「人を呪わば穴二つ」
今回のテーマはこちらです。さらに一歩踏み込んで、「人を呪う権利がある人」について論じてみましょう。
- どんな言葉?
- 現実世界で考えてみる
- ネット上で考えてみる
- 私の「呪い」に近い記事と自省
- 己を知る必要性
- 自分の墓穴を掘った人だけが人を呪う権利がある
- 繊細な人は「良い人」であり続ける必要がある
- あとがき
- 追記 悪口は良いことなし
どんな言葉?
【読み】ひとをのろわばあなふたつ
【意味】人を呪わば穴二つとは、人に害を与えようとすれば、やがて自分も害を受けるようになるというたとえ。
誰かを攻撃すれば必ず跳ね返ってくる。
相手を呪い殺した場合に、自分も跳ね返った呪いで殺されることから、「墓穴が二つ必要になる」という意味で「穴二つ」なのです。
「人を呪わば墓二つ」は誤りであることも記されていました。これは意味を知っている人の方が間違いそうですよね。
現実世界で考えてみる
誰かの悪口を言うだとか、恨んだりしていれば、当然それは返ってくる、と。
後輩の失態を皮肉交じりになじり続けるだとか、嫌いな先輩の陰口を叩きまくるだとか。そういった行為はいつか必ず自分に返ってくるということでしょうか。
家庭においてもそうですね。妻に対して「愚妻だ」なんて言ってみたり、逆に夫に対して「甲斐性のない駄目夫」なんてなじってたら、それも必ず自分に返ってくるのでしょう。
まぁ、人間だもの、愚痴のひとつも言いたくなりますよ(^_^;)
それは良いとしても「呪う」ようなやり方は返ってくるよ!ってことなのでしょう。
ネット上で考えてみる
同じですね。誰かに暴言を吐いたり誹謗中傷していると、いつか自分に返ってくる。
「しょっちゅう攻撃してるけど、返ってこないよ。いつも勝利してる」って考えている人もいるでしょう。ですが、そういう人たちには目に見えない心の蝕みや歪みという形で返っており、気が付いていないだけだと思われます。
上記は完全匿名掲示板「2ちゃんねる」においても言えましょう。自分は暴言は吐き捨てたつもりでも、あとあとしっかりと「返って」きてるはず。
批判的論調を全て否定すると「議論」そのものを否定することになりかねないので、分けて考えたいところです。ここではあくまでも「誹謗中傷や暴言」を「呪い」としましょうか。
私の「呪い」に近い記事と自省
ブログを開始したのが平成27年10月12日です。
始めた当初は図に乗っていたというか、ブログサービスを利用する上でのネット上の振る舞いというものをわきまえていないのもあったのでしょう。開始~3週間目の記事に「鼻息の荒い」ものが目立ったのです。
過去記事修正作業時に気がついたのですよね。平たく表現すると「いきがっている」「おだっている」とでも言いましょうか。
それだけならまだ可愛いものだったのですが、中には暴言とまでいかなくても、特定の団体や思想を半ば中傷するような表現も見受けられたのです。
現在、このような記事たちは迷わず削除しています。サービスに触れる時間が長くなり、徐々に振る舞いをわきまえてきたのもあるのでしょうが、冒頭「人を呪わば穴二つ」この故事を強くイメージするようになったというのが大きな理由の一つです。
己を知る必要性
「私は繊細です」
自分で言うのも多少滑稽ではあります(笑)。けど、これは間違いない。というのも、何かしらの批判的コメントなどを受けた時は、大変ショックが大きいのですよ。場合によっては不整脈を起こすこともある。ガラスのハートなのです。
平成27年11月にブログが炎上した際は、かなり憔悴(しょうすい)した*1記憶があります。それだけ「強い批判」などに弱いのですね。
ですから、本来はこのようなノミの心臓者が誰かを誹謗中傷するなどということは決して出来ない、いや、してはいけないのですね。「する器がない」とも言えるでしょう。
しかし10月の私は、とがったエントリーを公開していた。身の丈を知らなかったのです。現在、記事の修正や削除という形で具体的自省を実践しているところです。
