羆の人生記

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禍福は糾える縄の如し(かふくはあざなえるなわのごとし)

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「禍福は糾える縄の如し」って言葉をご存知ですか?

かふくはあざなえるなわのごとし、です。

(「史記‐南越伝」の「因レ禍為レ福、成敗之転、譬若二糾纏一」から) わざわいが福になり、福がわざわいのもとになったりして、この世の幸不幸はなわをより合わせたように表裏をなすものであるの意。

コトバンク

日常生活の中で、ふと、こんなことを考えるのです。 

ある日の夕方

隣町の帰り道、車内でふと見た空にいたく感激しまして。

曇天の合間から西日が覗き、雲を赤紫の綿あめのように装飾している。

「旭川の空は広いねぇ」なんて感心しながら、ふと、幸せに包まれている自分の心を認識したのです。

なんということか、これは幸福の絶頂。自分はおそらく、穏やかな生活の中で、幸福という名の山の頂に辿り着いたのかもしれません。 

写メりたいくらい綺麗な空だったんですけど、さすがに運転しながら写メはできませんでした(笑)心に焼き付けるので精一杯!

幸せの絶頂、ということは・・・

ということは。

あとは山を下るだけです。

つまり、辛いことがやってくる!!

というのは少々短絡的かもしれませんが、でも、実際にそうなのかなーと。

今までの人生を振り返っても、やっぱりそうでした。幸せなことが起きると、天にも昇るような気持ちになったものですが、そのあとにぶり返しがやってくる。そんなことの繰り返しでしたよ、この30数年間は。

だもんですから、ある程度は覚悟を決めているんです。そろそろ、くるな、と。どんな不幸がくるかは、わかりません。自分が日頃、無意識にやっていることが積もり積もって何らかの厄災になって降りかかるかもしれませんし、不可抗力によるもらい事故の可能性だってある。

ま、ともかく。なにかしらあるでしょうよ、と。

悲観はしていない

別に好きで不幸な出来事に遭遇してるわけじゃないです。誰だって、嫌でしょ不幸。でも、繰り返しやってくるものなのだから、しょーがない。

こんな感じで、腹を括っちゃうんですよ。もう、なるようにしか、ならない。ジタバタしたって、駄目なものは駄目だ。

じゃあ、いっそのこと受け入れて、向き合って、次の「幸」が糾うかの如くやってくるのを、ジっとこらえて待つしかないわけです。

もちろん!降りかかる何とやらは振り払わねばなりませんよ。避け得るべき不幸は、避けるべきです。でも、運命は、因果には逆らえない。死力を尽くして戦っても、受け入れるべき不幸は必ず訪れる~!

幸せって永遠に続くのか?

幸せが永遠に続けばいい、なんてのはロマンチックな場面で男女がヒシと抱き合い思わず口にする台詞なんでしょうけど、実際に幸せって永遠に続くと思います?

愚問でしたね、そんなわけないですよね。いつかは終焉に向かうのは幸せも人生も一緒。プリザーブドフラワーみたく、半永久的に保存できるような代物では、幸せはない、っちゅうことです。人生も一緒でしょ?静止画でパシャリとやった画像は、切り取った1枚の画像なわけで、動的なものではない。今は絶え間なく続くわけで。

もし、幸せが次から次へと続いてしまうと、おそらく幸せに対する感覚が鈍磨していって、社会通念上「幸せ」と感じるであろう出来事に幸せを感じなくなってしまうのではなかろうか。で、登って登って登りつめた幸せ山の標高はエベレスト並みになっていて、そこから転落するとなると落ちる道程もそりゃ物凄い長さと衝撃になるわけです、揺り返しが半端じゃない。

こんな言葉を羅列して幸せな人に冷や水を浴びせたいわけではないんだけど、でも、その幸せは決して長くは続かないし、禍福の螺旋からは逃れられないってことを、肝に銘じたほうがいいのだろうね?っていう、自分への戒めも込めた感覚の共有です。

糾える縄と生きていくために

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テニスで左右に振られまくって、ヘトヘトになる人生が嫌だー!って人は、じゃあいったいどうすればいいの?という心の処方箋としてひとつ。

中庸であること。

これだろうね。

日頃、幸せを感じるにしても、絶頂的ジェットコースター的な幸せを求めるのではなく、ささやかな幸せとともに生きる。

不幸を感じたとしても、悲観せずに、静かにそれを受け入れ、時の過ぎるのをジッと我慢強く待つ。

ギアをNにしておいて、どっちにも揺れ動きを少なくしておく。こうすることで、禍福の糾いに右往左往しなくてもよくなるのではないか?というのが提案です。

「つまんねぇ人生だね?」とおっしゃられる方もいるでしょうし、幸せになるならとことんぶっ飛んでやろうぜHAPPY!って主義の人もいるでしょ。こういう人は、反対側に針がギュンっと振れた時に根本がボキっと折れない丈夫な人なんだろうし、自分の仕様に沿ったその人にとってはベターな生き方なんでしょう。

でも、管理人みたいにね、臆病な気質の人は、中庸がおすすめ。嫌なこと、物、者はできるだけ遠ざけて。自分の静かな時間を設けて。酒・たばこ・ギャンブル・恋愛をしなくとも、読書で小さな喜びを積み重ねるような。そんな生き方をしていれば、日常の小さな幸せも小学校のグラウンドにある築山を登り切ったくらいで絶頂に感じ、次に来る不幸もグランドラインまで短い分、絶望はしなくて済むんだ。

 

ま、そんなことで。

こうやってブログ書いて反響があって。

それを見てニンマリしているうちは、実はまだ幸運の山を登っている最中なのかもしれないけどね。