羆の人生記

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晩酌を止めた理由と、止めてみて感じたことなどをダラダラと

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平成30年10月から、晩酌を止めました。

今回はそのお話を。

自分はお酒が好き・・・だと思っていた

良い年ごろにはお酒を口にしていて、それいらい機会があるごとに飲んでいたお酒。晩酌が習慣化するまでには多少の年月を要しましたが、それでも20代の前半には毎晩のようにビールを飲んだものです。

 

世の中のみなさんは、どうして晩酌をするのでしょうか。理由は様々だと思いますが、自分の場合は「自分がお酒を好きだから」だと考えていましたし、誰かに晩酌の理由を問われると、きっとこう答えていたでしょう。

でも、たぶん、「好きだと思っていた」だけなんじゃないかなーと、晩酌を止めてみて感じ始めたのですね。いや止めた止めたいうてもまだ3週間少々の話なんですけれども。それでも自分とお酒の関係を見つめなおすにはそれなりの期間だったわけで、そこから出てきたのがこれだったわけです。

心の底から好きだったら、多少健康を害してでも飲み続けているでしょうし、3週間以上も断てるものだったら、そこまで好きじゃなかったんじゃないかなー。

うーん、でも、どうなんだろう。距離を置いたからこそ「あれ、どうでもいいぞ?」みたいな、冷めきったカップルが試しに距離置いた結果、見事に自然消滅するようなものなのかも。近くにあるから好きと錯覚する、的な。

アイデンティティの一部だったのかも

自分を自分たらしめる要素、しかも小さくないものとして「お酒」が自分の中に君臨していた。のだと思います。これは間違いない。酒が強い、を自称してみたり、「帰宅後の一杯さえあれば幸せです」なんて恥ずかしげもなく公言してみたり。自覚する以外にも他者から見て僕の中に酒という要素はきっとあったのだろうと予想。

若者がタバコを「カッコいい」という理由で吸い始めてステータス化するかのように、僕もお酒をそれっぽいものとして自分に飾っていたのかもしれない。蓋を開けてみりゃあデメリット盛りだくさんのお酒なのにねぇ。知らないってのは、辛い。

 

両親が酒飲みでした。母親のほうが特に。現在進行形です。父親はまだ嗜む程度ですが、母親は明るいうちから飲み始めちゃうくらいに酒が好き。そんな両親を見て育ったものですから、飲酒というものに抵抗がなくなるのも無理はないのかなと。大人になったら、飲むのは当たり前。いやむしろ飲んで一人前。美味しそうに飲む父や母の姿を見て刷り込まれる、酒への印象。

さらに、多少酒の失敗も、自分がそうであるものだから親に多めに見てもらえる、という堕落者の相互承認みたいなのが働いて、本格的に省みる前に自制心が立ち消える、なんてこともあって、それ自体の認識もないままに次のお酒での失敗に走っていくという悲しい歴史の繰り返しだったわけです。

 

夕方以降に自分の人生の時間で「お酒がなくなる」ということが何を表すか。想像するだけでゾっとしたものです。17時、ないし18時、遅いときでも20時台。ここからはお酒を飲む。そして正常な頭を失って、モヤがかかった感覚で床につき、朝を迎える。こんなことを数十年間続けていて、いざ、ダルマ落としのように夕方の時間をポコンとぶち抜いてしまったら、いったい自分は何をして夜を過ごせばいいのだろう、という寂寞感が間違いなく襲ってくるはず。

なかったらなかったで、補完できるもの。モノや感覚もそんなもん。酒を飲まなきゃ飲まないで別なことやるに決まってる。黙ってたって心臓や肺、脳は動いてるんだし、そこが意味のわからない空白の時間になることなんて、ない。・・・というのは冷静になってこそできる発想であり、そうじゃない場合には、やっぱり失う恐怖感みたいのはあるんです。まるで自分の時間(人生)の一部をロスとしてしまうような。

晩酌を止めた理由

理由なしに数十年続いた習慣を変えよう、なんて考えません。だから理由がある。が、スイッチをポチっと押したかのように、或いは、ある日突然受胎告知の天使が舞い降りてきたかのように、自分を他人のように一瞬で切り替えてしまった劇的なきっかけがあったわけではなくて、蓄積したものによるもの、だったんですよ。多分。

 

