ずいぶん昔から、このアニメの感想の端くれみたいのはネット上で目にしてた。
「やめろ!」
「トラウマ」
「勘弁して」
などなど阿鼻叫喚の感想が多かったように思うが、実際に自分で見ることはなかった。
が、ここにきてAmazonプライムでの配信という好機が到来したため、おもむろに閲覧したのが一昨日の夜。
秒速五センチメートルを閲覧して約8分が経過したが、なんだろう、嫌な予感しかしない…
— 羆 (@poji_higuma) 2019年7月9日
秒速五センチメートルを見終わったけど、なにこの
— 羆 (@poji_higuma) 2019年7月9日
虚無感!!
単なる失恋とか、そんなちゃちなものでは断じてない。
多重のコンテクストが奏でる精神破壊波動。油断した。
ダメだ、もう寝ます。おやすみ😴
これは見るべき。
— 羆 (@poji_higuma) 2019年7月9日
僕はサーフィン少女とネンゴロになってマイルドヤンキーコース希望します。
幼き日の煌びやかな思い出は、それはそれで最高の宝物にしていいと思う。けど、縋り付いていつまでも前に進めないのは不健全だし、年月重ねるごとに美談ではなく痛い話になってくるのかなと。
— 羆 (@poji_higuma) 2019年7月9日
僕は新海誠さんの作品を始めて観ましたが、確実に心に残る一作でした。
— 羆 (@poji_higuma) 2019年7月10日
などのツイートをしてしまうくらいには、それなりの熱量をこのアニメから感じ取れたので、今回はブログに感想をしたためてみようと思う。
なお、当然ながらネタバレ注意である。
ストーリーや登場人物の概要等はこちらを参照。
切なすぎる
主題歌が挿入されるラストの走馬灯のようによみがえる記憶のシーンでは心に刺さる何かを感じた。
それは主人公である遠野が失恋の末、都会の荒波に揉まれてしまったことがショックだったのではなく、ヒロインの篠原が主人公ではなく別の人と結ばれてしまったベタな展開が衝撃的だったわけでもない。
いろんな人生観というか、考え方がこのアニメには詰め込まれているのだと思う。言葉では表せられないけれど、失恋のひとことで片づけられるような薄っぺらい構造にはなっていない、というのは分かった。
嗚呼あ、切ないいいいいい!!!
遠野、なにやってんだよ
自分とそっくりな境遇で、しかも図書館通いの読書好きというところも一緒、ともに過ごしててまるで自分の半身のような篠原を想う気持ちは、なんとなく分かる。
心と体がまだ未成熟だが、伸び盛りな小学校6年生でいかんともしがたい距離を隔てられてしまう遠距離恋愛のスタート、それでも手紙で双方の想いを繋ぐ状況というのは、直接会える環境よりも色々なものを増幅させてしまうには十分な環境だっただろう。
半年ぶりに会いに行った際は、電車が遅れて数時間も遅延した、にもかかわらずプラットホームで待ち続けた篠原、そんな彼女の手作り弁当を食べ、そして、キス、かーらーのー小屋で二人で朝を迎えるなど。激烈なまでに甘美な思い出を作ったわけだ。あ、小屋ではもちろん、年相応の健全な状況だ。
遠野はこれを、ずーーーーーっとひきずった。中学、高校、大学、社会人。ずーーーーっと。あまりにも、強烈すぎたんだと思う。篠原との思い出は、輝きすぎていた。これ以上に素敵なものなんて、彼の中にはなかったんじゃない?
でも、ぶっちゃけ、共感はできないなー。だって、篠原との思い出に浸って前に進めない、ってことは、自分に陶酔した極度のナルシズムってことになるんよね。
賛否両論あるかもしれないけど、遠野は自分と趣味も波長もそっくりな篠原を、鏡を見ているかのように溺愛したんだと思う。自分を移す鏡、のようなね。それを愛した。つまりは自分を愛したと同義なわけだ。ってことは、ナルシズム。
いや、分かるよ、同じ趣味で一緒にいて心地よくて、そんな人と巡り合ったらさ、ほかに行けないのは分かるって!
