最近、ゲームのエントリを多数書いていて思い出しました。『RPGツクール』です。今のシリーズはどれくらい新しくなっているのでしょうか?
僕の世代はスーパーファミコン(SFC)からでした。それはもう新鮮で、毎日プレイしてましたよ。
RPGツクール
RPGツクールの歴史は古く、第1作は1990年発売のMSX2用『RPGコンストラクションツール Dante』である。なお、1992年発売の『RPGコンストラクションツール Dante2』はアクションRPG(イースシリーズ風のRPG)製作ソフトである。これらのことは、エンターブレインのサイトでは解説されていない。1995年発売のスーパーファミコン用『RPGツクール SUPER DANTE』以降、RPGツクールはパソコンとコンシューマーの両方を対象に作られるようになった。その後、PlayStationやゲームボーイアドバンス、ニンテンドーDSなど、幅を広げていく。
これを見る限り、1995年に発売されたSFC用のRPGツクールに飛びついたのが中学生の僕らだったのですね。合点がいきます。「僕ら」といってもこれをプレイする人口はごく限られていて、わかる者同士でコアな話を連日、繰り広げていた記憶があります。
「2」がSFCで発売されて継続してプレイしていましたが、「3」以降は多機能になり過ぎて追えなくなってしまった。
僕とSとツクールと
「ツクール」というくらいですから、RPGを作るのです。舞台背景からセリフの一文字まで全てハンドメイドです。もちろん、グラフィックなどの材料は用意されていますが、それをいかに組み立てるかはプレイヤーに委ねられているわけです。
自分で作ったRPGを自分で作って完結する・・・わけがありませんよね。やっぱり、作ったゲームは誰かにプレイしてほしい。ブログと一緒ですね、書いたからには誰かに見てほしいものです。
そんなわけで、熱狂的ツクールマニアである僕と同級生(S君とします)で、自作ゲームの交換プレイが日夜行われたわけです。「昨日プレイしたけど、あのネタはやばいだろーww」「いきなり即死したけど、笑ったわ!」などなど、内輪ネタではあったけども、大いに盛り上がった記憶があります。
何か、同級生が制作したゲームというのは、プレイしていてドキドキするというか、新鮮でした。相手の顔が見える分、余計にそう思うのかも。その人の思わぬ内面を知る、というかね。
ちなみにSは男の子です。これがもし異性だったら、それはそれで違う楽しみがあったんだろうなぁと今更ながらに思います。ただ、その場合はふざけ半分で下ネタをぶち込んだりはできないのでしょうが(笑)
1000万円コンテスト
アスキーが主催する『RPGツクールコンテスト』なるイベント(うろ覚えですw)が行われ、優勝者にはなんと1000万円の賞金が出るとの情報をキャッチ。「1000万円かよ、夢が広がりングwww」なんて素で大はしゃぎ。今考えれば無垢だったけど、当時はそれはそれは大マジだったわけですよ。
その日以来、僕とSの二人三脚でRPG制作が始まりました。細部にわたるこだわり、デバッグ、ストーリーの見直し。それはもう真剣に打ち込んだものですよ。本気で1000万円を狙う人間のモチベーションとは恐ろしいものです。
しかし、そこはやはり中学生。どうやって応募するのかだとか、いつまでにどれだけ仕上げるだとか、具体的なビジョンが全くない。期間に応じたスケジュールや工程なども考えていなかった。そんなもんだから、ゲーム制作も頓挫の方向へ・・・
というか僕の心が折れかけていたのです。友人には申し訳ないけですが。
カミングアウト
問題はここからでした。Sのモチベは全然下がってません。むしろさらに燃え上がっていたようにすら思えます。
S「最近、どうしちゃったん?全然制作が進んでないじゃない!これではコンテストで優勝なんかできないよ!?」
僕(いや、違うんだ。もうね、無理だと思う。そもそも1000万なんて幻想なんだわ。背伸びし過ぎた。うちらには無理なんだって。でも、言えねぇwww)
毎日迫りくるSのプレッシャーに耐えかねていた僕は、遂にとある行動に出ました。
RPGツクールの受け渡しは、相手の家のポストにカセットを投函するという方法を取っていました。
その日も、いつものように投函したわけです。
「ごめん、ゲームを見てください」という紙切れを添えて・・・
ゲームをプレイしてみるとその内容が明らかになるように仕込んでおきました。真っ暗な画面にデフォルトの主人公キャラが突如として現れ、このようにしゃべらせたのです。
「ごめん、僕はもう限界だ。君とのクリエイティブな活動は本当に楽しかったし、エキサイティングだった。1000万円の夢は間違いなく僕らの中でひときわに輝いていたように思う。でも、それは実現しがたい夢だったからこそ、輝いていたんじゃないかな。それは僕には眩しすぎた。不遜だったんだよ、器じゃなかったんだよ。もう疲れた。このゲームの製作をやめようと思う。ずっと考えてた。言い出せなくてごめん。本当にごめん。楽しかったよ」
そこでゲームは終了する仕組み。
※このメッセージには、現在の僕の語彙が含まれています。当時はこれを1/10に薄めたような内容ですが、意味は同じです。
全身鳥肌
翌日、校内で一言も会話しなかった僕たち。明らかにSは僕を避けていた。
その日のうちに我が家にRPGツクールが投函される。
ぶっちゃけ、凄い恐かったけど・・・
中を見てみた。
そしたら、灰色のキャラクターが突如現れてこう言った
「良くも裏切ったな、しねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねえええええええええええええええええええええ!!!!」
と、数千文字に渡って呪詛が綴られていた。
全身に走る鳥肌。
本当に怖かった。
人の悪意というか...裏切られた失望感だとが、そういったものに対するネガティブな感情の表出を目の当たりにした。
彼は正直、ボダっ気があったように思う。
「僕はこう思うのだから、お前もこうだ!!」みたいなね。今でこそそれは理屈で理解できるけど、当時はそれがわからなくて、ただただ怖かったよ。得体のしれない相手には、成すすべがないからね。
今はもう付き合いがないけど(あとがき)
幸いなことにクラスは別だったから、できるだけSを避けていれば接触する機会は無かった。それは不幸中の幸いだったかも。でも時々、廊下でSの顔を見るだけで寒気がした。画面を覆いつくさんばかりの呪詛、祟りのようなメッセージが一気にフラッシュバックする。これは立派なトラウマだった。
僕も悪かった。もっと、段階を踏んでしっかりと相手にこれ以上継続する意思がないことを伝えればよかった。なのにあんな、インパクトの強い方法で相手に「一気に」辞意を伝えてしまったのだからね。普通の人でも傷ついたに違いない。
まして彼は境界の曖昧な人であった。なので、そのショックは計り知れないものがあったと思う。彼を責めきれないよ。刺されなかっただけマシだと思う。申し訳ないことをしたなって、未だに考えてる。
アスキーのコンテストで誰が1000万円を獲得したのかはわからない。けど、僕は1000万円を出してもできないような、二度と忘れることのできない体験をさせてもらったのだと思う。
S君、元気かな。
あの時はごめんね。
なんだかんだいってスーパーダンテの初代が一番味のあるRPGツクールだったなぁとシミジミ。容量の関係で大作ができないという(;^ω^)
で、今回題材の2は神ゲーでしたね。これはもうどれだけ時間を注ぎ込んだんだ?っていうくらい、まるで猿のようにプレイしてました。クリエイティブな楽しさがあったのかも。
3からついていけなくなったあたり、この路線で飯は食えない才能だったってことは今振り返ると理解できます(笑)