やっぱ大きいのはあれかなー、尿酸値。結構診断でひっかかっちゃって。(参考記事)で、1年間はお酒を控え気味にしたり、飲む種類を変えたりして頑張ったんですよ。でもね、駄目だった。8.7から下がったとはいうものの、8.1だった。駄目だ、いつでも痛風になる素地ができあがっている。痛風になりたくてなる人はいないでしょ?僕もなりたくないもの。

これに付随して「酒は健康に悪い」という認識が強まったこと。晩酌を止める根拠としては十分すぎるくらいでしょ。

Google検索で「酒 健康」と検索してみたら、有象無象のサイトが眼前に飛び込んできます。健康を謳うものから、害への警鐘をするものまで、色々。で、結局自分はその中のどれを信じるのか、という話になりますが、できるだけ確たる論拠を持って、どのような研究が示した結果なのか、しっかりと明示できているものを信頼するのが理想。なんだけど、根拠が英語の論文だったりすると、自分でそれを紐解けないもどかしさというか無学の辛さというかがあります。

ここ最近、数年?自分の観測レベルで「酒の害」が報じられることが多くなったように感じます。少しでも飲むと脳が縮む!とかね。で、それって本当なの?どうなの?ということになりますが、火のないところに煙は立たない。真偽の割合はさておき、全くの嘘ってことは、ないはずだ。そう思ったわけです。うだうだ述べましたが、とどのつまりは自分の中で「酒は(健康にとって)いいことなし」という考え方が固まった、ということ。

 

それと、体重が落ちねえ。これ、めっちゃデカい。

僕は美醜コンプレックスみたいのを持ってます。(参考記事)自分が太っていると、イコール落伍者として自尊心を傷つけてしまうんです。自分が許せない。たるんだ腹はギルティ。美醜、いうてもべつにジャニーズジュニアみたいな容貌じゃないです、服を着たマレーグマみたいな感じです。だから「何をそんなに気にしてんだ、自意識過剰のおっさんキモい」といわれればそれまで、なんですけれど、僕の中で太るというのは一大事なんですよ。自分の中で。他所と比較してどう、じゃなくって、自分の問題。

ほんで最近、宴会明けに激太りして、しかも全然戻んない。加齢とともに基礎代謝も落ちて、今までは軽く戻していた体重が自分でコントロール不能になる。あー、もうこれは駄目だ、酒を止めるしかない。酒を止めたら、体重のコントロールはなんとかなるはず。かつて酒を止めた時には3週間で5kg落ちたし。(参考記事)やっぱアルコールのカロリーは半端ないんだな。

美醜コンプレックス自体があんまよくない・・・というか精神的には闇の部分で、治せるものなら治したいんですけれど、もしかするとこれは一生のお付き合いをしていかなきゃならんかも?と自分の中で考えるにあたり、じゃーもーこうなりゃ仕方ねえ、地獄の底まで付き合ってもらおう。ということで考え方を変えて「美醜コンプレックスで体重コントロールできるなら、それすなわち健康管理にも直結するし、いいんじゃね?」と考えることにしました。太り過ぎると死の四重奏という、RPGでいうところの即死魔法的なものにもなりかねないからね。見た目の問題だけじゃなくて、中身のことも含めて危ない。

 

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あと、いちばん語りにくい、というか語りたくない部分なんですけれども、ここは不可避なので語ります。酒癖です。これがよくない。かつてなんど酒で失敗したか、数知れず。喧嘩、破廉恥、はたまた・・・なんてことを繰り返してきたわけです。あ、飲むたびになんかある、ってわけじゃないですよ。頻度としては年1くらいですかね。深酒して、そこに精神的なものが合併すると発動します。抑圧した自分の心の足かせが外れて、クリーチャーとして噴出するのですね。

でも、十分すぎませんか。なにが十分って、死ぬ(社会的なものも含め)確立を上げていることについてですよ。酒でトチ狂わずに暮らしている人よりも落命する危険が高い。なんせ自分の意思でどうにかなるものじゃない。酒で記憶がぶっ飛んで、翌日に「お前凄かったぞ」とかいわれて、もうビクビクしながら聞かなければいけないわけですよ、自分の痴態を。そんで、関係する人のところに行って、場合によっては頭を深々と下げなければいけないわけですよ。場合によっては冬に桟橋から転げ落ちて、カチンコチンになって発見される危険だってあるんですよ。自分は死んでるからドウデモイイのかもしれないけれど、残された遺族とか葬式の手間とか恥とか、想像するだけで辛くなります。