自分の墓穴を掘った人だけが人を呪う権利がある
「人を呪う権利がある」というのは免罪符にはならない、ということを事前にお伝えしておきます。
ブログサービスの規約には大抵「特定の企業・個人・団体を誹謗中傷したり暴言を吐くことを禁ずる」的な規約があるはずです*2。それらを免れるという意味ではないのですよ。
そうじゃなくって、「俺は攻撃されても一向に構わない。だからあいつを攻撃する」という覚悟の決まった人だけが相手を呪う第1の資格を得るのです。罰せられるかどうかは別にして。
極端に言い換えれば、人を殺せるのは自分が殺されていいと考えている人だけであるべきなのです。
※当然、上記は殺人を容認する記述ではないことをご理解ください。
私は、ネット上で誰かを攻撃する人は「自分も攻撃されて良い」と考えて、腹を決めた人たちなのだろうなと解釈します。ですので、自分に攻撃が返ってきててんやわんやになっている人を見れば「え、覚悟が決まってたんじゃないの?」となる。
繊細な人は「良い人」であり続ける必要がある
「繊細な人間」というのは、誹謗中傷や暴言を吐くことは論外ですが、批判的に(ロジカルにでも)考えを述べることにすら危険を伴う人種です。それはなぜか。
誹謗中傷と批判の境目というのは、とってもグレーだからです。ふと気がつくと「批判」が「誹謗中傷」に変化しているなんてことも起きかねないのですよ。
ですので、私はできる限り「良い人」でありたいと考えています。八方美人と言われようが、良い子ちゃんといわれようが構わないです。
それよりも、批判がいつのまにか誹謗中傷という刃物に変貌して、誰かを切り刻む事実を目の当たりにするよりはずっとマシだと考えるのですねぇ。
あとがき
日常的に誰かを非難しがちな方へ。あなたは非難や攻撃に耐性がありますか?また、攻撃されても良いという覚悟はありますか?
ないのならば、良い子になるしかないのですよ。「良い人」でありつつ「攻撃もしたい」なんて、子供のワガママ以外の何ものでもありませんから。
「人を呪わば穴二つ」です。誰かを呪う前に自分の墓穴をしっかり掘ったかの点検をしてくださいね。
己を分析して、生きやすく、生きやすく流れていきましょう。
追記 悪口は良いことなし
2017年4月21日
最近、思うのです。悪口は良いことないなーって。
昔から言い伝えられてきた言葉ですし、今更な感じはしますけどね。ここに改めて書く理由は「実体験として感じるから」です。
悪口や愚痴、ネガティブワードを口に出すとしましょう。そうすると、効果が及ぶ時間はまちまちなんですけど、早ければ言った瞬間に発揮します。遅ければその日、寝床で横になっているところへ発揮したり。酷いときは翌日に思い起こす形で効果が出るのです。遅かれ早かれ襲ってくる。
「効果」とは、まぁ単純に嫌な気持ちですよ。誰かの悪口を言ったという事実。これがそのまま自分に帰ってくるのですね。あのすっきりしない、ダークな感覚です。言葉では言い表しにくいですけど。
ですから、みなさん、駄目ですよ。人の悪口も駄目だし、可能であればネガティブワードも吐いちゃ駄目です。ほんっと、良いこと0です。これは30数年生きてきた経験則です。損しかしない。これも「人を呪わば穴二つ」の黄金律というか、逃れられない効果なのでしょうよ。
「んなこと言われてもー」って感じるかもですが、ちょっと意識的に、明日からでも他人の悪口や陰口を止めましょ。んで、できるかぎりポジティブワード使ってみましょう。そうするとあら不思議、自然と周りで良いことが増え始めますから。いやほんと、騙されたと思ってやってみてよ!
僕はね、昔から人間関係でひたすら悩んで、自分流の処世術を持っているのですよ。これをもって、皆様に色々なテクニック(考え方)を伝えているのです。
胡散臭いかもしれませんが、やってみないとわからないじゃないですか。僕を信じて、行動を起こしましょー!