何となーく「吸水発汗系のインナー欲しい」って思い立ってスポーツ店へ行く途中の話。
家にあるじゃん
結構、気が変わりやすい性質で。
向かっている途中でこう考えたんよ。
「まてよ、家にあるTシャツで十分じゃね?新しく買うこともあるまい。穴空いてボロボロになって、どうにもならなくなったら、買えばいいさ」
と。
んで踵を返すかのごとく来た道を戻って、食材の買い物をして帰途につく。
シンプル
そのことについて考えてみる。
買う必要がなければ、向かう必要もなく、 ガソリン代が無駄。
最初から検討して「いらん」という結論を出しておけばいいだけの話だったか。
いやいやまてよ、新しいものを買わない、という選択肢をとった自分のシンプル思考に(そもそも論は抜きにして)賛辞を贈ってはどうだろうか。
うん、そうしよう、前向き思考。
考えを整理して。
「今、家にあるもので本当に足りないのか?」という視点を常に持つことは大切なんじゃないかと思った。
もし、買いたいものがあって、それが見栄なのか、それとも本当に必要なのかをしっかりと検討すれば、1年の買い物も随分と減るのではないかな。
それと合わせて、不要なものは売るなり譲渡するなりして、物を減らしていく。これがシンプルライフってやつなのかもしれない。
暇に対するモヤモヤ
「新しいものを買わない」の敵は、暇である。
人間、暇をすると暇を潰すためのコンテンツを求める。
ソシャゲのガチャ然り、新しいゲーム然り。
ソシャゲのガチャはサービス終了で藻屑と化す。新しいゲームも飽きてしまえばそれまで(体験には換えられる)。
これは一例で、とにかく暇つぶしの為に人間は散財しがち。
ここをどう乗り越えていくかが「新しいものを買わない」ライフの要諦になるのでは。
対策としては、今ある加入サービスを本当に堪能しつくしたか、あるいは家にある積読の未消化や、いちど読んだがもういちど読んでも十分に価値のある書籍が眠っていないかなどを考え直してみると良いかもしれない。
管理人の場合は「Amazonプライム」に加入していて、そこでは未視聴の映画やアニメが盛りだくさん。新作に選り好みしなければ、おそらく新たなコンテンツの購入をしなくとも十分に「暇」は潰せるはず。
また、本棚にある書籍も、きっと2回目を読んだらさらに深く内容について理解が進む、いや2回以上読まなければ理解が難しい本がたくさんある。こういうのも、手にするのは無駄なことではないし、下手な散財を伴う暇つぶしよりはずっと実りのあるものになるはず。
おわりに
節目に決断を伴う大きな買い物はさておいて・・・
日常で何気なく欲しいな、と思った物品というのは、案外今の状況では必要のない物である、ことが多いように感じるよ。
だから、常日頃からこういう思考は心掛けておきたい。
「それ、本当に必要?」
と。
こういうケチケチした考え方が若者の消費を抑制しているんだろ、といわれれば、やや困った気持ちになるのだけれど。そもそも安く買いたたかれて資産のない若者世代に消費を迫るのもナンセンスではないかなとも思うし、今の時代、こういう倹約思考になるのは自然なんじゃないかと。そんで、それを助長する自説をブログで唱えることもまた、理解を得たいという考えが僕の中ではあるね(´・ω・`)