高卒に色付けた専門学校中退という最終学歴の僕ですが人生なんとかなってます。
「いまの日本では、大学くらい出ておかないと幸せになれない」は幻想。90年代『自分らしさ』的個性尊重主義は、いまこそ再評価されるべき - 自意識高い系男子
今回の記事はこれを見て書こうと思いました。
学歴偏重社会(少なくともインターネットではそう叫ばれている)の只中で、どうもそれが実感できない。どころかこれから先もどうにかなるだろうという有難い見込みができる自分の立場ってどうなんだろう?
学歴は大事なのか
かつてこんなエントリを書きました。
大卒・高卒で何が違う?学歴と人間性は全然別物だと感じる - ポジ熊の人生記
ここではコミュ力や人間性を引き合いに出して学歴の無関係さを述べたわけですが、今回のテーマはちょっと位相が違いますね。でも、言いたいことは割と似たようなことかもしれない。
いやね、僕の周りも高卒や中退上がりの人が多いんですよ。それでもウシジマくんに出てくるような人生破滅しかかったドロップアウターというのは少なくて、みんななにかしらの仕事に就いてたり家族持ったりしてそれなりに幸せに暮らしてる。(周りにいないだけで闇に消えた人もいるのだろうが)
こういう人たちを改めて俯瞰してみると「大学を出ていなくても幸せになれる人がこんなにいるんだし、確かに大卒じゃないと幸せになれない説は幻想なのかな?」って思う。でも、それでは反証するには不十分で、自分の周りがそうだから日本全国の皆さんもそうですよね?ってことにはならない。
次に、今の自分の立場を考えてみる。
自分の立場
学歴は冒頭で述べた通り。
紆余曲折は経たけど、それなりのお仕事をして飯を食うに困らない。(転職をしなくても生きていけるのは、会社が地元に根差してしっかりしているから)
家を建てて同居していない子供に投資するくらいの生活はできます。
ただ、これは一人の力で成し遂げたものじゃない。親や友人、会社の同僚など地元の縁に大いに助けられてここまできていることは間違いないです。
つまるところ、所属するクラスタがマイルドヤンキー層なのかなと。だから高卒でも困難を乗り越えて生きていけるのではないかと分析します。そもそも良い大学を卒業して大企業の採用に有利になる必要性が、僕の地元にはありません。世間で「大企業」と呼ばれる会社自体が存在しないからです。
自分の立場で学歴にそこまでの価値を見出せないのは、地元の縁に助けられて生きている層に属しており、周りの人間もそういう人たちばかりだから、学歴の価値を理解しようがないのではないかな。
都会の無縁は恐ろしい
モノにあふれてて利便性の極み。でも、縁も学歴もない人は道具のように酷使されてひたすら消耗され、雑踏に埋もれてしまう。お金のある人は煌びやかな人生を謳歌し、貧困層は下層を脱することができない。都会にはそんなイメージがあります。
そういうドロップ層に落ち込まないための武装が学歴であり、就活においても重要なカードになるからこそ、みんな学歴の獲得に躍起になるのではないか。就活すら経験したことのない、「ESって何?」という立場からは、こんな貧弱な妄想しかできません。これが的を射ているのかも確かめるすべがない。
都会出身者だけど僕の地元に流れ着き、そこで縁を築いて根を下ろした人も周りには少なからずいます。いつの間にか「学歴」が「縁」の話にシフトチェンジしてしまいましたけど、学歴が生きるということに大きな影響を及ぼしているのなら、同じく生きる上で重要になってくる「縁」に自然と帰結していくのは無理もないような気がするのですよね。
まとめ
話が飛んで大変なので、最後にまとめます。
大卒の重要性は「大卒が重要になる環境」に置かれなければ理解が難しい
一言で表すならばこんなところでしょうか。
なんか悔しいですね、学歴について論じる以前に、論じることのできる演台にすら上がっていない自分を認識したわけですから。
人生って経験が重要なんだなって改めて感じました。僕がさも悟ったように学歴の何たるかを語るのは筋違いですね。せいぜい、高卒でも田舎は縁に助けられれば生きていけるよっていう経験談しか語ることはできないわけですから。
だからといって今から安定した環境を捨ててまで都会に行きたいとは思いませんけど(笑)旅行するなら都会が良いな、住むなら地元の縁がある安心できる環境がいい。