ポジ熊の人生記

雑記ブログの育て方をメインコンテンツに、時事オピニオンや書評などを日々更新中です。

サラリーマンブロガーで生きてゆく

サラリーマン、斜に構えてやってたのは2年前です。

公私ともに色々ありまして、辞めてやろうかなと自暴自棄になっていた時期。

そこからブログに出会ってそれなりに収入を得て天狗になって、でもどこかで後ろ髪を引かれる思いがあったのは間違いありません。

今では?

サラリーマンで生きてゆく覚悟ができました。

いや、サラリーマンブロガー!

これがしっくりくる。

今回は、なぜ愛想を尽かしかけたサラリーマンを生きてゆく覚悟を決めたのか、ここらへんを自分の気持ちを探りながら書いていきます。

入社したての頃

こいつらの言ってることがわからない

毎日こんなこと考えてました。

 

  • 先輩に気を遣え?
  • 年長者を敬え?
  • 本音と建て前をわきまえろ?
  • 冗談を本気にするな?

 

すべてが意味不明でした。

定期的に外に引っ張り出されては、上司や先輩の説教です。「お前はありえない」なにがあり得ないのですか?と真顔で聞き返してしまったほどです。「とにかくあり得ない」説明になっていません。が、この場を終息させないと仕事にならないので、すいませんでした、とお茶を濁すわけです。こんなことを、どれほどの期間繰り返したでしょうか。

僕はとにかく本音と建前が苦手でした。この不文律が世間の大勢を形作っているのは何となく理解していたのですが、どうしても理不尽に感じてしまって、最悪上司とバトル、口には出さずとも顔に出て、そこを突っつかれるような状況です。自分の本音を隠して何が悪いのか、さっぱりわからない。その問いに対する納得のいく回答を提示してくれる人は、皆無でした。

先輩や年長者を敬えというのも、長らく意味不明。能力があれば若くても出世していくべきだと思っていましたし、無意識の中に人間の価値なんて入社年や年齢なんかじゃ決まるはずないって概念があったのでしょうね。

定年間近の準おじいさんが、なぜここまで幅を利かすのか。なぜ若者に苦言を呈し、時にはお説教までかます割にパソコンを扱うスキルに劣っていたりデジタル化の波に乗れなくて仕事を丸投げしたりできるのか。

さっぱりわかんねえ!!

1年目は能力不足やこんな状況も手伝ってか、評判は最悪です。「とんでもない新人が入ったようだ」他の部門にまで轟く悪評で、初めて会った人でも嫌な目で見られることが多かったのを覚えています。

まだ実家暮らしでしたので、親にこれを愚痴りますと、笑い飛ばされました。当時は笑うのではなくて同情を求めていたのですけど、さすがは自分の親だなと今になって思えば感心します。こんなことは、ほんとうに些末なことだったのですね。両親にとってみれば。ま、そりゃそうでしょうね、こんなとんでもない息子を育て上げたのですから。親戚中に「あいつは宇宙人だ」と本気で言われ続けた僕を。

2~3年目

仕事もそれなりに覚えて、後輩も入社してきたことだし、ちょっと天狗になっている頃ですね。当初の風当たりはそれほどでもなくなり、理不尽な上からの圧力はかなり緩和されていたと思います。それでも、自分の中でまだまだ納得のできないことが多くて、相手が言うことに筋が通っていなかったり、納得のできないことがあったら顔に出していましたね。でそこを指摘される。これは1年目の頃と変わりません。

ただ、「仕事をする」ことへの意識は変わりつつあったと思います。これで飯を食っているのだから、生半可な気持ちでは相対してはいけないものなんだなーというのを、何となく感じてきた頃でもありましたね。でも、今考えると、半端者です。2~3年目の若い後輩を今見ていても、そう思いますもん。ああ、かつては自分もこんなんだったんだなって。

ネトゲにハマったり、恋愛にうつつを抜かしていたのもこの頃ですね。ネトゲをプレイしていたおかげで、インターネットのアングラな部分はちょいちょい垣間見させていただくことができました。ですから、そういう世界を知らない人たちとも、そのような世界にどっぷりと漬かった人たちとも、両方話ができる。リア充とオタクのバイリンガル的な立ち位置で、多くの人とコミュニケーションをとることが容易でした。ただ、リテラシーがあったかといえばそんなことはないですね。まとめサイトばかりを見て、偏った思想を持ち、中庸な感性は磨かれていなかったと思います。読書もしていなかった。

