当サイトは、精神的にどん底だった僕が、強い閉塞感の中で「どこかに気持ちをぶつけたい」という一心で始めたブログです。
書き始めた当初は1000文字を書くのが随分としんどかったのを覚えていますが、10か月経過した今では3000文字を書くこともそれほど苦にならなくなり、ありがたいことに多くの読者を抱えるまでに成長したのです。
ここにきて思うこと、それはインターネットが発達し、自由な意思発信が手軽になった現代は「書く力が生きる上でアドバンテージになる時代なのだな」ということなんです。
書く力とはなんぞや
書く力とは、自分の心情や収集した情報を読み手にわかりやすく伝える能力です。アフィリエイト(商品を売る形態)では、売りたい商品の魅力を読み手に伝える能力、とも置き換えられますね。
僕の個人的な主観ですが、特別な訓練をしなくともデフォルトでこの能力が備わっている人は、小さなころから読書が好きであるとか、国語が得意だった、というパターンが多いように感じます。もちろん、生来的な、先天的なタレントであり一部に限られた能力だとは考えていません、多くの人がこの力を意図的に、努力により身につけることは可能であると考えます。
例えば読書ですね。かつて嫌いであったとしても、「本を読むことは素晴らしいこと」と認識を新たにし、大人になってからでも読書を始めたのであれば読む力とともに書く力も確実に醸成されることでしょう。つまり、一般的には「万人が備えることができる力」とも置き換えることができる、それが「書く力」なのだと思います。
「〇〇文字書ける」だとか「〇万の語彙を教養として身につけている」といった数値的なものに腐心することはありません。確かに、これら目に見えるものも能力をはかる指標としてわかりやすいものではあるのですが、とにかく「文字で自己をいかに表現できるか」が「書く力」を示す肝心な部分。稚拙ながらも、読み手にしっかりと伝わればそれがパワーなのですね。
次に、「生きる」ということを少しリアルに書いてみますね。
生きる≒お金を得ること
ドライな考えと受け取る読み手さんも多数いらっしゃると思いますが、この社会で生きるうえでは「お金」というのが随所に顔を出し、掘っても掘ってもそれが根底にあり続けるものだと感じます。だから、あえて「生きる」≒お金を得ることと表現しました。「=」ではなく「≒(ニアイコール、近い)」としているあたりが、まだどこかにお金以外の救いを信じているともいえますが(笑)
お金を獲得することを考えます。年収はどれくらいなのか、将来的に破綻しないのか、子女の養育や教育は、病気になった際の医療費は、老後は、自分は墓まで行けるのか。この社会において人生の幕の引き方にまで影響するのはお金なんです、お墓や葬儀代なんですね。これらを考慮すると、やはり「幸せはお金じゃない」なんて綺麗ごとだけでは生きていくことができない。
もちろん、幸せはお金ではありません。金銭的に裕福な人が、すべからく幸せになれるかといえば、数多の具体的、歴史的事例を見るとそうではないことは自明ですよね。しかしながら、やはり幸せを手にするためには最低限のお金は必要。貧すれば鈍する、教育にも投資した量が将来設計に大きく比例する現実を鑑みると、やっぱりマネーは大事です。
次に、「書く力」=「生きる上でアドバンテージになる」のイメージを伝えます。
書く力=生きる上でアドバンテージになる
端的にもうしますと
- ライターとしてお金を得る
- アフィリエイターとしてお金を得る
- ブロガーとしてお金を得る
ということになります。
書く力があるということは、会社に所属していなくとも、自分の力を駆使してお金を得ることができるということ。もちろん、ライターにもアフィリエイターにも、そしてブロガーにも多くの苦労は付きまとうのでしょうけれども、「会社に所属できない」=「人生終了」という図式は崩れます。お勤めしていなくとも、お金を得る力があるのですからね。
かつてこのような時代があったのでしょうか。僕の知らないところで、陰ながらそういった能力を買われて食い扶持を得ていた人も少なからずいるのでしょうが、これほどまでに「書く」ことによって収入を得やすい社会というのは、今まさにこの時代なんじゃないかなと。
会社に所属できない人だけではありませんよ、一般的な「社会に」所属できなくなった人も含みます。ニート、引きこもり、ドロップアウターなどですね。このような一昔前だと淘汰されていたような人たちにも、「書く力」を行使することによって収入を得て、名を挙げ、自分の力で未来を切り開く権利を与えているのです。これは、素晴らしいことじゃありませんか?
