羆の人生記

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演技性過食嘔吐を止めよう~体育会系食わせる行為も駄目

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過食嘔吐癖のある管理人です。どうも。

自身が生かされている生命を食らい、それを吐くということがどれほど道理に反しているのかは、自分でも承知です。

が、どうしても、かつて肥満体系であったコンプレックスにより、美醜にこだわるあまり過剰に食べたものを吐く癖が完全にはなくならない・・・。

ですが、このままでいいとは思ってません。食欲をコントロールして、必要な分だけを摂取する生活に向けて努力しています。

今回は「演技性」過食嘔吐は、もう止めにしないか?という、自分への警鐘とともに、同じ悩みで苦しんでいる人の突破口にすべく、記事を書きます。

ダイエットにより過食嘔吐に

一時期120kgあった体重を75kgにした経験があります。

身体が軽くなり、コンプレックスを払しょくでき、恋人までできたという劇的な成功体験。しかし、心の浅くない場所に、少なからずの爪痕を残したようです。

美醜コンプレックスです。

身体醜形障害 - Wikipedia

身体醜形障害、ともいうのですね。

思春期に体形で虐めにあい、ことあるごとに揶揄され、蔑まれてきた過去を持ちます。それゆえに、もう二度とあの辛い時期には戻りたくない、体型を維持したいという恐怖心を伴う強迫のような観念が自分を支配しています。

具体的にどのような障害が起きたのかというと、14時以降に口にした固形物は、ほとんどトイレで吐いてしまうのです。吐きたくなくても、吐いてしまう。これはダイエットに成功した直後に現れました。

社会に出て、時間が経つにつれ14時以降の食事を吐くような極端な症状は治まりましたが、それでも自分の中で「これは食べ過ぎか」と感じた時に、食べたものをトイレで吐くという行為は繰り返されてきました。

最悪なことに、この行為は「演技性」へと移行するのです。

演技性過食嘔吐

「演技性過食嘔吐」という言葉は、定義がありません。今回、僕が初めて使ったと思います。

これはどういうものなのかというと、自分以外の誰かと過ごしている際に、一緒に食卓を囲うことがあったとして。そこで食事量を自分のキャパ以上に示してしまう。これにより、周りから「おお、こいつは凄い量を食べるな」という注目を浴び、それが快感になって胃がパンパンになるまで食べてしまう行為です。

体育会系の虐めにもよくありますが、ひたすら食わす、というやつですね。それに対しても負けん気や恐怖心などから、自分の容量以上の食物を胃に収めてしまう行為も、指すでしょう。

要するに、「他者の影響により、自分の意図に反して、容量以上の食物を胃におさめてしまう行為」これが「演技性過食」であると定義します。そこからトイレに行ってげーげー吐くことが合併すれば「演技性過食嘔吐」の完成です。どうですか、こういうの、心当たりありませんか?

承認欲求を拗らせていると思います。自分の存在意義というか、強みの一つとして、周りに「俺はこれだけ食べれるんだぞ」というのを誇示したい、認められたいといういびつな感情が、このような無茶な行動を引き起こしているのではないかと。僕はそう考えています。

吐いている最中は自己嫌悪です。何に対して嫌悪しているのか、それは「食べ物を粗末にしている」という悲しい感情ですね。拗らせた自分の感情を満足させるために、演技をしてまで過食し、吐く。こんな悲しいことがあっていいものなのか。吐くたびに、もう二度とやりたくないという気持ちになります。

もう止めにするための方法

ここは、自分にも言い聞かせたい。

背伸びしない

当たり前のことなんですけど、「俺っちは、すんげえ食べれるんですよ?」とか吹聴しないことですね。大食いキャラを周知してしまうと、飲食店に行くたびに「おい、そんなんじゃ足りねえだろ(笑)」とふざけ半分で食い物を勧められることになります。自分のキャパシティー以上に食べ物を食べるというのは、とても罪深いことです。多くの生命を、ないがしろにする行為です。自分が認められたいから、という矮小な感情で、命を粗末にする業の深さを、あなたは感じますか?