尖った時期

入社して世間の構造とか不文律にぶち当たってひねていた尖りとはまた違った尖りを出していた時期は、20代後半くらいでしょうか。仕事も一通り覚えた(つもりだった)こともあり、また、自分よりも劣ると判断した先輩や上司を穿った目で見て「あいつらは無能だ、こんなこともできないのか」などと息巻いていた頃です。こうなると人間はどんどん扱いにくくなり、歪んでいきます。他者の能力と自分の能力を比肩してしまい、相対的な評価でしか自己の能力を認められないのです。

非常に攻撃的でした。会う人会う人に罵声を浴びせるなどという愚挙は犯しませんでしたが、心の中では相手の能力を評価して、劣ると判断したら心の中で蔑む。直接的な表現は避けるにしても、皮肉交じりに苦言を呈してみたりしました。うーん、若いですね。今思うと、これのメリットはほぼ無しです。なのですけど、勘違いしていたんじゃないですかね。他者を評価するなんて、そもそもやってはいけないことなのです。心で思ってても、それをコミュニケーションとして発露させるのは愚の骨頂なのです。でも、この頃は全然わかっていませんでした。周りも、なまじっか仕事はそれなりにこなすものだから、自分に対して直接「その考えはいかんよ」と言ってくれる人はほとんどいなかったように記憶しています。言われても、右から左に通り過ぎて行った可能性もあります。

挫折

公私ともに、滅茶苦茶です。退社を本気で考えました。

悩んで、悩んで、悩みぬいて。

その中で出会ったのがブログでした。

ブログにほとんどのリソースをつぎ込んだ結果、短期間で目に見える結果を出すことができたのです。世界が変わりました。これがあれば、僕はサラリーマンをやらなくても生きていけるかもしれない。本気でそう思いました。

時を同じくして・・・窮状を知った同僚や上司が、激励のメールや電話、LINE、さらに直接に訪問してくれるなどの心温まる配慮がありました。とはいっても、この頃はとにかくブログのことが頭に一杯で、こういう多大な応援やエールを自分の中に落とし込めていなかったと思います。しかし、確実に、時間をかけて、僕の無意識にはこの熱い想いが染みわたっていたのでしょう。

プロブロガーやアフィリエイターまたはライターとして歩んでいく道へは、必ずブレーキがかかったのです。夢でこそその道を謳いこそすれ、本気で舵を切ることはなかった。借金の金額のこともありますし、親の気持ちを考えると大胆なことが出来なかったというのは間違いなくありますけれども、それよりもなによりも「自分のことを応援してくれる人がこんなにいるのか」ってことが、心の中では多きなったんですよ。形は違えど、さまざまに頂くことができた応援たち、人の温かさ。これが、サラリーマンを辞めずに踏みとどまり、さらには今現在「これで生きていこう」と思わされるくらいの原動力になっているのですね。

人間を信じることにした

現在進行形ですが、自分に対して憎悪の感情を向ける者は多数います。不思議ですね、面と向かって言う人はほとんどいないのです。陰で言うのですよ。僕を慕ってくれる後輩が打ち明けてくれました。「あなたのことを、ひどく言う人は一定数います」と。このように打ち明けてくれるのは、大変ありがたいことだと感じてます。それだけ、心を開放してくれているということでしょう。誰がいつ、など特定の個人をあげつらうものではなく、陰ではそのように言う人もいるんです、という素直な情報提供だったのでしょう。

ああ、なるほど、こうやって陰で言われているんだな、このように思いました。でも、ほとんど平気です。多少はモヤっとする部分はありますけれども、でも自分には大勢の味方がいるのです。あの、両手で何往復すればいいかわからないくらいの数の応援者たちが。その熱い想いが、この双肩にかかっているのです。そんなことを陰で言われても、精神が揺らぐわけがありませんよね。