ま、そんなわけでですね、晩酌を止めるということは、そういう危険がグっと下がるということです。

 

実際に止めてみて感じたこと

寂しい感じがしました。止めて1週間くらいですかね、「あー、この時間にはいつもは飲んでるのになー」なんて、毎日考えてました。この感覚はタバコを止めた時にも感じました。(参考記事)依存性のある物質を断つと、こういう感覚が襲ってくるものなんでしょうかねぇ?止める人に等しく襲い掛かってくるような。2週間を過ぎた頃でしょうかね、この感覚も次第に消えていきました。やっと、晩酌をしないことが当たり前になったのです。

 

あと、寝れないかも、って構えてましたけどね。全然寝れました。以前、とある理由で禁酒した時期があったんですけれど、そん時は睡眠剤のお世話にならないと寝れなくなったんですよ。驚きです。で、睡眠剤の副作用?で翌朝には頭がボーっとして全然使い物にならなくなったり。余計駄目じゃん。ということで飲酒を復活させた経験があるんですよ。でも、今回はそんな心配も杞憂。もう、グースカ寝れます。日中にしっかり運動して、お日様の光を浴びることが最低条件ですけどね!

で、思うんですけれど、お酒を断ったら寝れない場合ってのは、何か大きな悩み事を抱えているんじゃないかな。かつての自分がそうだったようにね。で、今回はどうなの?っていうと、ほんと有難いことに心乱されることなく穏やかな日々を送らせていただいているんです。心の中で何を抱えているかは見えませんけれど、でも身体的な症状として現れていないしよく眠れることからも「あー、今の自分は心が健康なんだな」って実感するんです。

だもんですから、「お酒を断って寝れなくなった!」って人は、根本的に自分が何かの悩みを抱えているんじゃないか?ってことを疑ってみると良いです。で、もし心当たりがあるようなら、まずは悩みをしっかりと直視して、存在を認識する。んでもって、その解消に向けて少しずつでも歩を進めてみてはいかがでしょうか。転職する、だとか家族で話し合いをする、だとか信頼できる人に悩みを思い切って打ち明けてみる、だとか。なかなか一筋縄ではいかないのでしょうけれど。僕もコンプレックス結構ありますんでねー、難しさ感じてます。

 

体重はどうなの?っていうと、期待したほど劇的には減りません(笑)そんなに甘くないかー。体重コントロールは酒で極端にできる、と考えない方がよさそうです。それよりも食事の量(特に炭水化物)に注意する、間食をしない、有酸素運動を毎日継続、とか。日常生活で気を付けるべきことはほかにもいっぱいあると思うんです。これらを総合的に行うことで、徐々に体重を落としていくのが理想でしょうな。

3週間で2kgくらい、落ちたかな。減らない減らない、と苦しんでましたけど、ズボンのウエストが少し緩くなった時に「あ、多少は減ってきたかな」って実感できる程度。でも、晩酌していた頃は徐々にでも減ることはなかったから、このまま晩酌を止め続ければきっと健康的なBMIに落ち着けるのではないかと!

 

それと、「晩酌を止めると時間が増える」ってよく言うじゃないですか。これについて感じたことを。時間が増える、というのは説明不足で、付け足すなら「意識が正常な時間が増える」「車を運転できる時間が増える」じゃないかなーと。18時に酒を飲んだとしたら、そのあとは正直使い物にならないですからね。酒の勢いでブログを更新するくらいですかね、よかった(?)点といえば。それ以外では軒並みデメリットばっかり。元嫁が訪ねてきても「酒を飲んでいる時にポジ熊君は、少し変」という評価を頂いてますね。それと、電話が掛かってきた際にも「飲んでる?」ってバレます。自分では普通だと思ってても、やっぱり飲むと少なからず酔っ払いになるんです。

車に関してですが確かに乗れます。酒、飲んでないので。でも、18時や19時を過ぎると車の運転なんてほとんどしなくなります。買い物だって、その前に終わらせてしまうし、そもそも疲れてるんですよ。日中のお仕事で人に気を遣って疲弊してクタクタなんですよ。だから、夜遅くに車を運転する時間なんて、ほとんどないの。だもんですから、車に乗れる、のメリットはいまいち感じてません。非常事態には実感するんでしょうけどね、晩酌止めててよかったーって。ただ、疲労時にも車の運転は避けないといけません、これは道交法でも定められてますのでご注意を。

