この記事では
- 法律上の浮気と不倫の違いは肉体関係の有無が要
- 不倫の歴史、世界と日本を振り返る!死刑でも止められない人間の原罪
を記載してます。
法律上の浮気と不倫の違いは肉体関係の有無が要
浮気と不倫って、何が違うのでしょう
「キスまでは大丈夫」「手を繋いでも駄目」
各自の線引きで好き勝手言ってるイメージがあります。
なので今回はその違いをハッキリさせようじゃないの、と考えていろいろと調べた結果を記事にしました。
言葉の定義(広辞苑第5版)
浮気とは
男女の愛情が、うわついて変わりやすいこと。多情なこと。他の異性に心を移すこと。
不倫とは
人倫に外れること、人道に背くこと。
「人倫」というは人間の秩序関係であり、実践すべき同義のこです。つまり、「不倫した人は人に非ず」と断じている。
「浮気」と「不倫」違いはどこにあるのか?
法律的にこの2つはどう扱われているのかを調べてみました。
民法第770条より
1 夫婦の一方は、次に掲げる場合に限り、離婚の訴えを提起することができる。
① 配偶者に不貞な行為があったとき。
そもそも法律に「浮気」や「不倫」という言葉は使われておりません。浮気や不倫に関係が強そうなのは、この1文のみです。
不貞な行為
参考:不倫(不貞行為)とは
言葉の定義
①配偶者のある者 が ②配偶者以外の異性 と ③自由意思 で ④肉体関係を持つこと。
これが法律上の不貞行為です。
ではこの一文を、それぞれバラして調べてみよう。同じく法律事務所のHPで調査した結果は以下のとおり。
①配偶者のあるもの
婚姻届を提出している夫婦だけではなく、何らかの事情により婚姻届自体は出していないものの、実質上は夫婦同然に生活している夫婦も含まれる。
内縁関係にある女性も含まれるということです。
「婚約中」の男女も含まれるが、「結納をする」だとか「婚約指輪のやり取りがあった」だとか、周囲が結婚を知っている必要がある。
②配偶者以外の異性
肉体関係の対象は「異性」であり、同性愛は含まれない。
その同性愛が双方にとって婚姻を継続し難い重大な事由になった場合は離婚原因になりえると考えられる。
同性愛だからどうこうではなく、性別抜きで肉体関係になってしまうことがアウトということ。
③自由意思
自分から誘った場合だけじゃなくて、誘われて行為に及んだ場合でも該当
④肉体関係を持つこと
文字通り性交渉があること。肉体関係がない限り、原則として法律上の不倫(不貞行為)にはならない。法律上性交渉があって不倫が成立する。
これはあくまで原則であり、それまでの過程により不貞行為に該当する可能性はある。
平成22年度の調査から見る「浮気(不倫)してる男女の数」
厚生労働科学研究班が「第5回男女の生活と意識に関する調査」を実施。「現在、決まった交際相手以外に性交渉する相手がいる」という設問に対しての回答結果は以下のとおり
- 不倫している男性:8.2%が「不倫している」
- 不倫している女性:男性と同程度の割合
※調査方法は層化二段無作為抽出法。2010年9月1日現在で満16歳から49歳までの男女の各3,000人を対象として実施した調査。
不倫の歴史、世界と日本を振り返る!死刑でも止められない人間の原罪
芸能界の不倫事情が赤裸々に報道され、世間を賑わせている。最近ではW不倫で子供を伴うものが話題となっており、事は重大だ。芸能人に限らず、我々一般人の身近なところに不倫というものは潜んでおり、現在進行形の方も多数いらっしゃるだろう。
今回は人類における不倫の歴史を、その悲しい性を見つめるとともに振り返ってみたい。
終了採集生活の頃から基本は一夫一婦制
このように考えられている。当然に不倫をする者もいたのであろうが、一夫多妻の様相を呈す場合というのは稀である、という見方が現時点では強いようである。農業を営むことを知らなかった人類は、食物を備蓄する、つまり富を蓄える術を知らなかったとも言える。であるから、男性が単独で資源等を独占・蓄積することが難しく、階級が生まれにくかった。
が、これは農業の開始によって容易に崩れ去る。富の備蓄によって優劣が決するようになったからだ。ここから、一夫多妻制が主流となってくるのである。
歴史のジェンダーバイアス
「ジェンダーバイアス」というのは端的に性差別のこと。大昔から女性の貞操というのは所属する社会において厳にコントロールされてきたが、片や男性の貞操を縛るものは皆無に等しい。
