここが妥当であろう。実は、これほどまでに具体的なインスピレーションをもって文章を書いたからには理由がある。

今朝、何気なく巡回していた定期購読ブログの中に、僕の焦りを誘発するものを見つけてしまったのだ。そのブログ管理人は僕の中では懇意だと感じているし、ここで名前を出してもきっと許してくれるであろうとの判断から、紹介させて頂こう。

blog.imalive7799.com

何を隠そう『あいむあらいぶ』である。

僕の中でブロガーとしてのアドバンテージは「読者数」だったりする。『ポジ熊の人生記』に関しては始めて4か月で440人越えというのが自分の中で誇るべき数字であったし、無意識のうちに周囲のブロガーとこれを比べて優越感に浸っていた部分は事実としてある。これはまさに今回の記事内で書かれたことがブーメランとして自分に返ってくるような思想であり、だから冒頭で「僕個人に方向付けを」と記載しているのだ。もともと闘争心が強く、人に食ってかかってしまう傾向がある自分。しかし、アドラー心理学と出会ってからは、その考えを改めつつある。真に人と分かり合うためには、闘争など必要ないのだ。全ての事象は平面上で起きており、その先を歩くか、後ろを歩くかでしかない。階段を登ることも降りることもないのである。この考えが自分に定着するには、生きてきた人生の何割かの時間を要するらしい。ここ1か月で出会ったアドラーの教えは、そう簡単には身につくものではない。だが、だからこそ、彼の思想は素晴らしく思えるし、今後の僕の人生を照らすことになりうだろう。今後もじっくりと学んでいく所存である。

話を戻す。『あいむあらいぶ』を閲覧してまず目に飛び込んできたのは「読者数」である。以前から僕の数字とデットヒートを繰り広げてきた。抜きつ抜かれつでやや平行に進んできたような気がする。しかしどうだろう。今では479人*2もいるではないか。いつのまにこんなに増えたのだ。僕のほうが、ついこの前まで優勢だったじゃないか・・・!?

過去の僕だったら、きっとこれで気を揉んでいたことだろうし、管理人のかるび(id:hisatsugu79)さんに対して尖った対応をしていたかも解らない。そこから闘争が生まれ、相手を打ちのめしたいという負の連鎖を起こしていたのかもしれない。でも、今は違う。確かに悔しかったし、焦りもした。だけど、そこからは僕の問題になった。自分の中にその悔しさを取り込んで、文章を書くバネとしたのだ。現に4300文字を越えるエネルギーを生み出したのはコレだろう。もう僕の中で征服対象としてかるびさんはいない。戦うのは己のみなのである。

 

誰かに対して焦りを感じたり、闘争する癖がある人。それは、自分の中にある劣等感の裏返しでもある。そして、相手と真に横の繋がりを構築する意思がなく、縦の関係で見ているにすぎない。それでもなお、誰かと戦いたいのなら止めはしない。繰り返す闘争と復讐の果てに何を見るかも、あなたな次第なのだからね。

 

願わくば、己と戦って頂きたい。征服すべきは他人じゃない、自分なのである。

 

以上。

 

 

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