羆の人生記

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北海道、車無しで2年間生活したけど正直しんどかった

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経済的理由その他で車無しで2年間生活した。

正直に言おう。

もう二度とあんな生活は御免だ!!

ちなみに当方北海道は旭川市在住、当市は人口35万弱の中核市で都会でもなければ田舎でもない、そんなところ。

車を手放した当初は浮かれてた

「これで俺っちもロハス生活だぜ、買い物なんかAmazonでやれば良い、クソ高い維持費払って車にしがみつくとか馬鹿なの?死ぬの?」

とか浮かれまくってたけど、死んだのは僕の方でしたすいませんほんと。

いやまぁ確かにお金は浮きましたよ。ガソリン代や法定点検各種、ローンなども無いし。かといって交通費支出が跳ね上がったわけでもない。バスやタクシーを適度に使いながら生活していました。

けど、恐ろしい冬が訪れたんです。比喩的な冬じゃなくて、冬将軍のアレ。

 

冬の旭川市半端じゃない

何が半端じゃないってとにかく寒い。寒すぎる。マイナス20℃を下回るとか、ザラです。そんな中で車なし。つまり徒歩しかない。ツワモノはマウンテンバイクにスパイクタイヤを履かせて走りますが、週に1回、1人を見るか見ないかの頻度です。相当な変わり者。

だから、歩くしかない。バスに乗るにもバス停までは歩きですし、そんな都合よくバスは来ないので、目的地まで強制遠足が始まるのです。極寒の中で。

呼吸と同時に鼻毛が凍る世界では、冬登山みたいな恰好をしなければいけない。フリースをインナーに分厚いダウンで武装しなければ、気づいた時には皮膚が水膨れです。凍傷でございます。

ですから、シルエットがベイマックスになるんじゃないかっていうくらいに厚着でバリバリと凍り付く大地を蹴って買い物に出かけるのですけど、店舗内はポカポカしているもんだから、入って数分で今度は汗をかき始める。体温調節で着ているものを脱げっつっても装備が装備だから手に持ち歩くにもかさばるんじゃー!

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綺麗なんだけどね、真っ白で。

 

買い物の荷物がキツい

冬は先ほども申した通り徒歩です。そんで、時には10キログラム以上になる食材が詰まったリュックを背負って場所によっては数キロも離れる自宅までザクザクと歩かねばならなかった。夏は夏で自転車に乗っていても背中の荷物が重すぎてしかもアンバランス。何度左右に振られて危ない目にあったか知れません。

ホームセンターで少し大きめの買い物をした時でしょうか。苦肉の策としてでかい買い物袋の手さげ部分を肩に背負って特殊工兵の如く自転車で家を目指したことがありましたが、途中で荷物が落ちて小破した商品を眺めている時に涙が出そうになったこともあります。

車が、車さえあればこんなことには・・・とにかく重いものや大きい買い物がつらい。

 

家族の力になれない切なさ

子供を保育所に迎えに行くときに、いっつも歩き。優しい我が子は笑顔で歩いてついてくるけど、途中で「疲れた」と愚痴をこぼすこともありました。

「お父さんが車を持っていれば良いのに」って本音を漏らしたこともあります。なんと切ないことでしょうか。自分の子供の送り迎えすら、まともにすることができない・・・。

ちなみに、僕は子供と別の屋根の下で暮らしていますが、色々な事情を経てしょっちゅう世話をする状況にあります。大変、幸運なことです。

 

車無し生活は美談になるのか?

旭川市くらいの規模で車無し生活が美談になるのは、それこそ子育てが終わって仕事も定年退職し、家の畑と戯れながら静かに余生を過ごす年頃にでもならない限りは難しいんじゃないかと思うのですよね。

車が無いから環境にも優しいし金もかからないロハスな俺カッケー!って虚勢でしかないんじゃないか。清貧を誇ってはいるけれども、蓋を開けてみたら単なる貧困だった、みたいなチンケさを感じる。無理はいかん、車は便利だ。

現役世代でまだまだやること(子育て、各種イベントへの参加、仕事、人との繋がり)が残っているうちにヘンテコな意識で車を手放してしまうことは、人生の質を著しく落としてしまう悪手になりえるのではないかと、今更ながらに思うわけです。経験してみないとわかんねぇもんです。

 

これがね、旭川市どころかもっと郊外に住んでみなさいよ。それこそ買い物はAmazon一択になっちゃう。スーパーまで徒歩数時間もかかるような場所に住んで、いったいどうやって人と関わっていけばいいのか皆目見当もつかない。もはや世捨て人です。

人との関りをガンガン断っていけば、あるいは車無しのストレスは生じないのかもしれません。けど、この年になって感じるのは幸せってのはやっぱり人との関りの中にこそ生じるもんなんだろうなって。

子供もそうですし、会社の人間も、友人もそうです。それらと過ごす時間を有意に増やしてくれるツールとして、維持費を支払ってでも所有して損はない、それが車なのかもしれねえ。費用対効果は相応。車は確かに高いし維持費も馬鹿にならん。が、それを支払っても時間と距離を埋める利便性の高いものなのだな。

 

なお、ここで述べていることはあくまでも僕個人の感想に過ぎやせん。車を手放した結果、健康になってお金も溜まって人生が好転する人だっているのでしょう。人それぞれ、置かれている立場や他者との関係性によって変わってくる。そういうことですな。

 

・・・あ、でも、良いこともあったんだよ。お金だけじゃなくて。ひたすら歩くことによって「禅」の世界を少し垣間見た気がする。車に再び乗り始めてから、ちょっとその世界が遠のいたよね。だから、もしまたその世界の深みを目指そうとするのなら、車を手放すのは近道なのかもしれない。

 

仕事、終わってからだね、うん。