羆の人生記

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ブランド品にこだわるのを止めようと思った

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人間の本当の価値とは?

上着、ズボン、アウターなどなど、僕は今までブランド品にこだわる傾向がありました。

幼少期にファッションについて同級生から揶揄されていらい、それが心のどこかにひっかかって見た目を気にする素地が出来たのかもしれません。

とにかく「世間で有名で高ければOK」という考えでファッションに少なからずの私費を投じてきました。

それを止めようと思ったのです。

虚栄心、劣等感

虚栄心だったのだと思います。

「こんなにいい服や高い装飾品を持ってますよ、見て!」

といわんばかりに街中を闊歩してきたのです。

 

劣等感もありました。

幼少期は肥満で長い間嘲笑された記憶がありますので、痩せた今でも自分の内側を晒すのが怖い、自信の無さもブランド品で身を固める理由のひとつになっていたのでしょう。 

 

良いものを身につけていれば人の価値は上がるのか?

答えは否です。

いまさらですよね、この言葉は幼い頃から、親や学校から耳にタコができるくらいに聞かされている言葉じゃないですか。それを、何を今さら思うのか。自分でも不思議で仕方ありません。

「人の価値は富や名声、容姿では決まらない」

これって自分がこのことを意識しないかぎり、心の中に浸透して来ないと考えます。今までの僕の心がそうであったように、言葉の意味を理解はしても飲み込んでいなければ右から左にあるいは左から右にスーっと抜けていくのです。

 

もし、ブランド品が好きでそれらを身に付けることを肯定する人がいて、この言葉に反駁するのなら「私は機能性を求めている」「それを身につけることで自分を好きになれる」などと返すかもしれません。僕もこの反論のカードは常に持っていて、人間の価値の普遍性に抗っていました。

ですが、ここ最近、気が付いたのです。

「もし、誰からも見られていないのなら、ブランド品を身につけることに意味はあるだろうか。自分の家の中で身につけて、一人で完結できるだろうか」と。

これも否でした。結局、誰かに見せたい、要は見栄を張りたいという気持ちが心の中にあるからこそ、ブランド品を求めているのです。

 

機能性、そして自分を好きになれるという理屈は否定しません。機能性については値段に見合った商品があるのだろうし、自分を好きになれるというのも嘘じゃないかもしれない。そういったものを身にまとうことで、背筋をピンと張って鷹揚な振る舞いができるのであれば費用対効果はあるのでしょう。

でも、考えたんですよね。その支払い価格で得た商品と、機能性はほぼ等しくてももっと低価格で買える商品とを見比べて、高いものを買う理由はなんだろう?って。卑近な例だとアークテリクスやパタゴニアで身を包むのと、それの1/10の価格でユニクロでコーディネートするのと。どう違うのか。やっぱり「見栄を張りたいんじゃないの?」

「自分を好きになれる」理論については、中身を磨けば何を着てても好きになれるんじゃないかと。今のありのままの自分を肯定できれば、たとえ裸でも誇らしいものなんじゃないの、って考えます。極論ですけど、でもバカげてないんです、目指すべき普遍の理想だと思ってます、本気で。だから、結局何かで身を包むことで中身を偽装せんとするブランド志向も「偽りの自分で人を欺く小手先のTIPS」になり下がるんじゃないか?

 

エクスキューズもほどほどが良いのでしょうが、もう一度言わせていただきますと現時点でブランド品志向な方を否定しません。これはあくまでも僕が今の時点で考えていることを文字化したに過ぎませんから。もし、ブランド品で身を固めている人からそれらを取っ払って「さぁ胸を貼れ」と脅しつけたところで、それができるとは限りません。ストレスなく生きれている要素としてのブランド品でもあるかもしれませんからね。

ただ、もし僕と同じような心境に辿り着いたとして、あなたが今身につけているブランド品に魅力を感じなくなったら。その時は次項で説明するライフスタイルを意識してみてはどうかな、と思うのです。

 

これからのライフスタイル

なんでもかんでも「ブランド品!?なんて下賤で俗間的で汚らわしきものか!」と脊髄反射的に切って捨てる極端な思想は持たないように。誰かがブランド品を身につけていてもそれは自分の問題ではないし、否定すべきものでもない。仮に自慢してきたとしたら「良いですね」とにっこり微笑んで刹那、過去のことにするくらいの余裕を持ちたいです。

「他者への羨望、妬みを捨てる」

 

どんなメーカーだろうと、無印良品だろうと、その商品に感ずるべき魅力は「機能性」であり、ブランド的名声ではない、とうことを肝に銘じます。「本当にこの商品は自分に必要なのだろうか?支払うべき対価はあるか?」が主眼です。自宅の蔵に眠っている似たような衣服や商品を使い切っているかどうか?も考えたいです。

「今あるものを使い切らずして、次の欲に手を出すべからず」

 

心の充実を図ります。恨まず、妬まず、自分を認めます。この作業は「できた自分を認める」のではなく「ありのままを認める」作業になります。ですから、ポジティブだけじゃなくネガティブな感情も、押しては引く波を受け入れる砂浜の如く抱擁します。跳ね返してはいけない、「ああ、辛いんだね、苦しいんだね、今の自分はそう考えているんだ、わかったよ」くらいの心境で参ります。

「ありのままの自分を受け入れて、心の充実を図る」

 

此度の心境に至るきっかけ

前々から、薄々感じてはいたのです。心の中に種はありました。ただ、今までそれが萌芽しなかっただけ。それにキッカケとなる「水」が加わっただけなんですよね。

 

2016年の初頭に読んだこの本がすべてのきっかけといっても過言ではありません。結局、周りの誰かが考えることは自分にコントロールできない、ブランド品に身を包んでも相手の気持ちは動かせない。自分の課題にあらず、という理論を学びました。 

 

上善如水。

水の如く生きよ、それすなわち道であると説く老子の思想に感化されました。

清貧を超越して知を手放すまでに達観したこの思想は現代社会にそのまま当てはめるには拒絶反応が大きいかもしれません。もし、この思想を活かすのであれば良いとこ取りが良いです。どの学問もそうですね、先ほど紹介したアドラー心理学本もそうです、額面通り受け取るから嘔吐してしまう。 

 

前編はkindle無料版及びオーディブル

後編はオーディブルのみ

という狭いプラットフォームなデールカーネギーの著書ですが、数多の成功者から収集した成功体験から学ぶ「悩まないTIPS」は、人間の本質的価値を学ぶには十分すぎるほどのクオリティです。 

カーネギー著書をまともに読んだ(聴いた)のは初めてですが、哲学的思想やキリスト色がやや色濃いなと感じつつも、地に足が付いた良い自己啓発本だなと感じましたね。これを聴いていれば、些末なことに惑わされることも減るかもしれません。ブランド品との決別を後押ししてくれたことは間違いないです。

 

おわりに

今まで買い込んだブランド品はどうするんですか?

捨てるのは勿体ないから、とりあえず売るか駄目になるまで使い続けようかなと。

なるほど、これから商品を買う、という点において考え方を変えていく、ということですね。

うん。今あるものを否定するものではないからね。そこはしっかりと棲み分けたいと考えています。

やっとお金、溜まりますね!

それな・・・

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