管理人の2年弱に及ぶブログ生活で、アクセス数とはいったいなんだったのか。
ここに記していきたいと存じます。
※記事を書く直前のアクセス解析画面スクリーンショット(はてなブログ)
開始初期
胸に期待を膨らませて、インターネットという大海原を自前のカヤックで漕ぎ出す、それがたまたまブログだったわけですね。アクセス数?そりゃもう、存在感は抜群です。いかにしてブログが見られるかを、これほど可視化しているデータはないわけですから。
2やら5やら、時には10とか。最初はそんなもんですよね。でも、それだけで書きごたえがあるというか。アクセス数を全く望まないのであれば、メモ紙でもチラシの裏でも良いわけでして、やっぱりアクセス数は最初は望むもんです。いやいまでも望んでますけど、とくに初期は、ね。
ちょっとでもアクセス数があれば、独り言からショーのステージへと変貌します。ブログが特別な存在に変わる瞬間です。これを存分に楽しめたら、脳汁をほとばしらせることができれば、あなたは立派なブログジャンキーになれます。僕ですか?汁が出過ぎて脳が溶けるかと思いましたよ。実際に少し溶けてるかもわかんないけど。
かくして、寝ても覚めてもブログのことばかり考える、アクセス数のことばかり考えてしまう生活が始まるわけです。寝る前はその日1日の総アクセス数はどれだけだったか?寝起きは夜中にどれくらいの人が来たのか?そういうのを眺めないと、気持ちが落ち着かないまでになる。こうなればしめたもので、ブログを継続するモチベーションが飛躍的に高まります。
毎日2やら6やら1だとそりゃモチベーションも上がりませんけれども、アクセス数が伸びれば伸びるほどにモチベーションの向上率は高まりますね。僕なんかは初期の頃にSNSで拡散していただきまして、初月とは思えないアクセス数を叩き出したわけでして、例えるならビギナーが気まぐれで初めて入ったパチ屋で大当たりしてドーパミンの海で溺れ、ゾンビになるかの如しです。こういう強烈体験をしたからこそ、2年弱も続いてんでしょうね。
とりあえず、開始初期のアクセス数というのは大変に易刺激なもので、それはブログを継続するモチベーションたりうるということになります。前評判のフワッとした「ブログ」という存在が、具体的な形を帯びる。それにより、今まで経験したことのない存在となるのです。うーん、運命的。あ、補足だけど、ブログってのはほとんどの人は開始~1か月で止めちゃうもんですよ。三日坊主の大量生産コンテンツでもあります。開始するのは簡単、続けるのは超絶難しい、それがブログ!
中期
これくらいになってくると(数か月継続程度)、1日数百~多い人では数千とかになってますね。ブログを始めた当初に大いなる野望を抱いていた人は特に、野心がメラメラと燃え上がって心の中は燎原の火の如しでしょうなぁ。勢い余って炎上コンテンツに手を出しちゃったりして。そういう場合の結末は、皆さんご存知の通りなんですけどね。
ま、ともあれ、軌道に乗ったというヤツです。ここまでくればしめたもの。あとはひたすらに続けるだけでそれなりの結果を出し続けることができます。この時点でドロップしていく人というのは、割合少ないのではなかろうかと。やっぱり、ある程度のアクセス数を担保にして、ブログってのは継続されていくんじゃないかなーと思うわけですね。
ここまできたら人間の果てのない欲望列車が暴走し始める頃ですね。ゴールのないアクセス数渇望もしくは収益化です。暴走列車と比喩しましたけど、これは別に悪でも不健全でもないと僕は思いますよ。世の中ではブログで稼ぐことが悪のように語られますけれども、人をたばかるような稼ぎ方をしなければ良いんです。お天道さまに顔向けできるようなマネタイズをやってりゃ、胸を張って稼いでOK。
話を戻します。ブログも中期になってそれなりのアクセス数になってくると、もはや「誰かに見られてる」を通り越してちょっとした有名人になったような、そんな錯覚に陥っちゃいます。そんな心境なもんですから、やっぱり寝ても覚めてもアクセス数。これは変わりませんね。あわせて、稼ぎなんかも気になってくるタイミングじゃないですか。アクセス数と収益は比例する傾向になりますので、さもありなんでしょう。