BC1750あたりのバビロニアにおけるハムラビ法典には「妻が病床に伏した際、夫は2番目の妻をめとることが可能。子供ができぬ場合においては、内妻を囲うことができる」と記されている。
古代ギリシアでは基本、一夫一婦制であったが、アテネの裕福な市民は当たり前のように愛人を作っていた(自由身分の妻を姦通した場合に処罰)。
スパルタでは「夫の承諾により、妻は他の男性との関係を結ぶことができる」という仕組みが存在した。これは妻の不倫を容認するのが趣旨ではなく、高齢の夫や不妊の妻を持つ住人が子を確実に儲けるためのシステムであったようだ。
古代ローマでは「女性は夫以外の男性と関係を持てば姦通罪」というルールがあったが、男性は人妻との場合のみ処罰された。
このように、太古のジェンダーバイアスを紐解いても、男性が優遇されて女性が差別を受けてきたことがわかる。
古代ローマでは姦通は死罪に処される厳しい時代もあったが、やがて罰は軽減されてゆき、咎人は修道院送りとされるようになる。そこでは姦通罪を犯した女性が増えすぎて、専用の収容施設がつくられることもあったようだ。後述するが、文化を有した人類はとかく不倫に対しての罰を甘くする傾向にある。
一夫多妻の幻想
夢と野望に満ちた若かりし頃の男性というのは、一夫多妻に何かと夢を見がちであるが、現実はそうではない。現行、一夫多妻を認めている社会において複数の妻を有する者は5~10%。これは一夫多妻の形式をとれるものは社会的地位の高い、または富を豊富に有している男性にのみとれる形態なのである。男は甲斐性、というのは良く言ったものである。
この制度がもたらす側面として「モテないあぶれた男性の増加」がある。一部の男性は富が集中するのみならず、多くの女性までをも手中にしてしまうため、相対的に貧困層で魅力のない男性は独り身を余儀なくされてしまうという残酷な社会でもあるのだ。
一夫多妻を認める社会においても、不倫や浮気がなくなることはない。最初の妻がいる段階で2番目の妻と恋愛を始めればそれはすなわち不倫となる。お見合い結婚のみを認める、などの特殊な縛りを設けない限り、不倫や浮気が必然的に発生するという恐ろしい社会にもなりうる。
さて、これでもまだ一夫多妻制に幻想を抱く男性はいるだろうか。少なくとも僕は、こんな地獄はご免だ。
中世において不倫は「恋愛の母」
一夫一婦制の浸透と同時に起きたのが「恋愛」という概念。ヨーロッパでは「恋愛は12世紀の発明」と言われているようだが、そのベースは不倫である。キリスト道徳観のコントロール下で性の乱れが問題視された時代に、純愛を歌う「トルバドール」と呼ばれる吟遊詩人が現れる。彼らは領主に仕える小貴族・ナイトであり宮廷に出入りし、その傍らで身分の違う貴婦人に恋い焦がれた。
分不相応な不倫感情がゆえに報われぬ想いとなり、それがゆえに燃え上がる恋心。これは「騎士道恋愛」「宮廷風恋愛」と名付けられ、各騎士においては自分への試練であり困難を乗り越えるメンタルを養うものであもあったようだ。これが西欧型恋愛の原型となる。つまり、不倫は恋愛の母ともいえるのだ。
19世紀の不倫
- 中世~18世紀ヨーロッパは性に関してはおおむね自由主義的風潮
- 19世紀はキリスト道徳観下の性制限、反動により不倫が魔力を帯びる
- 不倫を題材にした文学作品が多数輩出される
- 当時アメリカは不倫に対しての厳罰化が進む
ここからは駆け足で。
不倫が文学にまで浸透するくらいの魅力を帯びると同時に、それを厳罰化して極刑に処する動きも見られる。宗教的抑圧など性表現の厳罰化は表面的な締め付けを強化するが、水面下ではその反動の如き欲情が渦巻くというのは歴史が証明してくれる。現行でも行き過ぎた取り締まりは社会の裏で歪みを生じさせるであろうことは想像に難くない。何事もほどほどが良いということだろう。
20世紀の不倫
- これまでの厳格な法規制の反動により婦人参政権運動が勃興
- アメリカでは1920年に女性が参政権を獲得、姦通罪廃止
- 共産圏では1930年代~1940年代のスターリン政権下で性教育禁止、浮気を厳罰化。他方で高官たちは不倫に溺れるというモラルハザードに
- 20世紀半ばにピル販売承認、中絶合法化、離婚自由化が進む