背伸びしないことです。本当に大食いならいいんですけど、そうじゃないなら間違っても「僕は、私は、こんなに食います」とか周りに吹聴しないことです。そんな嘘っぱちの特徴を誇示するのなら、本当に備わっている真の能力をこそ誇示するべきです。そもそも誇示すること自体が良いこととは思えませんけれども。できもしないことを誇示するよりは、幾分かマシでしょう。

勧められても断る勇気を持つ

「おらおら、いっぱい食えや(笑)」とか、立場が上の人に押し付けられても、「最近、胃腸の調子が悪いんです」だとか、「食べ過ぎると、腹を下します」だとか。そういう返しをしましょう。勇気を持ってしましょう。これがしにくい人の心理としては、「ああ、かつて大食いで認められていた自分が死んでしまう~」ってところでしょうか。でもね、これで胃腸が死ぬよりは、そんなクソの役にも立たないプライドが死ぬ方がよっぽどマシなんですって。

勧める方なんて、なんの責任もないんですよ。大抵の人は、あなたに過大な食欲を期待しつつも、そんな自分は大して食べてない。そんなことがほとんどです。ですから。そんなに真に受ける必要もないというか。真剣に受け取ったり、負けず嫌いを発動しては駄目です。相手の言う通りにすることで、どれだけの損害を被るのか。あなたの健康然り、生き物への罰当たりな行為然り、ですよ。

無理やり、食わされたら・・・

吐いてやりなさい。

その場で、思いっきり。

というのも、体育会系の虐め系食わせる行為は、自分の意図に反してそれを思いっきり強要される節があります。この凶行を止めるには、真に迫る勢いで、その場で吐くしかありません。

吐かれたら、さすがに強要したほうもお手上げですよ。そのあとの惨状などを考えると、それ以後は食わせるリスクの方が格段に上がるに違いありません。

アウトローな世界にて、吐いたら吐いたものを食わせるような人権を無視した行為に晒されてしまったのなら、証拠をしっかりと集めて然るべきところに訴えましょう。それは、間違いなく犯罪ですからね。

「吐く」というのは非常事態のみ

人間が嘔吐するというのは、肉体に取り入れてはいけないものを意図せず摂取してしまった際に、反射的にまたは意図的に吐き出す行為を指します。催吐剤を含有した物質などは、反射的に吐きます。

しかし、自分が選択して摂取したものを吐くというのは、明らかに異常な事態なんですよ。正常な認知のもとに、摂取したものを吐くということ。これがどれほど異常な行為なのか、ということをまずは認識すべきです。人は、取り入れるべきもの以外は、自己選択で取り入れないんです。それでも、いろんな毒を取り入れるのが、人間の不思議なんですけれども。

とりもあえずも、自分が何らかの原因で過食し、それを吐き戻すという行為がいかに異常なのか、道理に反しているのかを認識すべきです。自己嫌悪に陥りなさい、というわけではなく、嘔吐という行為を日常的に繰り返しているのなら、それを自分で「異常」と認識する。そして、そこからいかにして嘔吐しないか、どういった生活をすべきか、演技性を含め他者との関りをいかに構築すべきか、というのを真剣に考えるべきだと思うんですね。

 

体育会系食わせる行為

職場の後輩が、仕事帰りに大型ショッピングセンターのフードコートに連れていかれて、そこでありえない量のパスタを食わされて泣く泣く帰途についたという愚痴を聞かされた時は、なんというか悲しくなりました。

体育会系って、ほんと「食わせる」のが好きですよね。あれって、何なんでしょうか?必死に食っている姿を見て、マウントをとって喜んでいるのでしょうか。だとしたら、その喜んでいる自分の姿を客観視できない、ただの変態だと思うんですけどね。

こういう「食わす」ハラスメントが、いつの日にか世の中になくなってほしいものです。どうして、自分の食いたくない量の食い物を、逆らえない立場の人から強要されねばならないのか。つくづく、疑問です。何なんでしょう、これは田舎の、全国的に見れば理解不能な風習なのでしょうか?

僕は、被害に遭った当事者として、自分より以後の後輩にこのような惨劇が起こらないように、会社の風潮を変えていきたいと思ってます。なんかこれ、アルコールの強要にも通じている気がする。こんなのおかしいでしょ。 

 

最後は愚痴になっちゃいましたけど、今後は吐く回数を減らせればいいなと考えてます。メンヘラです。