人間を信じることにしました。

今までは、どこかで他者への気持ちを斜に構えていたところはあります。相手の言うことを、素直に受け取らずに自分の中で変換して、後ろ向きな評価を下していたところがありました。ですが、人間の温かさを知ってからは、相手の言うことを素直に受け取ることにしたのです。もちろん、肯定だけではありませんよ、否定も含めてです。「ああ、なるほど、君はそう考えているんだね」こういう風に相手の意見を聞くことができるようになってきたのです。ちょっとだけね!まだまだ精進が必要ですけどね、この道を研ぎ澄ませていくには。

 

僕の心は、挫折した時期に「本物の応援を頂いた」ことにより満たされたのです。杯が溢れたのですよ。今までは、枯渇していたのです。だから、渇望していました。人の温かさや、肯定などを。でも、自分が他者を評価している時点で杯の形はいびつなもので、相手の真心を受け止める器があまりにも未完成だったということです。ショック療法みたいなものでしょうか、挫折を経て怒涛のように「陰で物を言う人間」と「周りに関係なく自分の意志で僕を励まそうとするもの」が、目に見える形で現れたのです。

 

本音

今までも嘘っぱちで書いてきたわけじゃないのですが、以下はあけすけに思うところを述べます。

僕はコミュ力が高いと思う

  • 初対面の人とでも気負いなく話せる
  • 相手の話題に応じて合いの手を出すことが容易だ
  • リア充からオタクまで幅広く話題についていける
  • 老若男女問わずコミュニケーションをとる上で苦労した経験がない
  • 知らない人でも話せば相手が笑顔になる
  • 揉め事がいつのまにか和解の方向へ進む
  • 人の感情に敏感なので機嫌の悪い人は一目でわかり近づかない
  • 同じく傷ついている人はすぐにわかるのでフォローに回るまたはそっとしておくという選択肢をとれる

上記は一例です。

「コミュ力が高い」といっても何を持って高いのかという話になりますが、周りと比較して相対的に高いと感じます。みな、対人関係に苦労している。嫌ったり、嫌われたり、好きすぎたり。それはだいたい、自分の価値観というか譲れないものを持って接しているから発生しています。もしくはプライドですか。僕はそんなものはありません。相手に応じて、千差万別にコミュニケーションの方法を変えるだけです。

「そんなんカメレオンみたいなもんで、本当の自分を持たない八方美人の虚構の人格だ!」と言われれば、それで結構かなと。僕がそのようにふるまうことで周りもチームも家族もすべて上手くいけばそれで良い。自分の中に納得のいかないことがあって、それでもなお意に反して同意もしくは否定するのであれば認知的不協和によりモヤモヤ感を醸し出すことは否めません。しかし、本当の意味で自分が納得して周囲と調和するためにその場所その人間に対して色を変えるというのはとても健全なことなのです。事実、現在はこれにより日常のストレスはほぼフリーです。

類まれなコミュ力を発揮することにより、職場でも敵は作れどその倍いや3倍の味方を作ることも可能なのです。挫折時に応援してくれた人たちはその一角でしょう。これは天が我に与えた資質なのだと思ってます僕は多くの人に味方され、上手くいくスキルを知らないうちに獲得もしくは先天的に備えていたのです。

だからですね、大きな挫折をして、ブログと出会い稼いだにも関わらずサラリーマンを継続しようと思えたのですよ。インターネットの世界で富を築いて「自由に生きていく」という宣言をなされる方もいらっしゃいますが、僕はその必要がないのです。現実世界を渡り歩いていくスキルは、インターネットで稼げるスキルとは比べてもお話にならないほどのアドバンテージを持つものなんです。月100万?1000万?そんなものではこれは備わりません。いくら大枚をはたいても、どんな自己啓発書を読んでも身に付きません。生まれ持った財産です。なんという幸運でしょうか。

 

サラリーマンを健康に続けるにも資質がものをいうのではないでしょうか。向いている人もいます、僕と同じような人ならば向いています。しかし、向いていない人もいる。それはどういう人かというとコミュニケーションに難がある人ですね。相手に、自分の意向を上手く伝えられない。相手の意向や感情を捉えることができない。こういう人は、他者と長い時間を共有しながら、チームで成果を出すのには向いていないのかもしれません。

