部長には慇懃に!
同期には親しく!
できない後輩には厳しく!
お姉さんにはデレデレ!
いったい、本当のあなたはどこにいるのさ!?
と、激しい開幕を呈しましたが、いやほんとマジな話、本当の自分はどこにいるんだろうって、考えたことはありませんか??
100の顔
冒頭で紹介した顔なんて氷山の一角にすぎないわけです、ほかにも家族への顔、妻への顔、子供への顔、町内会での顔、PTAでの顔など、もう数えてもきりがないくらいその場で顔を使い分けるあなたがいるわけです。まさに100の顔を使い分けて生きていくのがこの世間の半ば暗黙の不文律であり、これができないと「うつけもの」などと称されて白い目で見られて疎外されるこんな世の中じゃポイズンなわけですよね。嗚呼、世間というのは誠に恐ろしいものであります。
この世間で生きていく上で(社会性があるていど備わっている人についてですが)それぞれ場面、主に相手に応じて顔を使い分けているのが事実なわけですよね?
さて、次に本当の自分について考えてみますよ。ちょっと哲学的になりますけど、流れるように読むと良いです!
本当の自分
・・・はて?
本当の自分ってなんだろう。ん?まてまて、本当にわからんぞ。会社にいるときはあの顔で、友達と飲んでるのはこの顔で。うんうん、そして本当の自分は??なんて考えたら本当にわからなくなるのですよねー!
さて、ここで見ている人はある程度、このような考えが浮かんだのではないでしょうか。「自分一人でいるときが本当の自分だろ?」なんて。どう、当たってる?これ、僕も考えたんですよ。
出社途中だとか帰宅途中、はたまた休日に家でブログを弄っている最中だとか、そういうソロ活動している時の自分が本当の自分なんじゃないの?って思いますよね。でもね、ちょっと残酷なことを言うようだけどここで存在している自分もどこぞの誰かと繋がった自我の延長上でしかないらしいんですよ。
例えば会社で嫌なことがあって上司にこってり絞られた、だとか。ものすっごいねちっこい先輩に嫌味を言われただとか。はたまたスイートハニーと猛烈な喧嘩をして最終戦争ラグナロク状態だとか。こういった心理状況を引きづっている延長ラインに一人でいる自分の自我は支配されているというのですね。
と、なるとですよ?結局「本当の自分」なんてどこにもいないっていう結論に達しちゃうんです。
こんなのアリ?
分人
「分人」って知ってますか?
「個人」は知ってますよね。その語源は「これ以上分けられないもの」から発するそうです。しかし、分人はわけられちゃってるのです。個人が分かれちゃってる。例えば部長の前の僕と妻の前の僕、これは分けられた存在ということ。
「んなばかな!」確かにんなばかな!状態ですよね。だって、そこで対応している自分は肉体的には間違いなく「僕」なわけですし、おそらく魂も一緒なんじゃないのって、思いますよね?
でも、分人の概念はそうではないのです。部長の前では部長の前の、妻の前では妻の前の自分がいる、と。それはすべて別人だけど、でも自分でもある、と。あーもうわけわかんねーということで少し整理して要約しますと極端な話ですよ、
部長と妻と同僚Aと友人Bとしか人間関係のない人の分人比率がそれぞれ0.25だったとして、×4すると1になるってことです。それがつまり「僕」の完全体ってわけです。
もしこの比率が0.1,0.7,0.1,0.1だとしたら超奥さんラブな旦那さんになるし、部長に偏重してたら出世を狙う仕事人間だし友人を優先するなら友情をこよなく愛す人間になるわけです。
つまり分人比率によってその人のパーソナリティ(属性)が変わって、それはその時々で大いに変化するってことです。
本当の自分なんて探しても駄目
なぜダメかというと件の分人の概念で考えれば、必ずどこかの人間関係に比率配分して自我を保っているのが人間なわけだから、絶対的に存在が安定した究極の自分なんて探してもどこにもいないってことになるからです。もし、自分を探したいのなら色々なところで振舞っている自分の自我のクリスタルを集めて1にしてみて、それで今の自分の属性を判定すればいいんじゃないでしょうかね。ないものを探すほど大変なものはないんですから。本当の自分なんてのは「1」として絶対的に心の中にあるもんじゃないってことですよ。
だから、人間関係で悩んでいる人、例えば呪い殺しても殺したりない同僚Aに積年の恨みがあってそいつの前でははらわたが煮えくり返る心境だとしても、かたや家に帰れば可愛い妻と子供の笑顔が見れると考えればそこに生きる意味を見出せば良いわけです。どれも本当の自分なんです、同僚Aに支配される必要はありません、むしろ妻と子供の分人配分を増やして幸せに生きればよい。それだけのことなんですってば。
人に合わせて変化する自分を嫌いにならないで!
それはあなたが社会で生きていく上で必要な振る舞いなんだから、別に「自分は八方美人で最低だ、本来はどんな相手でも対応を変えちゃいけないんだ」なんて無理難題を自分に突きつける必要は全くないんですよ!
全ての人間の前で振舞う自分は、最終的に1に帰属するんです。その配分がそれぞれ違うだけなんですよ。だから、ある人とは仲が悪くて羅刹な自分だったとしても、その配分を小さくすれば良いんです。良い自分、素晴らしい自分の分人比率を高めていけばいいんです。すべての分人は足して1になる存在です、どれも否定はできないのです。ここをしっかりと把握してください。
そうすれば「本当の自分はこんなはずじゃない」なんて不健全なマインドに陥ることなく「あの人の前の自分はこうだけど、今の自分はこうだから大丈夫♪」などと解釈してハッピーな精神の土台を作り上げることができるはずですからね。そこんとこ、忘れないでよ。
本当のあなたは、多岐に分かれたパーソナリティなんです、それはすべてあなたなんです。それを集めて1にしたときに邪悪な配分が多ければ、総じてあなたは悪と見なせます。でも、ある面では悪でも良い面の自分が生き生きとしていれば、トータルで見ても決して悪とは断じれない。
すべては自分です、偽りの自分なんてないんだってことを理解してくださーい!!
あ、ちなみに「分人」という概念はペルソナとはまた違うんです。仮面を着けて自分を偽るというよりも、相手に応じて対応を変える自分はすべて自分であると謳っています。ここに自我を否定しない素晴らしさを感じます。全部僕なんだ!
・・・ということをめちゃめちゃ丁寧に解説して教えてくれるのが以下の本なんで、色々な人の前で顔色を変える自分にうんざりしつつ、本当の自分探しでてんてこまいになっているあなたは是非とも購入してくださいませ。
- 「自分って何?」って悩んでいる人
- 「色々な人に顔を使い分ける自分が嫌い」と自己嫌悪している人
- 「自分探しの旅に出たい」と早まりそうな人