ポジ熊の人生記

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ひとりで静かになれる場所は超大事

職場で何気ない一言や態度に傷つくことがあります。

 

若い頃は顔に出したり皮肉を言ったりして噛みつきましたけど、今ではグッとこらえて何事もなかったかのようにその場をおさめるわけですが。

 

やっぱり、腹の中ではそれなりに燃えてるんすよね。これをどう消化(消火?)してやるか。

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僕はひとりで静かになれる場所でそいつを殺します。ちゃんと、怒りの両目を見つめて、引き金を引く。

 

腹が立った時

露にできる社会じゃないです。

 

もし、感情を表出させたら周囲が肝を冷やして個室に隔離されるでしょう。

 

腹が立った時は怒りの感情を表に出すって、自然なことだと思うんですよね。子供の頃なんかはそうじゃないですか?でも、「社会」という枠組みがそれを許さない。

 

秩序を維持することが何よりも優先されるのであれば、怒りの封殺は仕方のないことなのでしょう。世間的には、怒った人が稚拙で未熟なのだと一蹴して終わり。

 

仏教的にも怒りは妄想の類として扱われています。あって良いものではない、と。怒りはいつも邪魔者です。

 

でも、僕は怒りはそこまで不必要なものではないのでは?と感じています。自分がどんなことで傷つくのか。弱点を知ることができます。「なるほど、こういうところを突かれるのが弱いのだな」と学習できれば、次に講じる対策も立てやすくなるでしょう。

 

それに、やっぱり怒りは自然的なんですよ。人間の深いところに根差した感情。だから、もし怒りが沸き起こったとしたら、その感情は悪とみなさずに「なだめて」あげてほしい。その気持ちは十分わかる。人間だもの、腹の立つときもあるよね。けど、表に出したら社会生活がままならないでしょ。じゃ、静めるしかないね・・・。これくらい優しく包摂してあげましょ。

 

ひとりで静かになれる場所

僕にとっては自宅ですね。ここがヒーリングスポット。セーブポイント。ゾンビがいきなり襲ってくることがほとんどない、生活音だけが響く場所です。

 

怒りをなだめるには、ここしかない。

 

今日も職場でカチンときましたが、とりあえず帰宅して一息つきます。んで、何となくスマホで音楽を流してみましたが、すぐに止めました。「いや、コレじゃない、自分は静寂を求めている」って、無意識の声を聞き取ったのですね。

 

ひとり暮らし、独身についてまわるサブテーマとしては「寂しい」があります。

 

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ここでは、ひとり暮らし独身の寂しさを赤裸々につづったわけです。

 

で、今回「ひとり最高!」とか矛盾していると思われるかもしれません。でも、ひとりが好きな人にとっては「寂しさ」と複雑な感情が織り交ざっているものです。

 

だから、時には寂しさも表明したい。けど、でもやっぱりひとりで静かになれる場所は超大事だし手放せない。割とカオスなんですよ。

 

人間なんて矛盾だらけの生き物で、人生なんて無限に禅問答を繰り返すみたいなもんですから、今更って感じはしますけどね、こういうこというのも。 

 

さてさて戻りますが、怒りは随分となだめられて、かなり落ち着いた段階にあります。さらに、ひとりで静かな場所に来ることでそれは完成を見る。もう、その相手と顔を合わせてもニュートラルな気持ちで普通に挨拶できる。笑顔も出せる。ここまでに回復するのです。

 

ひとりでいると、何が起きているのか?

脳科学的にほにゃららとか説明できる見識はありません。ですので、ここで述べるのは個人の推察に過ぎませんよ。

 

えーっと、おそらくですけど、ひとりでいると「自分と向き合える」から、怒りを静めたりエネルギーを充填することができるのではないでしょうか。

 

メタ認知って聞いたことあります?

 

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簡単に言えば「考えている自分を見る」ってことですね。

 

その時に嬉しかったり悲しかったり、今日の僕みたいに腹が立っていたり。そんな感情を抱いている自分を、一歩離れたところから観察してやる。これができるようになれば、中庸な心を基点として、穏やかな生活が送れるようになります。

 

誰かと一緒だと、その誰かに気を遣ったりコミュニケーションをとる必要があって、そうなるとメタ認知が難しくなります。けど、静かな場所でひとりでいることで、自分を見つめざるを得なくなる。嫌でもメタ認知しちゃうんですね。

 

ひとりでいることのできない人、あるいは常にTVなどで音や映像を頭に流していないと落ち着かない人は、自分と向き合うことに慣れていないのではないかと予想します。職場の人間のほとんどがコレです。いつもTVを眺めている。自分と対話する機会を、いったいどこで作っているのか、疑問です。 

 

メタ認知ができない人が怒りをどう解消しているのか想像するに、まず誰かに怒りを転嫁する。俺を怒らせたあいつが悪い!と。

 

または、運動したり、日常生活を送るうちにいつの間にか消えるパターンですね。自分の怒りを見つめて、それを消化するというプロセスを意識的に眺めていない。気が付いたら・・・って感じで。

 

前者はキツいですね、怒りを包含したままですので。後者はまだマシですね。ってかほとんどの人がこれに該当するのでは?

 

普通の人は、怒りの感情を身にまとったまま何気なく生活して自然消滅を待つのは苦じゃないのでしょう。けど、僕は多分繊細なんです。怒りを身にまとって生活することは、裏に棘の生えた下着を身につけて生活するようなもので、とてもじゃないけどイガイガして我慢できない。こんなものは、とっとと解消してしまいたいのです。

 

だから、静かな庵に身を隠して、傷が癒えるのを待つ。誰にも会わずに、音楽もかけずに、TVも見ずに。唯一、癒してくれるのは、こうやって考えていることを文章にできるブログくらいでしょうか。

 

隣の芝は青いって良く言ったもんだ

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ここでも熱く語りましたが、やっぱり「隣の芝は青い」ですわ!

独身で恋人もいなくて寂しい⇔ひとりは静かで最高

この天秤。どちらを見つめても、寂しさが募るだけ。ならば、今ある手持ちのカードに何を託すのか。それを考えるのが最も生産的なんじゃねぇですか。

自分の今あるものを、最高だと思える。

これは、難解な幸せの方程式の一つの解なんじゃなかろうか。

もち、誰かと一緒に過ごしててそれを最高だと思えるんなら、それは同じだからね。そうじゃなくて「ひとりになりたい、うざい・・・」って思っちゃうと、途端に不幸カウンターがジリジリと鳴り始めるので要注意。僕も「ひとりは寂しい・・・」って思いつめちゃうと、多分同様にジリジリ鳴る。

 

隣の芝は青いかもしれない。でも、ほら、自分の芝を見てごらん。その光り輝く藍い芝をさ!

 

さて、〆になりますが。

 

今日は、ふとこんなことを考えたんですよ。

 

ひとりになって静かになった際。

 

「そうだよな、人は本来、孤独なんだ」って。

 

誰かにわかってもらえない辛さ。

 

自分と比較して鈍感すぎる他人への失望。

 

でも、そりゃそうじゃん。

 

相手は自分じゃない。

 

で、今まで散々傷ついてきたじゃんか。

 

自分を相手に投影して、期待しては裏切られ。

 

でも、結局自分は自分であって、相手は自分じゃない。

 

じゃあ、期待するだけ無駄なんだよってな。

 

そんで、ひとりの世界に戻ってみて、改めて認識するのさ。

 

元来孤独である、という感覚を。

 

その中で、そんなチンケな怒りなぞ泡沫の如く消え去るのです。

 

これは病んでますわ・・・!