さてさて、ここからがちょっと厄介なところなんですけど、この中期にアクセス数というのは暗礁に乗り上げるんですね。別に一気に1/10になるとかそういうショックではないのですけど、良くて横ばいになっちゃうんですよ。そうですねー、大体3か月~6か月くらいですかね?この3か月間というのは、デカいですよ。というのも、今までイケイケどんどんできていたアクセス数が、急に凪になっちゃうものですから、困惑するんです。「あれ、あの調子はどこへいってしまったの?私のブログはこんなもの?」こんな具合にね。
人間ってのは勝手なもんでして、開始当初は1桁~3桁でもワイワイやってたくせに、ちょっと伸びてきたら最高記録を最低基準として一喜一憂しちゃうんです。気持ちはわかるんですけど、これはあんまりうまくないですね。有難みを忘れている。別に1日数百でも良いじゃないですか。むしろそれだけアクセス数があるブログは少数派なんですってば。でも、この境地にはなかなか達することができない。多くの人が「もう駄目、続けられない、心が折れそう」とか言っちゃう。
いやいや、それだけアクセスあったら、どうして心が折れようか。じゃあ、初期の3とか7の時点で、心なんて粒子レベルに粉砕されてないとおかしいって理論になるじゃないですか。違います?なまじっか宝くじにあたったがゆえに、豊かな暮らしに身を投じ、気づけば資産は枯渇して平素な暮らしに逆戻り。そうなった際に卑屈になるようなもんだと、僕は思うんです。いやいや、生きてるだけで充分っしょ、雨風凌いでお腹いっぱい食う、それ以上の何を望むのかね?と。
なーんて、ブログに没頭してそれなりのところまでたどり着いた生存者の手記みたいで、こんな高説は卑怯の極みですよね。当時のアクセス横ばいに苦しんでいた僕がこの記述を見たら「そんなこといったって、苦しいものは苦しいんだ」となっていたに違いありません。ここらへんも、過去の感情を呼び起こして、今の凪を精一杯生きているブロガーに可能な限り寄り添いたいところなんですけれども。
後期
ここ、分水嶺じゃないかなぁ。
もっともっとパワーを、名誉を、金を!
って人と
まぁ、うん、こんなもんかな・・・
って人。
さぁさぁ、ベテランブロガーさんに質問だ。果たしてあなたはどっちなのか!?
一概に「こっち」とは言い切れない人もいるかもしれません。この二つのあいの子のようなグレーパターンもあるでしょう。もしくはまた別のルートか。
今の僕はね、後者なんですよ。「まぁ、うん、こんなもんかな・・・」派!
別にブログが嫌いになったわけじゃないのよ!
稼ぎ始めたら確かにエキサイトしたのよ!
なんだけどさ、なんちゅーか、優先順位が変わったというか。
気が向いた時にブログを更新する形で、お付き合いしている今のスタイル。過去に初心者ブロガーの参考になるような記事を残しているお陰で、最近始めた頼もしいブロガーたちが読者になってくれています。こういうところにも甘えてか、あの開始初期~1年くらいの目を血走らせていた覇気が見事に吹っ飛んでしまったんですね。
優先順位としては
- 仕事
- 運動
- 読書
- ブログ
くらいになっちゃって。
過去に1か月放置してアクセス数がどれだけ減るのか実験をやった際に、大して減らなかったという実験結果を知っているがゆえに、なまじっか1週間程度の未更新はへのツッパリにもならんですよ状態になってるというのもあるんですけどね。あ、そんな中でも読者になってくれる人が毎日いらっしゃるというのは、ほんとブロガー冥利に尽きることこの上なしです、ありがとう、ありがとう。
更新頻度が高くないのに、読者が増えるのはブロガー冥利に尽きます。
— 羆 (@poji_higuma) 2017年8月16日
ブログ経験が1年~2年を超えると、おそらく開始当初の燃えたぎるモチベーションはそれぞれで別の形に変化していくと思われます。ある人はもっと高みへ、ある人は燃え尽き、そしてある人は現状維持でゆるりと。アクセス数がいつまでも黄金の輝きを放つ存在になるかといえば、否なんですね。あの頃の新鮮さは、恐らくもう戻らないのではないでしょうか。初恋の記憶みたいなものですね。恋焦がれたあれは、未知の経験がトリガーとなって脳内の物質がもたらした一過性の興奮なのかもしれません。
アクセス数って、現代の存在する証になりうる?
