ポジ熊の人生記

雑記ブログの育て方をメインコンテンツに、時事オピニオンや書評などを日々更新中です。

告白とモテ非モテと非言語コミュニケーションと

maeharakazuhiro.com

少し前にこれを読んで違和感、んで

togetter.com

昨日これを読んで確信に変わったのでブログを書く。

非言語コミュニケーションでモテ非モテが決まる世の中はおかしい!

とはいっても、これが現実なのか( ˘•ω•˘ )

察してほしい

「察してほしい」ってやつは、あまり好きじゃない。自分の場合で考えてみると、それは「心の中を読んで、それを行動に移せよ」と相手に求めていることでしょ?そんなエスパーみたいなこと、できるわけないじゃない。もし相手がそれをできたのなら「なんだこいつ、スゲエな、天才か」と思わされるし、このご時世では強烈なアドバンテージになるのだろうな、と感心する。認めざるを得ないよ、そいつの能力は。けど、基本だよ、自分の考えていることっていうのは、言葉にしないと相手に伝わらないんだよ。だから、察して!察して!ってのは甘えでしかないと、僕は思うんだな。例外はひとつ、赤ん坊とかコミュニケーション手段が言語以外の場合ね。これは察してやる、あるいは一般的に「そろそろ飯か」「糞尿か」という時間経過での世話になる。 

日本人ってのは好きだよな、この「察して」っての。一世を風靡し、いまや常識となり果てた「KY(空気読めない)」ってのもそうでしょ。空気ってなんだよ、そんな目に見えないものを見ろってブルースリーの教えじゃないんだからさ、無茶言うなやwwwでも、読めないやつは陰でこそこそ言われて、挙句の果てに昇進にまで響いたりすんだよな。あいつは空気が読めないからな!って感じで。こうなると、差別だよね。非言語コミュニケーション能力で人の評価を決めるという差別。生まれつきの能力だったら、どすんだよこれ。身長が170cmないと駄目です、って公言したら一気に燃え上がる案件になるのに、非言語コミュニケーションが上手くないと駄目です、って言うと「まぁ、そうね」って承認されるのが納得いかねえ!

告白

告白にも、この察してを求めてきやがるのか。今まで仲が良かった相手に恋愛感情を抱くのが、そんなに罪か。っつか男はぬいぐるみではないぞ。ぬいぐるみならドンキにでも買いに行け!もちろん逆も然りだ、女だって玩具じゃあない。使い捨てていいものではないぞ、諸兄もそれはわかっとくのだ。つまりあれだ、男女関係なく人間として尊厳をもって相手のことを考えるのであれば、「ぬいぐるみ」なんて発想は出てこないと思うんだよね。どうでしょうか、そう思いませんか??

もし、告白されて、それを冒頭で紹介した記事内容のような禍々しいワードで表現されるのであれば、それすなわち「告白してきた相手は邪悪なゴブリンのようにこちらを虐げようとしている!」って考えてるってことじゃないの?別にそうじゃないかもしれないよ、純粋にあなたのことを恋愛対象として好きになった、という直接表現だと思うんだよね。だから、付き合ってほしい、と。正式に仲良くしましょうよ、という告白なんだよ。多分ね。いやなかにはゴブリンいるかもしれないけれども。うーん、女性特有の、恋愛対象に見られると恐怖を覚える、というのは、あるかもしれない。体つきも力も差がある男性に、異性として見られる恐怖というのは、考えなきゃいけないのかも、とは思う。

で、だ。告白されたのであれば、それに言語でしっかりと答えるのが誠実だろう。もちろん、どう答えてもそれは告白された側の自由である。ちなみに僕の場合、初告白のお返事は「ほかに好きな人がいます」でした。うん、これはさすがにお断りの返事として受け取ることが出来ました。もしこれを「ほかに好きな人がいます(でも、あなたの告白を断ったとは言ってません)」と解釈するのであればそれは妄想粘着型ストーカー資質があるわけで、やばいんですけれどネ。姉のリボンコミックスを幼少期から見ていて、そこらへんは鍛えられました。助かった。

ま、ようするに、あれだ。告白をギルティにすんなよ、と。相手の勇気を出した行為に対して、下衆なワードで切って捨てる、しかも憎悪の対象にするってーのは、いささかやり過ぎじゃないのかい?ってことだ。こういう風潮を当たり前みたいにするから、男女間が分断されてヘンテコな女性差別主義者や男性差別主義者が産まれちまうんじゃないの?

・・・しかし、擁護しきれない場合もある。例えば相手は小さな会社でほかに逃げ場所がなく、そこで真正面から告白してしまったとする。その場合にお断りを言語でしたはいいけれど、そのあとに気まずくなってコミュニケーションがとりにくくなる。そんでギスギスしてどっちかが会社を辞めるようなことになれば、それは問題だよね。ここらへんに、この議題の潜在的な原因が含まれている気がする。

「好きです、恋人になってください」→「お断りします」→「了解しました」→それ以降も今まで通りにコミュニケーション&笑顔で接する

というのはほぼ奇跡に近いんじゃなかろうか。いや、これ、理想なんですよ?すべてのケースにおいて、このような結果になるのであれば、全ての人間は幸せになれる気がするんだけれどね。そうも、いかないじゃない。やっぱり、恋愛対象として見てしまうあるいは見られてしまうと、コミュニケーションが別の位相になってしまうのであろうなぁ。

