羆の人生記

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交通事故は他人事ではない

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97歳運転手の男を逮捕 車が歩道に突っ込み歩行者はねる、車3台にも衝突 6人死傷 福島(テレビユー福島) - Yahoo!ニュース

大変痛ましい事故が発生。

亡くなった方にご冥福をお祈りするとともに、現行の免許制度と高齢者の運転について、考えてみたい。

自分もいつか、やるかも

全容の解明までは断定的に申せないけれども、報道された情報と写真を見るに、アクセルとブレーキの踏み間違いではないか、との見方がある。

もしこれが原因だったと仮定して、自分ならこれをやるか、といわれれば、正常な心身の状態であれば、まずやらない。ただ、可能性は0ではない。何年かに一度くらいは、危ない!と思うことがあった。

これから年齢を重ねるにつれて、この、危ない!と感じる頻度は増していくのだろう、そりゃそうだ、身体的なあらゆる能力が低下していくのが、成長期を過ぎた人間の宿命なのだから。

つまり、決して他人事ではないってことですね。いつか自分も、何らかの対策を講じない限り、事故を引き起こしてしまうかもしれない。それについては、慢心などせず、肩書を捨てていくのと似たような感覚で、便利だけど危険な道具は手放していかにゃならんのだろうと考えておきます。ずっと背伸びしていて、気づいた時には足場がなくなっている、では目も当てられんので...。

認知機能検査とかの話

「97歳で運転など正気の沙汰ではない。」とか、なんかこう、97歳運転手ってだけで騒ぐ世論が脳裏に浮かぶんですけれども。

普通にあり得ます、97歳が運転。それが社会通念上「あぶねえ」という感情論は抜きにしても、現行の制度ではあり得る。道路交通法では75歳以上の免許保有者に対し、免許更新の際、認知機能検査を義務付けていて、そこで認知症の疑いがあり医師の診断次第では免許取消等の措置がとられるんですって。

また、過去3年で違反歴があれば、運転技能検査もあるようで、これに合格しなければ、当然に免許更新とはならない。

法令まで深く読み込んでいないので、詳細はこちらあたりを参照。

www.keishicho.metro.tokyo.lg.jp

リーフレットが分かりやすい。役所のポンチ絵など一昔前は見るに堪えないものだったけれど、最近はスッキリしてきて良い。

御国も高齢者ドライバーの事故に対して全く手を打っていないわけではなくって、令和4年5月13日の改正道路交通法により認知機能検査の内容を変えるなどをしている。

これが施行されたことによって、今後、どれだけ該当する事故が減るかどうかは、未来の話なんで、分かんない。

免許を手放せない事情

息子娘や孫親類縁者が甲斐甲斐しく身の回りの世話をしてくれて、週に何度もスーパーまで車の送り迎えをしてくれる縁強者の高齢者なら、一抹の寂しさを感じつつも、免許を返納するのかもしれない。んで、親せきで「免許返納記念」などを催し、地元で美味しいと評判のケーキ屋でお洒落なケーキなどを買い、皆でワイワイと免許返納にかこつけてパーティなどをやるのかもしれない。こういうケースは別に大変よろしいし、これが皆に当てはまるのならば、それはもはやユートピアなのだろう。

しかし、そんな方ばかりではない。縁弱者の高齢者は、いったいどうしたらいいのだろうか。基本的に身の回りのことは自分でやらにゃいかん。でも、時は無情にも過ぎていき、当然、認知機能も落ちてくる。だが、別に、潔く死ぬように生物としてプログラムされていないもんだから、なんらかの食い物は口にする。尻を手で拭くわけにもいかない。そんなこんなで買い物は必須となる。この場合は、車は手放せないよね。

www.pojihiguma.com

自分はかつて、車なしで2年間、生活してみたことがある。北海道は旭川市で。正直、しんどい。何がしんどいって、買い物。米とか買おうものなら、本当に大変で、まとめ買いすらままならない。食品って基本、たくさん買えば安いじゃないですか。肉もそうだよね、大パックのがg単価が下がる。だから、できることなら(消費が追いつくなら)米だって一俵単位で買ったっていい。けど、これ、車なしの徒歩では、まずやれん。