全てを向き不向きで選択してしまうことは危険です、中には「普通」という方もいます。向いているも向いていないもない、難がない。そういう人は、どちらにも舵を切って良いのではないかと。インターネットで食うかサラリーマンで食うかの2択では世の中は無いのですけれど、僕の狭量な視野で今の世の中を見ている限りはこのどちらかしか知りません。ですので、普通な人は今の自分の立場や背負っているものなどなど、状況に応じて自己選択して幸せになるための航路へ新たな船出をするのが良いのではないでしょうか、ということをここで述べさせていただきます。

 

ちょいと話は戻ります。挫折したのは事実ですし、サラリーマン生活に絶望してブログに精を出し、ゆくゆくはインターネットで食っていこうかなという気持ちを起こしたことも間違いありません。ですが、そこで踏みとどまったのは多くの応援者がいること、そして自分はサラリーマンに向いているということ。これらを総合的に勘案した上で、さらに時の流れも手伝ってか、現在の心境は「サラリーマンブロガーで生きてゆく」になったわけですね。

っと、こんなに簡単にサラリーマンの生涯を全面的に受け入れる覚悟が決まったわけじゃないんですよ。前半でも述べた世間の不条理ともいえる不文律と折り合いを付けることができた、というのも要因なのです。こまごま説明するのも不可能ではないですけれど、一言で要約させていただきますと「受け入れる」ということですね。諦める、にも近い概念ですけれど。これを少しでも実践し始めたことで、急に楽になったんです。

書籍の力も大きかったですね。アドラー心理学との出会いや、原理仏教の概念も多分に現在の心境に至る道程を強く押しました。やっぱり、必要なのは内省です。いつまでも「誰かが」「これが」「あのことが」などと外部の要因に問題の原因を探っていては穏やかな心境には至りません。全ては自分で選択したことであり、物事に対してどう感じるかは自分次第なのです。相手の感情はコントロールできませんし、どう受け止めるかも相手次第です。であれば、相手のレスポンスの内容がどうあれ、額面通りにそれを受け止めて、自分の中で認める。この作業が凪の心を作り出すコツというか真理なのかもしれませんねぇ。

 

まぁ、要するにサラリーマンもやってみりゃ、そして上手くいきゃ人の温かさにも触れるし不条理にも慣れるし、そんなに捨てたもんじゃないよってことです。ブログで上手くいっても、その世界に身を投じることを引き留めてくれるだけの力が、サラリーマンの人間関係にはあるってことですよ。基本は信じることです。憎悪もありますけど、そこよりも激励や応援に目を向けることが肝心なんじゃないかな。

 

ある若者の船出

26歳、仕事辞めました。「好きな事して生きていく」をやります - 今日はヒトデ祭りだぞ!

いつかは、と見てたけど。若いうちに決断できて良かったんじゃないかな。強烈なバックボーンもあるし。前途に幸多からんことを祈ります。おめでとう。

2017/08/23 12:16

実は、この記事に触発されました(笑)

はてなブログのアイドルブロガー「ヒトデ」氏のエントリーです。会社を辞めたそうですよ。これを見てまず思ったのは、ブックマークコメント通り。僕が今書いている記事は「サラリーマンブロガーで生きてゆく」です。彼が上記エントリーに盛り込んだのは「好きな事して生きていく」ですね。「ゆく」と「いく」で少々の違いはありますが、半ばぶつける形で書かせていただきました。

「好きな事して生きていく」を実践できる人が、世の中にどれほどいるかわかりませんが、ほんの一握りってところでしょうね。多くの人は「嫌いな事してでも、生きていく」じゃないですか。そういう人は、だからこそこういうエントリを見て憧憬に至るのです。これで相手が情報商材販売やら得体のしれないものを売りますとなれば社会悪と断じざるを得ないわけですけど、彼の場合はアイドル性で食っているようなものですし、悪意は見られません。良いのではないでしょうか。

 

彼のように生きる道も、僕にはあったのかもしれません。

それは、選択しなかった。

  • 変わることへの恐怖心
  • そもそも仕事が面白い
  • 借金がある現実
  • 慕ってくれる人たちの激励
  • 親を心配させたくない
  • 子供も同様