思い返せば僕が初めて告白したあの子は、狭い空間の中で一緒に仕事をこれからもしなければいけない、という条件下で僕の告白をそれなりにしっかりとお断りし、それ以降もこれまでとほぼ変わらない接し方でいてくれてしかも笑顔でコミュニケーションまで取ってくれたというのは超絶稀でレアケースだったのかもしれない。それは相手の人間性に助けられたのかもしれない。もし、相手がそうじゃなくって、別の人だったら、僕はPの生えたヌイグルミになっていた危険性もある。相手次第だ、そうなるのは相手次第。もちろん、自分がどんなアプローチをしたか、にもよるのだろうけれどね。

モテ非モテ

次はモテ非モテの話だ。ここで非言語コミュニケーション能力いわゆるお察し力の高い奴が勝ち上がる、というのも、どーーーにも腑に落ちないし納得はできん。百歩譲ってそれは仕方ない、と考えるとしても、それを当たり前と認識する社会はおかしいんじゃないのか。非言語コミュニケーションが当たり前の社会。怖すぎる。いつの間にか周りは分かっているのに、自分だけが分からなくてポツーンと取り残される。なんだそれは、サイコホラーか?このテーマで一本映画が作れそうな。

【ぬいぐるみペニスショック】女性は恋愛感情なしに仲の良かった男性から突然告白をされると、まるでぬいぐるみから唐突にペニスが生えてきたような気持ちになる - Togetter

非言語コミュニケーションが当たり前の社会とか怖くない?

2018/11/21 23:10

怖い怖い、非言語コミュニケーションでモテ非モテがわかれるの、怖い。へたすりゃイケメンかそうじゃないかでモテ非モテが分かれるよりも怖い。だって、表現ができないじゃん、言語化が難しいじゃん。こうすればOK、という解がすんなり出てこない。イケメンかそうじゃないか、だったら整形手術をするだとか体型を変えるとか解決策は色々あるけれど、お察し能力の場合はどうすれば改善するというのか。難しすぎませんか?

冒頭で引き合いに出したモテ非モテ記事の内容は、「相手の気持ちを考える」「独りよがりの恋愛は成功しない」というのを示唆していた(ように受け取った)。これって大事なことで、傷ついた相手の気持ちを考えて、言葉を選んだり時にはそっとしておく、というのも大事だ。それを考えずにズカズカと相手の心に土足で入るようなら、傷口に塩を塗り込む結果になる(かもしれない)。これは、優しくないよね。それに、独りよがりの恋ね。いわゆる「恋する自分に恋してる」だ。相手のどこが好き、とか幸せを願う、とかそんな位相じゃない。鏡を見てウットリしている状態だ。これでは恋が上手くいくわけがなく、当然結婚だってうまくいかないだろう。なぜならば独りよがりの恋というのは相手を鏡のように見ているからだ。当然、相手はひとりの人間であり、鏡なんかじゃない。そこをわかっていないから「どうしてコイツは自分の言う通りにならないのか」と束縛や攻撃が始まる。こういう輩の言動には気を付けなよ、みんな。自分の思う通りに相手を変えようとしてくる人とは、早いうちに離れたほうがいい。

このことじゃないんだよ、僕が変だと思っているのは。思いやる優しさ云々じゃない。そうじゃなくってさ、「私が声に出さなくても、表情とかそういうので読み取ってよ?」というクソ要求を止めようよってことですよ。過去に衝撃の経験をしてね。その内容はこうだ。

 

(元カノ)「ねえ、今日の私、なんか違わない?」→(僕)「え、よくわかんない」→(元カノ)「実家の飼い犬が死んで悲しいの。どうして分かってくれないのかな・・・

 

 

実家で飼い犬が死んで悲しい、を何も言われずに理解できる能力あればその時点で今の会社辞めて超能力者として食っていくわw

 

とんでもない話である。とにかく受け身で相手の行動を待つというのは、ロクなことがない。そんな食虫植物みたいな生き方はやめろ。してほしいことは言葉に出せ。私の表情で読み取って、とか高度な要求は宇宙人にやれ、普通の人間にはするんじゃねえ。相手のしてほしいことを汲み取って先回りするやつはそれこそ宇宙人だ、そんなやつはスタンダードじゃない。それの出現を待っていても、現れるわけないでしょ。パートナーを獲得したいなら、言語だ、しっかりと言語で表現しやがれってんだ。能動的に生きろ!

 

終わりに

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非言語コミュニケーション能力というのはハウツー本を1冊2冊読んだだけですんなり身に付くものじゃないと思うんだわ。当然、冒頭の記事を読んだところでそれを素直に実践しようものなら、下手すりゃ逮捕される。読み切れずに抱きしめてみたら、相手はその気じゃなくて警察呼ばれた、とかそういうのです。ここらへんでも「読む力」を求められるんです。ああいう記事を公開して真に受けちゃったコミュ障な人が思い切って行動に移したら人生転落しちゃった、なんてことがあると洒落にならん。エンターテイメントにして盛り上がるのは結構だけれど、あんなもん馬鹿正直に見たら駄目だ、突っ込みどころ満載なんだから。

「じゃあどうする?モテたいよ・・・」って人へのメッセージは、そうだねぇ。うーん、今から超能力(お察し力)を身につけるというのは、厳しいと思うよ。そういうスタンスじゃなくって、誠実に優しく生きてみたら、どうだろうか。読む、というより痛みを想像して共感して。不器用でも、その気持ちだけは持ってたらどうだろう。ヘタに不特定多数にモテようとするんじゃなくってさ。等身大の自分で誠実に優しく生きて。相手に伝えたいことは言葉に出して。それで自分が好きだと思える人に出会えるあるいは自分のことを好きになっくれる人に出会えるのであれば、きっと幸せになれるんじゃないかなぁと。

とりあえず、察することを当然のように求める社会は間違っていると思うし、変わってほしいな。「そこは読めよ」という風潮は滅んでほしい。