トライアンドエラーは誤り。
どんなに困難なことが先に待っていても「トライアンドエラー」で全ての不安は消し去ることが出来る!
— 羆 (@poji_higuma) 2018年5月28日
わお、恥ずかしい。
トライアルアンドエラーな。
考える日々が続いた
ここ数週間くらいでしょうか、考えることが増えていました。
未来に、未体験のイベントが連なっていたからです。未来に起こる事象というのは等しく未体験のイベントなわけですが、「予定されている」と付け加えましょうか。
それらのことを考えると、どうしても頭の中でモンモンとしてしまう。それについて、どのような準備をしたら良いのか。今のままで大丈夫か。このままでは、駄目なのでは・・・などなど。
高揚感をもよおすような前向きな内容ではありませんね。未来への想像というのは時に「くるならきやがれ、面白くなってきた」DBの孫悟空ばりにポジティブなものではない。本来、こうあるべきなのでしょうけど。
トライアルアンドエラーを思い浮かべる
そんなある時、ふと思い浮かんだのが「トライアルアンドエラー」ですね。
直訳すると試行錯誤であるが、現在の考え方では、まず行動を起こし、そこから見える修正点を修復していくことに重きが置かれている。
ぶっちゃけ「トライアンドエラー」が先に浮かんじゃいましたが、このたび調べるにあたり誤りだということに気づきました。
やってみなきゃ始まらねえ。来てもいないのに考えたって、不安が募るだけ。じゃあ、考えるのなんてやめちまおう。なるようにしかならねえんだ。
けど、考えるのを止めるというのは準備を怠ることじゃない。それは「放棄」にほかならない。じゃあどうすれば良いのかというと「今、できることを精一杯やる」じゃないかと。
先に待っているAというイベントがあったとして、「Aが上手くいくか不安」だとか「どういう風になるか予想ができない」など不安を思い起こすような想像はやめる。
そうじゃなくて「Aがあるなら、今はこれを頑張ろう」とか、事前学習や準備に一生懸命になる。その時は、「これで良いのだろうか?」なんて考えない。その対策を、夢中でやればOK。こんなところでしょうか。
おわりに
スイッチなんて、どこにあるか分からないもんですね。いっぱい寝て、起きて、朝ごはんを作っている時に急にキュピーンと自分の中のスイッチが入った。
「失敗したっていい、次に活かせばいいじゃない。なにを今からネガティブなことで頭をいっぱいにしてんだ俺。考えるな、手を、体をまずは動かせ。やれるだけのことを夢中でやれ!」という指令が流れたのです。
こういう、モンモンとしても最終的にはポジティブでクリアな精神に戻してくれる構造は我ながら強いなぁと思うわけです。そして、このような性格に生まれてきたことを親に感謝するわけです。
実はスイッチ、あったんですよ。
運動会で流れていたこの曲。
サビの部分が流れた瞬間、そこに意識の全てをもってかれました。
「あ、なにこれ、凄い元気になる」
って。
おお、自分の中にトライの芽が植えられた。
そうだ、いつかすべてが無に帰すんだ。
だから、その過程の些細なことに不安を募らせるなんて馬鹿らしい。
やれるだけやってやる。
考えるよりも動いてやる。
そんで、夢中で進んだ結果どうなるかは、ドーンと受け止めて、それでもまた明日を生きてやろうじゃないかーい!
という感じ。
さて、今日も手を、体を動かして考える暇なんてない一日を過ごしたろう。