僕がサラリーマンを続ける理由、色々あります。ヒトデ氏には、真似できないからこそ、半ば嫉妬心もあるのだと思いますよ。「会社を辞めることはけしからん」「世間様が許さない」「得体がしれない」など、小手先で飛ばせる揶揄などは周りにいくらでも散らばっています。けど、そんなことは微塵も思わない。ある一人の若者が、自分で選択して新たな船出を迎えた。それを素直に称賛すること。これが僕にできる唯一のことです。

ま、彼の場合は相当な額の貯蓄をブログでしているわけですし、これからも継続的に収入はありますし、何より若いですから。無謀でもなんでもない行動です。むしろ、あれだけのバックボーンがありながらこの道を踏み出さなかったことに、その筋の人たちから煮え切らぬエールをもらい続けていたようですが、つまびらかには存じません。

 

サラリーマンブロガーで生きてゆく

 

  • サラリーマンやって
  • 色々と苦労して
  • 挫折して
  • ブログと出会って
  • またサラリーマンが面白くなって
  • 応援者の力が凄いパワーになって
  • そういや自分はコミュ力高いなって感じて
  • これからも会社で頑張っていこうって思えて
  • インターネットに漕ぎ出した若者を見て

 

そんでこんな記事を書きました。

サラリーマン向いてて十分幸せなのに、「ブロガー」というもうひとつの草鞋を履けたこと。これは何の偶然でしょうか?金銭的なものもそうですけれど、ただ漫然とサラリーマンをやるのではなくて、インターネットにはこんな世界も広がってるんだなーってことを嫌でも教えてくれるブログというコンテンツに出会えたこと。これは運命なのかもしれませんね。

それにしても、「サラリーマン」+「ブログ」がここまで面白くなるとは考えてもみませんでした。

よく「サラリーマンの書くブログはつまらない」という意見を目にしますが、そんなことはないですよ。サラリーマンが全て奴隷で死んだ魚の目をしていて思考停止に陥ってるかといえばそんなことはありません。確かに社交辞令が支配する世間で生きていくには、おおっぴらに本音を開陳するにははばかられるところではありますが心を許せる間柄なら本音をぶつけあえることもあるんです。みんな、機械じゃないんですよ。それぞれに感じていることもあるんです。嬉しいこともあれば、辛いこともあって、趣味も千差万別なんですよ。それを一緒くたに「面白くない」とか乱暴じゃないでしょうか。そういう本音や趣味を日頃のログとしてブログに述べるからこそ、面白いブログが出来上がるんじゃないでしょうか。

ブログの面白さなんて、誰かに雇用されているか、それとも自分で会社を立ち上げるかでは決して決まりません。どんな立場にあろうとも、本音で真っ向勝負でぶつかってくるブログは面白いし、面白くないものは面白くないんです。そこは、はっきりとさせておきたい。あまり、サラリーマンを揶揄しないでいただきたいものですね。サラリーマンブロガーへは、なおのこと。みんな、苦労しながら、背負うものを背負って、その中でブログを更新しているのです。

誰だって苦しいのは嫌ですよ。自分のやりたいこととやりたくないことくらい、あります。ただ、「やりたくない」からといって全てを投げ出す力は、皆が皆に備わっているわけではありません。先ほど紹介した数十万、いや数百万人に一人の才覚やタイミングを掴んだ彼と比較するには、あまりにも非常識です。大体の人が、世間と自分の不満と折り合いをつけて生きている。「仕事辞めました」に憧れるのは結構ですけれど、現実と折り合いをつけることから逃避してはいけません。彼には踏める道も、あなたにとっては薄氷もしくは道がない場合だってあるのです。

僕は、彼の後を追わないでしょう。だって、仕事が好きですもん。そして、親や周りの支えがあって、それを裏切ったり心配をかけるようなことはしたくない。あと、サラリーマンをやりながらブロガーをやるのが最高に楽しいってのもありますし、人と接するのが大好きという理由もあります。(ひとりが好きだけどね)

 

僕はこれからも、サラリーマンブロガーで生きてゆきます。

その覚悟はできました。

サラリーマンも、プロブロガーも、アフィリエイターも、ライターも。それぞれの立場で、自分が選択した道を信じながら、そこに疑念無く進んでいけるのなら、きっと幸せなのかなと存じます。

 

サラリーマンも刺激的で楽しい生活は送れる - ポジ熊の人生記