けど、でも、子供なんだし、身の振り方とか、少なくとも住む場所はどうにもならんでしょ。距離という、いかんともしがたい最大の障壁は、現実問題、立ちはだかるんよ。これを克服する精神力がなければ、遠くに行った理想の彼女は、つなぎとめてはおけませんよ。ええ。
で、離れ離れになってからは彼女から手紙が来たんでしょ?彼女の方が勇気あるじゃん。まだ、遠野のことが好きなんだわ、この時点では。あーあ、惜しい。
で、遠野は手紙をしたためて彼女に直接手渡そうとするんだけど、それは会いに行った際に風で飛んでしまって結局手渡せなかったでしょ?
自分の気持ちを有体に伝えるんなら、どうしてもっと早く彼女に手紙を送り返してあげなかったのさ。いや。何度か送ったのかもしれないけれど、もうちょっと能動的になっても良かったんじゃないか!?
自分に酔ってる場合じゃないよ。小学校時代で、もうすでに理想的な相手と巡り合ってるんじゃないか。それなのに、自分から起こすアクションのまぁ乏しいことよ。挙句の果てには、篠原にそっくりな彼女と妄想の世界で空を見上げて耽る始末。駄目だこりゃ・・・。
男として、お前は駄目だと思うぞ、遠野よ。ちょっと自分に酔い過ぎだな。ヘタにモテるから余計に厄介だ。表面上で薄っぺらい優しさを発揮して、小麦色のはつらつ女子を泣かしてしまうし、3年も付き合った彼女とは1センチメートルしか心の距離を詰められないような恋愛しかできない。駄目すぎる。
お前が好きなのは、篠原明里ではない。篠原明里を好きな自分が大好きなのだ。
その時点で、運命は決していたといえる。篠原と離れようと、音信不通になろうと、篠原を好きな自分さえ存在していれば、お前はもう満足なんだろうよ。自分のことが好きで好きでたまらないのだから・・・。
フォロー
遠野くん、ごめん。小学生が親の転勤で好きな子と離れ離れになったとして、なかなか打つ手はないよね。
今の時代みたいに、SNSで連絡も取りあえないし。フェイスタイムで伽ぎなんて出来ちゃう時代だからね、現代は。生まれる時代が悪かったのかな。
このアニメ自体はすっごく面白いよ。まるで観る小説。抒情的で、牧歌的で、画面の中に自分が立っているような錯覚すら覚える。素敵すぎる。気が付いたら、フィナーレだったよ。
けどね、けどね、人間というのは、先に進まなければいけないんだよ。時には後ろを振り返り、涙することも構わないさ。でも、振り切らなきゃ。いつまでも、過去にしがみついていては、未来は切り開けないよ。
篠原明里が前に進んだように、遠野君も、前に進まないとね。ジジイになるまで、ファンタジーの彼女と過ごすのかい?まぁ、それもまた人生なのかもしれないけれど。
篠原明里がいなくたって、遠野君は遠野君で、素敵な人格なんだよ。別に、誰か恋人が必要ってわけでもないよ。君は君だけで、輝けるんだ。一人でも楽しく生きている人間が、現実世界のここにはいるよ。そう、このブログを書いているオッサンさ。
散々、ひどい言葉を浴びせたけれど、なんだろうな。3年も付き合って距離が全然縮まらなかったというエピソードは、実は僕もそんなに昔じゃない頃合いに経験しているんだわ。だから、遠野君には少なからず感情移入してしまうんよ。強い語気になってしまうんよ。許してな。
はい!
というわけで終始ヘンテコなテンションで紹介したアニメ「秒速5センチメートル」でしたが、Amazonプライムで配信してまーす。
是非、観てください。
観た人の数だけ、想いが募る。
そんな作品です。
切ない!
こちらはブルーレイ