もし、今僕が何らかの理由で会社を解雇されたとします。でも、僕は絶望しない。何故ならば表現する場所がある、書く力を行使することによって切り開くことのできるフィールドが確かに存在することを知っているからです。ここにインターネットの無限の可能性を見出さずにはいられません。現代社会において、「書く力が生きる上でアドバンテージになる」ということを知った人にとっては、出口のない迷宮など存在しないことになります。「書く力」とは「生きる力」なのですね!
病気や怪我にしてもそうです、もし半身不随になったとして、人生に絶望しかけたとして。そんな中でも自分の意思を発信して社会所属感を得て、多くの人と繋がり希望を与える存在になることができる、それが「書く力」によるものだったら、さらにその可能性を見出さずにはいられないでしょう。そう思いませんか?
おわりに
交通事故で半身不随になっても可能な仕事について、PCを使ってベッドで出来るブログを私はすすめたい思う - SHIJIN BLOG
実は、今回の記事はSHIJIN (id:gustave_buzz) さんのこの記事にインスパイアを受けて書いているのですよ。もし、自分が事故に遭って、半身不随になったら?
僕も半身不随になってしまったら、間違いなくライターとして生きていく、ブログを主たる活動場にすると思う。インダーネットの可能性は大きい。良記事でした。 / “交通事故で半身不随になっても可能な仕事について、PCを使ってベットで出来…” https://t.co/gwLGqlWHp6
— 羆 (@poji_higuma) 2016年8月26日
やっぱりブログを書いていると思うのですよね。だって、ここでは「書く」ことで「生きる」力を得るのこができるのです。会社勤めは無理だし、健常者のように社会で活躍することは難しいかもしれない。でも、僕にはブログがある、そこでは自己表現もマネタイズもできる無限の可能性があるんです。
だから、怖くない。会社をクビになっても、事故に遭っても、僕は強く生きていくことができる。だって、「書く力」を持っているから。まだまだ稚拙ながら、自分の言いたいことを3000文字程度にまとめて発信できる力を、つけることができたから。「書く力」って、本当に凄いですよ。これは、多くの人を救う可能性を秘めた、現代の救世主になり得るのです。
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誰でも「書けば」生きていけるのか。そうではありません。世の中には「誰でも書けばお金を稼げる」と喧伝して初心者を呼び込んでは、授業料をせしめとるセミナーも少なからず存在します。僕は、彼らの言っていることは「半分本当で、半分嘘」と思っています。
「書くことで、生きる力を得ることができる」これは本当です。しかし、「書けばだれでも成功する」これは嘘です。やはり能力の差はありますし、最も重要なモチベーションにもばらつきがある。だから、このような人たちの言葉を妄信しないでください。「楽に生きたいから甘言に乗る」ようなことは、避けてください。生きるのは楽じゃありません、苦の連続ですから。それでも前に進むのが人生なんです。書くのだって、楽じゃない!
これを踏まえたうえで、「書いてみようかな」というあなたの可能性を、試してみてください。会社をクビになっても、怪我をしても、とりあえず「書いて自己発信」してみてはいかがでしょうか。プラットフォームは色々ありますが、まずはブログあたりで書き慣れてみると良いと思います。
冒頭でも述べましたが、僕も自己紹介から始まったのです。それが、継続することによって徐々に「書く力」をつけて、とりあえずここまではきました。自分を精一杯表現することで、いつも見て励ましてくれる人たちが、インターネットには存在した。これにどれほど励まされたかわかりません。
あなたにはまだ、「書く力」はないのかもしれない。ですが、ブログで最初の記事を見よう見まねで投稿して、自己紹介をしてみる。そこが、生きる上でのアドバンテージを身につけるための「最初の一歩」を踏み出すことになるかもしれないんです。どうか、諦めないでください。
行き詰っているサラリーマンさんもそうですよ、雇われで一生不本意な会社勤めをしなければならないのか、と絶望している人もいるでしょう。ですが、自分の力で生きていく選択肢として「書く力」をつけると、また別の路線が見えてくるかもしれない。自分の首を絞めつける真綿を、徐々に解いてくことができるかもしれないのです。
どうか、「書く力」をつけてください。これは間違いなく力です、現代社会で生きていく上でのアドバンテージになるのです。