おわりになります。
僕らが生まれる前って、共同体として同じ方向に進んでいけば、幸せの基準とか迷わなかったんだと思うんです。例えば3種の神器をそろえるだとか、車を買うだとか、結婚するだとか。そういった「これをすれば幸せ」というテンプレートが普遍化していたんでしょう。
しかし、現代はどうでしょうか。「個の重要性」が喧伝されており、何においても自分持ち、将来の夢さえも若いころから丸投げ。幸せって何だろう?なんてフレーズが巷に溢れるのは必然ですよね。誰しもが自分というものがなんであるかがわからない。それでいて「個」として強くあれと。幸せなんてそれぞれで探せよって言われても、どこにあるかわかんねえよって話で。
そんな中で、インターネットが勃興して、ブログというサービスができ、それを利用することで個人として耳目を集めることが可能になったのです。それを可視化するのが、アクセス数なんですね。自分の書いたものを、どれだけの人が見てくれるか。そして、見られることによって、自分は確実に社会に存在しているという証左にもなりえる。多くの人に認められれば、承認欲求が満たされる。
個としてはどこか不安定で、存在しているかしていないかは、自分ですらもわからない。社会は、慣例という名の目に見えない鎖や、差別や呪詛という怨念が渦巻いてて、言いたいことは素直に言えない社交辞令が当たり前のフィールド。こんなところで、どうやって個として輝けば良いのか、認められればいいのかわからない。でも、ブログは違います。素直に意見を表明して、そこに共鳴してくれる人が少なからず存在します。もちろん、批判や暴言も存在します。が、それも含めて「個」として自分が社会に存在することを実感するためのツールにもなりえるんです、ブログが。別にブログじゃなくても良いです、TwitterでもfacebookでもインスタでもYouTubeでもニコニコ動画でもなんでも良いです。「自分が存在し、認められる場所」があればOK。
持論なんですけど、実社会では言いたいことも言えないこんな世の中じゃ・・・とか愚痴っても反発を食らって余計にストレスを貯めるだけなんです。じゃあ、どうすればスマートに現代を生きていけるか?それは自分が存在できる場所を複数確保することです。僕で例えるならサラリーマンやってるけど、ブログにも居場所在ります、あとTwitterにもあります。こんな具合で。その中で居場所のパワーの指数となるのがアクセス数であったりフォロワーであったりするんじゃないでしょうか。このパワーがあればあるほど、表面的な上っ面の社交辞令な実社会でも飄々(ひょうひょう)と生きていけるんですよ。
先ほども述べましたが、みんなで同じ方向、同じ夢を掲げて疑問を呈さずとも幸せになれた時代は、どうやら存在したようでした。今の生きる僕らには想像できない世界が、そこにはあったのでしょう。しかし、これからはそうもいきません。それぞれが、認められる場所を確保せねばならない。世間と折り合いをつけつつ、したたかに生きていく力が要求されているんです。その力の源泉がアクセス数であり、その他の居場所というわけなんですね。ですから、どうか心行くまでそのパワーを、アクセス数を求め続けていただきたいと存じます。「まぁ、うん、こんなもんかな・・・」くらいに思えるところまで行きついたのなら、そこはもう確実にあなたのサードプレイス、パワーの源泉になり得ますから。
以上です( ˘ω˘ )