3か月前くらいだったでしょうか。
凍てつく早朝の北海道で暖のオアシスとも呼べるコンビニエンスストアに水を買い求めて立ち寄った時のこと。そこには一輪の花がありました。
(雑記です)
出会い
それはそれは美しく見目麗しく蠱惑で、僕を大いに惑わし錯覚を覚えさせるには十分な花でした。
その時は触れるどころか店員と客の立場以上のことはなく、普通にいろはすを購入して店を後にした僕でしたが、後ろ髪を引かれたことを誰が責められるでしょう(ちなみに坊主頭です)。
その花は本当に輝かしくて心の中心をハートの弓矢で鋭く射抜くには十分、いや3倍のダメージを与えんばかりの特攻効果まで有した代物でありまして、そのことはいつまでたっても頭から離れません。
あくる日もあくる日も、そのコンビニの横を通るたびに店内を確認し、またあの花が咲いていないかをしきりに確認したものです。怖いですね、まるでストーカーです。
再会を期待した行動は徒労に終わり、結局3か月が経過しても再び拝顔すること叶わず。「これはもう会えないかもわからんね。あれは一期一会だったのかもしれない」なんて勝手に納得していた某日、ついに再会を果たしたのです。
再会
店内に足を運びこむ僕、ポニーテールの華奢な後ろ姿、振り返ったその姿はオリエンタルな魔性を帯びたあの女神のような店員さんだったのです。
※画像はイメージです
「oh」
いや実際にはオーとは発語してませんけども、僕の心は踊りましたね。なんせ、3か月前のあの衝撃的な出会いは夢ではなかった、ということを目の当たりにしたのですから。
今回、立ち寄ったのはシリアルを買い求めて。しかし売り場の位置がわからない。これは別に恣意的じゃない、本当にわからなかったんです。
で、女神様に話しかけたんです、「あの、シリアルの場所ってどこでしょうか?」彼女は嫌がる素振りを一切見せずに「えっと」と少々照れつつも僕を売り場に案内してくれました。
レジのやり取りにて「クイックペイで支払います」と語りかけると「クイックペ・・・イですか、あっ」と、普段この支払方法を選択する客が少ないのか若干狼狽気味に見えた彼女でしたが、はにかむ笑顔でレジを操作し、対応。
「レシートはいかがなさいますか?」こう語りかけられた僕は「あ、もらいます。えーっと・・・朝早くから大変ですね、頑張ってください、ありがとうござやしたっ!!」と足早に店を出たのですね。
それからですよ、もうずーっとですね、彼女の笑顔が頭の中にポップアップしまして。全くコントロール不能になったんですよ。仕事中だろうがトイレ中だろうが○○中だろうが「ログインしました」といわんばかりに頭中にスポーン→霧散していくを繰り返す。
久々に恋心らしきものが芽生えて心地よいです。
— 羆 (@poji_higuma) 2017年3月4日
これは恋ですね。
かつての僕を振り返る
恋に落ちたことは、そりゃー30数年生きていれば片手じゃ数えきれないくらいに落ちてますけど、でも今回のそれとは異なるんですよ。なにが異なるかっちゅうと性状です。恋に対する態度というか。
かつての僕だったら恋に落ちた次の瞬間から「対象をどう落とそうか」「どのようにして自分のものにしようか」という欲望がふつふつと沸いてきて歯止めが効かなくなったものです。つまり欲望むき出しだったわけですよ。
先立つものは性欲でした。好きになる=肉体関係。有体に申すと好きになった対象を妄想内で夜のほにゃららにすることもスタンダードだったんです。まぁつまり大脳がやや大きめの猿みたいなもんだった。
しかも、恋に落ちてからは相手のことを思い出して苦しくなっていました。清々しい気持ちにはとてもなれなかった。自分の所有欲に押しつぶされそうになって、耐えきれないメンタルが続いたものです。
でも、今回は違うんですよねぇ。
この恋は完結している?