この生活だって、まだ頑強な30代だったからこそできたわけで、これを75歳過ぎてやれといわれると、なんというか、シベリア抑留とまではいわないんですけれども、外気温-20℃以下の世界で、果たして重たい荷物を背負いながら、数キロ先のスーパーまでいけるのか。

公共交通機関を利用する、というのも当然、有効で、ここらへんはバス会社さんの企業努力もあって、まだ生きている。けど、これから先、いつまでもこれが利用できるかは定かじゃない。もう、地域によっては、バスが来なくなったりしている。

免許はアイデンティティ

初めて免許を取得して自分の街を出た時の解放感は、冒険に近かったと記憶しているし、ここらへんは結構な数の方と共有できると思っている。

自動車免許ってのは、自由の翼であり、アイデンティティなのだろう。誰の力も借りずに、自力で遠くへ行けることは、人生において無くすことのできないマストな能力なのではないか。

自家用車をときに「足」と表現することがある。もし、本物の「足」がなくなったら、走ることはおろか歩くこともできなくなる。車いすという便利なものもあるけれど、やっぱり、自力で成し遂げられることが減るという意味では、とても辛い思いをすることだろう。これは、自家用車の運転にも当てはまる。

「高齢者はとっとと免許を返納しろ」と言うのは簡単だけど、自分に置き換える思慮を持つべき。

免許返納を潔く受け入れられる人というのは、自分の老化を受け入れて社会のことまで考えられる人なわけで、今の時点で、感情論で高齢者に唾棄している人間たちが、はて、高齢者になった際に免許返納に応じるだろうか?という疑問すらある。こういう言い方は分断を助長するので、あまり本意ではないのだけれども、どうも煽情的な世論を見るにつけ、こういう苦言を呈したくなる。

対策

仕組みとして、こういう事故は無くしていかんとならん。

  1. 歩道と車道は完全分離する。
  2. 横断部分も歩行者側が青の場合は物理的に区画される仕組みにする。
  3. すべて自動運転化する。
  4. 周りに物体がある場合にアクセルを踏み込むと自動停止する仕組みを作る。
  5. 信号を自動検知して一定の速度が出ないようにする。
  6. 高齢者の生活用品を購入して届けるような公的サービスを行う。
  7. 高齢者が集まって暮らせる区域を整備する。

とか。

1,2あたりは費用面で非現実的か。

3は期待していいんじゃないかな。有力。

4.5は逆に危険とか、ややこしそうではある。

6.7に関しては喫緊の課題だと思う。地方に住む高齢者をカバーできるほど、もう日本には金もエネルギーもない。イメージとしては都市部に人口を集中させて、郊外地区はAIで農業。人や物の運搬はもちろん自動運転で。

縁に恵まれた高齢者ばかりじゃないので、こういう人たちもフォローが必要。どんなに頑固で性格上の問題で孤立したとて、それは本人にとって本望ではないし、そもそも、そういうDNAなのかもしれん。まぁツイてないってこと。健常者には理解が難しいかもしらんけど、生きづらさってのは、当人にしか分からんもんだよ。

 

ざっくり考えられる施策を挙げてみたけれど、まだまだ、考えられる方法はあるはず。

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免許制度の改正は限界があると思ってる。3年ごとに認知機能検査をしたとて、パスした翌日に事故を引き起こす可能性もある。あるいは、認知症なのだけど、まだらに検査に合格して、パスしちゃうとか。極端なことを言えば、免許なくしたのに乗るかもしれない。

だから、制度(物理)で手を打たんと、事故は減らないんでは。もちろん、人のことだから、0にはできんけどね。これを限りなく0に近づける夢、それはオール自動運転だろうな。

 

https://www.pakutaso.com/photo/34188.html

 

あぁ、そうそう、事故を起こすのは高齢者だけじゃないってのも書いておこう。どの年代にも、可能性はある。だから、交通法規を遵守することは社会を維持する上でとても重要なことだし、斜に構えて考えてはいけない。ウインカーを適切に出すこと、右左折で徐行することは、かっこ悪いことでもなんでもなく、社会維持のために、徹底すること。僕らは、人を簡単に殺せる鉄の塊を、時に80kmの速度で使役しているのねん(高速道路な!)。