時間が増える、言いますけれど、結局は酒が疲労を紛らわせていただけで、晩酌をしなければ一日の疲れをしっかり実感できて、心地よい疲労感の中で眠りにつけるって感覚。

 

経済的にはどうなのか?っていうとそりゃ節約になります。1日500円の酒代(おおよそこれくらいだったと思う)つまみ300円だとして、1か月毎日晩酌したら24000円ですからね。24000円!凄い、1年で288000円だ、阿呆だ!・・・狸の皮算用はここまでにしましょう。ま、スーパーで酒・つまみコーナーを素通りする際の謎の心地よさはありますね。今までは涎を垂らしながら「今日は何で晩酌しようかな?」と立ち止まっていた場所ですが、そのシガラミから抜け出したような感覚で。

 

健康に関しては・・・1年後をお楽しみにって感じ。一朝一夕に認識できるほど、晩酌断ちの健康メリットは分かりにくいんじゃないですかね。塵も積もればなんとやら。普段、心掛けている健康についてもそうでしょ、試験紙の色が変わるほど劇的なものはない。だから、みんなその効果を実感する間にに習慣化できずに止めてしまう。そして、即効性のある(と、みせかけられた)派手なものに飛びついちゃうんだ。

 

機会飲酒を継続すること(終わりに)

ダラダラ書いてきましたが、最後に機会飲酒を継続することについて書きます。

 

せっかく晩酌止めるんだから、酒そのものを止めたらいいんじゃない?って思う方もいるでしょうし、実際に酒そのものを断った人もいっぱいいます(アルコール依存症者もそうじゃない方もね)。しかし、僕はそれを選択しませんでした。

理由は「社会に生きている」からです。機会飲酒しなければ社会性が欠如している、と言いたいわけではありません。自分の社会人の生き方として、付き合いもそれなりにこなすための処世術として機会飲酒を行おう、と個人で判断しているということです。

 

えっとですね、僕はサラリーマンなんですけれども、周囲は「飲み会くらいは参加するよね?」っていう考え方の人がほとんどです。この中にいて、飲み会を断るリスクというのは非常に大きい。無理に断って白い目で見られてコミュニケーションに難が発生するくらいなら、しっかりと参加して、楽しんでやろうじゃないか!くらいの心構えのが総合的には楽なんですよ。毎日、飲みに行くわけでもないし。時代に助けられて、定期的な飲み会は数か月に1回の頻度に落ち着いてますし。

 

「ぶっちゃけ、かこつけて酒飲みたいんでしょ?」って言われたら、3割イエスと答えるでしょう。完全に酒を断つ、ということについては、いつかはやりたいなーと思いつつ、まだ多少なりの未練がないと言えば嘘になるわけで。じゃ、その未練を解消するには?というと機会飲酒が丁度いいんじゃないか。この考えが収まりがいい♪

 

晩酌を止めて、人のお付き合いで飲む。こうすることで、時々しか飲めない酒に対する楽しみや期待感というのは相対的に高まるものです。次にある友人とのお酒を楽しみに、日々は慎ましく生きる。こんな生活も、穏やかでいいんじゃないかなって。そう思いませんか?

 

 

 

以上、晩酌を止めたことについて書きました。自分の中で晩酌の歴史が長かったもので、それを断つというのはひとつの節目であり転機なのかなーと考え、休日の昼間に久々にキーボードを叩いた次第です。

 

【久々にお酒を飲んだ感想(追記)】

24日ぶりに飲酒しました。自宅で友人を招き定期的なパーティをやったんですね。

ほんっと久々の飲酒なので「さぞかし美味しいのだろうなぁ」と飲んでみたら・・・

あれ、いまいち美味しくない。

期待値が大きくなりすぎてたのかもしれない。けれど、飲酒を習慣化していた頃よりもお酒が不味くなるというのは、どういうこと?

体が正常化して、酒を異物として認識しているってことなのか??

よーわからん。けれど、脳がサンバを踊り出すくらい超絶ハッピーにならなくて良かったです。なぜならその感覚で再び飲酒の習慣が戻ってしまう危険があるから。

うーん、これは機会飲酒だけで十分だね。

毎日飲む必要はなさそう。

 

<参考サイト>

酒 - Wikipedia

一般財団法人 健康医学協会「死の四重奏」

 

さらに追記

www.pojihiguma.com

断酒しました。