鈴木大介さんの著書『最貧困女子』より
低所得者がさらなる貧困へ陥る6つの要素
「3つの無縁」と「3つの障害」
について、私なりにかみ砕いて具体的に紹介します。また、行政の支援を受けない...いや、受けられない人の内容を、かいつまんで説明します。
3つの無縁
家族の無縁
困った時に支援してくれる家族・親族がいない状態です。親が困窮していればそもそも経済的に頼ることはできず、家庭が貧困であればあるほど子供が教育を受ける機会が減り、さらに将来的に収入が減るというスパイラルに陥ります。
地域の無縁
友達と無縁である、ともいえます。苦しい時に相談したり助けてくれる友人や知人などがいないことを指します。相談相手がいないというのが、精神的にはダメージが大きくなるのかなと。これで家族の無縁まで合わさると、非常に厳しい状況に陥ります。
制度の無縁
生活保護の捕捉率が非常に低い(本来、受けるべき人が受けれていない)ことからもわかるように、社会保障制度(福祉)の不整備・認知度の低さ・実用性の低さを表しているのがこの制度の無縁です。ほかの無縁よりもなんとなく実態が掴みづらいですね。
貧困は上記1つの条件だけで陥るものではなく、これらが重複して重度の貧困状態に陥っていくのだろうと筆者は説明します。
3つの障害
精神障害
うつ病や統合失調症などの障害は、安定した就業を妨げ、ケアの困難性も相まって「3つの無縁」の原因となっています。
発達障害
ADHDや自閉症スペクトラム(アスペルガー症候群)などもまた、世間から理解されづらいパーソナリティが精神障害と似たような「支援への斥力」となります(鈴木氏はこの「斥力」という言葉を頻繁に使います。双方が遠ざかるような力という意味だそうです)。
知的障害
法区分的には精神障害にはいるそうですが、療育手帳取得に至らないような軽度・ボーダーラインのものを含め、安定した職や支援者に繋がりにくい要因となるようです。
以上、3つの無縁と3つの障害について、具体的に書いてみました。いかがでしょう。これを見てもまだ、「貧困は自己責任であり、救いようがない」と言えるでしょうか。親も健在で、知人にも恵まれ、心も安定している方から言い放たれる「自己責任論」の残酷さに、自ら気づく人が増えることを祈ります。
生活保護を受けない女性
鈴木氏が取材したとある女性(23歳)は、経済的にもギリギリの状態で、住む場所さえままならない状態であった。見るに見かねた筆者は、女性に対し、図を使うなどして生活保護のシステムや、現在であれば保護が受けられることを説明し、促した。しかし、女性は以下の理由で保護を受けなかった。
「家族には頼りたくない」
そもそも生活保護を受けるには、女性に対する「家族の扶養しない意思」の照会が必要であり、迷惑をかけることではない。こう女性に説明しても
「でも、ギリギリまで頑張りたい。私は大丈夫。やれます」
こういって、突っぱねたそうです。彼女は真面目で頑固でした。だから、限界を迎えてもなお「まだやれる」と意地を張り続けた。
彼女は、その後、全ての連絡先を断って行方不明となったそうです。
福祉への知識もないし、理解もできない
このケースを見て、みなさんはどう思われます?私はこのような方を救う方法というのはなかなか見つからないのかなと思います。どうしようもない。ほとんどその領域なのかなと。だって、本人が支援を「大丈夫」と突っぱねているのですからね...周りがいくら心配しても、限界まで我慢して失踪されてはお手上げです。
そして、「教育」というのがいかに大切かがわかります。子供に口うるさく「勉強しなさい」という理由も、いまならわかります。この国で生きていくために勉強は必要だったんですね。最低限の生きていくためのサービスを、能動的に利用するくらいの知識や知恵が必要なんです。知識がないから、いくらシステムについて説明しても理解できないし、理解しようともしない。言葉の通じない人に言葉で説得しようとしても無理なのです。貧困家庭に生まれ、まともな教育を受けられず、その結果、福祉などの行政サービスを受ける知識もなく貧困のスパイラルに突入する。なんと悲しい話でしょうね...
実態を知ってほしい
このケースのみならず、様々な貧困者が書籍で紹介されております。それはあまりにも悲惨で、どうしていいのかすらわからなくなるものですが、この現実をどうか認識して頂きたい。これは実際に日本で起きている、底辺のノンフィクションだということをあなたにも知ってもらいたくて、2度目の書評とさせて頂きました。
以上です。