- 不倫が国家の問題から個人の問題へシフトチェンジ
- 20世紀後半は文学や娯楽の分野で男性側の被不倫の苦悩を描くように
これまで抑圧されてきたジェンダーバイアスからの解放というエネルギーが爆発している。男女平等が叫ばれるようになり、それにより不倫の文化も時代の変遷とともに急速に移り変わっていく様が見て取れる。
日本における不倫の歴史
最後に、我が国における不倫の歴史を振り返ってみたい。
- 3世紀 一夫多妻様 『魏志倭人伝』記述
- 平安時代 自由な風潮 『在原業平』『源氏物語』
- 武家社会 厳罰化 『御成敗式目』密懐の罪
- 江戸時代 不倫は死罪 『御定書百箇条』→不義密通は無くならず
- 明治時代 自由化を求める風潮、明治31年まで一夫多妻が認められていた
- ~戦前 姦通罪 『刑法第183条』→夫は愛人を囲っても処罰されない
- 昭和・平成 メディアにより喚起・消費される 『金曜日の妻たちへ』『不機嫌な果実』『失楽園』『愛の流刑地』『ポケベルが鳴らなくて』
時代によって捉え方が大きく変化している。江戸時代などは大変に罪が重く、命を落とすことになる。にもかかわらず、不倫がなくならなかったことを考えると人間の原罪なのかな、とも思わされる。
近代では女性参政権や機会均等、いわゆる男女平等が謳われるようになってからは、その波が不倫にも大きく影響を及ぼしていることがわかる。これは避けられぬ波だったのかもしれない。
後記及び参考書籍
不倫された経験を持つ身として、今回の記事は自分にとっても良い学びとなった。「人間は不倫から逃れることはできない、たとえ社会がそれを死罪にするとしても」ということを痛感したのだ。
だからといって不倫が許されていいわけではなく、現社会でもそれを犯せば慰謝料を請求され、肩身が狭くなるなどの社会的制裁を受けることになるのは事実である。また、誰よりも煽りを受けるのは、不倫者ではなくその子供である。不倫者当人たちがどんなに破滅的な道を歩もうともそれは自業自得であり、どうか地獄へ行ってくれと思うが、生まれてきた無力な子供に罪はない。不倫の末に家庭が破滅し、子供が路頭に迷って不幸のどんぞこに陥ることは、なんとしても回避しなければならない。これは自己責任の範疇を超えた、自分以外の誰かの人生を考える大切なことである。結婚し、子供をもうけるということは、それだけ責任が重いこと。これを本当の意味で理解し、腹を据えてもう一つの社会を平和に保つ心構えのないものは、性欲に任せて子供など作るべきではないし、生涯未婚の方がずっとマシだ。
だが、歴史を振り返るに、どんなに厳罰化を進めようとも、人間は不倫を止めることはなかった。では、どのようにしてこの原罪と付き合えばいいのか。不倫を推奨するつもりは毛頭ないが、するのであればせめて自分の界隈から距離的に離れた場所でしめやかに行うべきなのではないかな。それも双方の割り切った大人の合意の下で、である。
今回の記事筆耕に当たり参考にした書籍で、筆者は「不倫を避けるのも大事だが、上手く付き合うことも重要ではないか 」と述べている。端的には、先ほど述べたように双方がしっかりと割り切った関係で事を進めるであるとか、困難を伴うであろうがそれを制度化するであるとか。そのようなことを「不倫のワクチン」として論じているのがこの書籍内容である。
昨今、世間を賑わせているW不倫などはこれに基づけば言語道断。なんせ自分の近いところで子供を持った既婚者と不倫に及び、さらに子供まで作っている。もう目も当てられない。情欲に負けて手短なところで本能に溺れた者の末路というのは本当に悲惨なものであろう。もっと良く考えるべきだ。恋に落ちては盲目となるが、その前に打つべき手を講じていればこのような破滅的短絡的、反社会的な結末を迎えることもなかっただろうに。こういう人たちにはできることなら過去に戻ってこの『はじめての不倫学』を手渡し、熟読してもらいたいよ。
なお、不倫は避けられるのであればそれに越したことはないし、現に家族を大切にしながら自分を律して立派に生きている人も大勢いる。このような生活を送れれば何ら問題はない。この書籍は不倫におけるバレないTIPSを軽々しく教唆するような内容ではなく、不倫というものがもたらす社会への損失をいかに低減するかを、きれいごと抜きで語る良書であることを最後に申し添える。