高卒フリーター上がりの管理人が、学歴と人間性の関係について語る。
学歴で何が違うのか
毎年、院卒から高認取得者まで幅広い学歴の人材が新入社員として登用されるが、僕はこれら新人に対して学歴によるバイアスはほとんどかからないし、聞くこともない。第三者がぽろりと「あいつは東京の○○大学院卒なんだってよ」なんて耳打ちしてきて、「あ、そーなの」くらいに知ることはあるが、それを聞いてもなお、その新人に対して何らかの先入観を抱くには至らない。
自分自身が高卒フリーター上がりというのも、こういった思考に関係しているのかもしれない。学歴にコミュニケーション能力や人間性は因果しない。12年間、同じ会社に勤めてきて毎年、色々な新人や会社の人間と接してきて導き出した結論だ。キャラクターが破たんしている高学歴もいれば、紆余曲折を経た学歴を伴わぬものでも、感心するくらいにできたものを持っていることもある。
ただ、学歴の差をあえて言えば地頭は多少の差があると感じる。ある結果に辿りつくまでのプロセスをいかにショートカットできるかは学歴に影響しないように感じるが、物事をどれくらい吸収できるかのキャパシティはやはり良いところを出た人間の方が優れている感じは否めない。
新規採用時のアドバンテージ
筆記、面接だけでその人の資質を見極められるほど、人が人を見定める能力は高くないと思う。もちろん、採用担当の目がどうにも曇っているようであれば癌となる人材を会社に招き入れてしまうのだろうし、人を見る目のある人がその任に預かるのが会社の利益に直結するのであろうが、機械のようにCPUを更新しただけではエラーは防げない。どんなに優秀な採用担当でも、全てを見切ることは不可能。
であれば、やはり考査として有力であるのは学歴なのかもしれない。延べで統計をとって、高学歴者が業績を上げているという感情論では否定のしようがないデータなどがあれば、より一層この傾向は強まるのだろうし、採用担当がそれを論拠に採用基準を考えているのだとしたら、それは否定できない。
これはおそらく、この社会の構図なのだと思う。大学に行けるということは、教育にかけるお金が少なからずある、ある程度の富を有した家庭で育っているということ。つまり、幼少期からお金をかけた学習をしてきたことを伺わせるものだ。であれば、やはり学習の質や量の大小で能力の優劣が如実に表れてくるのは必定ともいえる。もちろん、苦学生のように自力で学歴を獲得した者も少なからずいるだろうが、総じて見ての話し。
コミュ力や人間性は無関係
これは断言できる。どんなに高学歴でも、全ての人間が人の機微な感情をとらえてスマートな対応ができるかと言えば、答えはNo。だから、院卒でどうしようもない奴に対して「本当に院卒かよお前」なんていう罵詈雑言を浴びせるようなことは無い。そんなものは一切、関係がないからだ。ここの指導に関しては半ば諦めてはいる。なぜならばこれは生まれ持った本質的な部分が強く関係しているからであり、矯正不可能な事柄が多いからである。
話を戻すが、高卒でも今、その場でそいつに何が求められているかを機敏に察知し、何も言わずとも2手先までを打ってくる優れた人材もいる。こういう人間はコミュニケーション能力も極めて高く、危機を未然に回避するものを持っている。何かトラブルがあった際の立ち回りも非常に上手く、基本的に感情に左右された大きな決断を下すことが無い。
とどのつまり、学歴だけではその人材がその職種で業績を上げることができるかを判断する決定的な材料にはならないということ。もちろん、統計的には高学歴の方が成績優秀なのだろうけど、結局は玉石混淆で開けてみないと解らないことが多い。特にコミュニケーション能力や人間性についてはそう。
採用時に学歴を偏重して人材を確保するというのは王道だろうし、会社を末永く繁栄させる上では大事な概念なのであろうよ。しかしながら、何かと他人に対して学歴ありきで考え、マウンティングをしてみたり逆に自己を肯定できない材料にする必要は一切ないということを言いたい。学歴だけで人生は決まらん。どんな人生を辿ってきたのかは知らんが、これからのことが何よりも肝心なことであり、あなたの人間性を左右するものではないことを肝に銘じて頂きたい。