名前も知らなきゃ歳も知らない、何のパーソナル情報もありません。ただ、一目見て好きになっただけです。つまり理屈じゃないんです。どうして僕がその人のことを好きになったか、なんてのは言語化が難しい。これは表層の理屈で考える脳よりももう一つ下の層の感情を司る分野が引き起こしたことなのでしょう。つまりコントロール不能です。
よく、恋に落ちたら「あの人は(人間的に)こんな素敵な人なのよ」と錯覚に陥ることが良くありますが、これは紛れもない錯覚です、自分の決めつけなんです。だって、相手のことを何も知らないのに、どうして人間性の部分まで肯定できるのか。そこに確信を持つにはもう思い込みしか根拠を見出せません。その根拠が曖昧なのはいうまでもありませんけど。
だから今回の僕は、あのお姉さんのことを「素晴らしい人だ」と評価していません。だって、何も知らないですもの。けど、これだけはいえるんです、僕の感情野をこれでもかってくらいに刺激して本能を呼び起こしたという事実があること。もう、認めざるを得ません。もう何年ぶりでしょうか、普段生活してて頭に異性の顔が不意にポップアップするのは。
今まではそのポップアップをクリックしてアドレス登録してガツガツいって、気が付けば自分の棘で相手を串刺しにして、その反撃を浴びつつ泥沼の様相を呈して破滅コースを辿っていたのです。自分に棘があることを全く自覚していないヤマアラシが、相手の懐に不用意に飛び込むようなものです。これでは大けがをしても文句は言えないですよね。
今回は・・・そうだなぁ、ポップアップしたものを俯瞰して「ああ、なんていい眺めだろう、美しい」と感じている間にいつのまにかフェードアウトしている感じ。クリックをすることもなければ「×」で無理やり消すこともないんです。出現してくれるたびに有難さすら感じます。
あれ、もしかしてこの恋、完結してます??
いや、いく人はいくんでしょ。またコンビニにひたすら通って、次のチャンスを待つんでしょ。ただ、再会したってそこからどうやって縁を繋げていけばいいのか。僕には想像することができないんです。そもそも、お仕事中の方にそのような軟派を仕掛けるほど、心臓に毛が生えてないですよ。かといって「上がり、何時ですか?」とか聞けないし。それこそ失礼に当たるでしょう。畢竟、コンビニ店員さんに恋をした人は、社会通念上は諦めざるを得ないんじゃないかなとも思うんです。あ、僕の考えですよこれは。知り合いにコンビニ店員に惚れて結果的に結婚した男もいますし、あくまでも一例ですけど。
恥ずかしいとかじゃないんです、ただ、コンビニでお仕事をされている方に、私情で想いを伝えるというのは、自分の中ではナンセンスなんです。だから、今回の恋は完結しているんじゃないかなって諦めざるを得ない。ポップアップ、大歓迎です。いくらでも僕の無意識から浮かび上がってきてほしいです、そのたびに否定も肯定もせずにそれを愛でることができます。でも、実際に事を起こすとなると、相手にとってはあまりにもフェアじゃないよなって、感じるんですよ。今回のケースでは、ですけど。
これを臆病ととらえてあざ笑う人はいるかもしれません。でも、僕は自分の成長を喜んでいます。リビドー丸出しの猪突猛進な恋愛模様を繰り広げてきた己が、ここまで恋心を俯瞰しして前向きに捉えることができるようになったんだな、と。手前味噌ですけどね。自分ありきじゃなくて、相手の立場になって考える。外面はいいけどあなたの中身を知りたい。もっともっと、お話してみたい。そんな気持ちが強いです。
縁があれば、どこかでまた会えるかもしれない。客と店員ではなく、お互いに自然な状況で。もし、そんな機会があれば迷わずこう伝えるでしょう。「あなたに興味があります、良ければお茶でもどうですか?」と。
2017年、まだ雪解けの見通しも立たぬ北海道で起きたミクロな恋愛話を語らせていただきました。
↓恋愛観について詳しくはこちらで語っています。