2016/11/3のお話です。
文化の日で、平日は往来する人もまばらな旭川駅前は多くの通行人でひしめいていました。
「珍しいなー、こんなに人がいるなんて」
ぼんやりと買物公園通りへ歩いていると、何やら駅前イオンでイベントチックなことをしているじゃありませんか。
クリスマスツリーの点灯式
女子中学生(くらいかな?)の一団が2列に整列し、手に持っているのはクリスマスベルです。おもむろに始まった演奏会で奏でられたのは「きよしこの夜」でした。
清彦の夜じゃないですよ(聞いてない
感動とは少し距離を置いた生活を送っている僕の心に、素朴なベルの音が優しく語りかけるかの如く冷たい扉を開いていきます。「こういうの聞くのも、たまにはいいもんだなー」なんて。
おお?
なにやら、クリスマスツリーを点灯するようです。「はーい、みなさん、手を挙げて3,2,1でカウントダウンよろしくお願いしまーす」僕はこういうの、乗らないんですよね。けど、心の中では一緒にカウントダウンする。
3,2,1・・・
綺麗です
ただただ綺麗。これを素直にこう感じることができた自分の心は、まだまだ捨てたもんじゃないなって思いましたよ。人の心、残してたんだねぇ。
あ、なんだろう、この瞬間にある感情が惹起します。
全ての人が幸せで、貧困なんてなくなればいいのに
理想的すぎて眩いくらいの謎の希望が僕の胸を満たします。
ツリーの点灯式に来ている人は、ツリーに明かりが灯る程度のイベントを観に来れる余裕があるということです。おのおの、いろんな事情や悩みを抱えているのでしょうけど、冬の北海道の夜風を凌げるほどの外套をまとえるということは、極限まで追いつめられた人たちではない。
でも、この煌びやかで浮かれた世界のアンダーグラウンドで、どれほどの人が困窮しているか。上澄みの綺麗なところだけで世界は構成されておらず、すべてを合わせて1なんです。
だから、この場にいない、どこかで苦しんでいる人が1人でも救われてほしい。少しでも非業の終末を迎える人が減ればいい。なんて灯ったツリーを見て考えたわけですよ。
色々なものを見すぎました、本を読みすぎました、この国の歪を統計から俯瞰してしまいました。だから僕は手放しで浮かれることはできません。自分は食うに困らない、それですべてがうまくいっているなんて考えたくなかったのです。
なーんて、厭世的というか、へんてこなニヒリズムを拗らせてるなって自分でも思いますよ。ベルが素敵で、ツリーが綺麗でした。まる。で終わればいいものをね。
とりとめもない雑記でしたが、これで終わります。