羆の人生記

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本音と建前の社会に生きて感じること

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イメージ画像byいらすとや

 

今日は本音と建前の話をしよう。

ここを見ている人は、建前9割の日々を送ってんのかな?と、勝手な想像をしています。ま、僕がそうなんですけどね。

「本音と建前」とは? 

まずは無粋に辞書でひく。基本ってことで。

<本音>

1 本来の音色。本当の音色。
2 本心からいう言葉。「本音が出る」「本音を吐く」

-デジタル大辞泉

① 本心から出た言葉。 「 -を吐く」 「 -を漏らす」
② 本当の音色。

-大辞林 第三版

<建前>

① 基本となる方針・原則。表向きの方針。 「 -をくずす」 「 -と本音」
② 大道商人などの売り口上。 「こりや-所ぢやない/浄瑠璃・新版歌祭文」

-大辞林 第三版

 

ひとことで表すなら

本音は「本心からいう言葉」

建前は「表向きの方針」 

ってところ?

それにしても「建前」の解説が硬いなぁ(笑)

今回はここがメインになるのだけれど。

 

さてさて、人はいつ「本音と建前」を知るのか。

 

本音と建前を知ること

社会に出たら知る、ってイメージが強い。けど、考えてみたら小さな子供の頃から本音と建前ってあったよね。

子供は本音をむき出しにして、やれこれが好きだ嫌いだと大声で述べるけれど、全てが本音というわけではなく、ある程度状況把握できる能力のある子は「周りを見ながら本音を言ってた」気がする。

ある程度自由気ままに発言していたのは小学校低学年くらいで、それが高学年になると周りといかにうまくやるか、というのは空気感でなんとなーく理解してくる。理解力が高いやつほど、余計なことはしゃべらなくなる。つまり本音を言わなくなる。早いね、身に付くのが。思い返してみればクレバーなやつは大人しかったし、聞き役に徹していた。齢10代の前半にしてそれを会得するというのは、僕からしてみれば天才である。

ま、ともあれ、本音と建前というのは割と小さなころから(建前という意味がここでしっくりくるかは疑問だが)身に付く、あるいは身に付ける下準備みたいのを始める気がします。もしくは、下準備を(教育を)されていた!?小学生・中学生で「本音と建前」を刷り込まれている。あまり想像したくはないけれど。なのに「個性個性」言ってたら子供は混乱するわな(笑)

 

さて、いよいよ社会に出ますよー

 

社会に出てフルボッコにされた「本音」

で、どうなったでしょうか。

フルボッコですね。

  • 「お前は余計な言葉が多い」
  • 「はいかいいえで答えろ」
  • 「言い訳はするな」

から果ては

  • 「顔に出ている」
  • 「わかりやすい表情」

という非言語コミュニケーションまで駄目出しの日々。

こんなことが2年間は続いたかな。もう毎日混乱しっぱなし。腑に落ちたことなんて、ほとんどなかった。「社会とは、なんて不条理なんだろうか?」と愚痴をこぼしまくっていた。そんなんだから当然、同僚や上司とも摩擦するし、評価はとっても低かった。ただ不思議と親世代くらいの人たちとは、打ち解けることができた。若い僕の言動を、温かい目で見てくれたおかげかもしれない。

 

こんなこと言われ続けたら心が持たないんでね。そりゃ頑張りますよ。

 

試行錯誤を繰り返すが・・・

試行錯誤というのは、この、いかんともしがたい状況(人間関係の摩擦でがんじがらめな状態)を打開するための行動であった。

昨日はここで不評だったから、今日はこんな風に話してみようか。ああ、また今日も怒られた。じゃあ明日は別の角度でアプローチしてみようか。

もう何度こんなことを繰り返したか、わかりません。それでも、一向に自分に対する風当たりは弱まらず、それどころかますます逆風が吹いているような感覚さえありました。自分なりには頑張っているつもりなのに、挫けた時の徒労感といったら、ありませんよ。それならいっそ、思考を放棄して諦めていたほうが楽だったかもしれません。でもですよ、なぜここまで、皆がこちらに対して強く当たるのか?

原因がわからないだけに、納得できなかったんですよね。諦められなかったんですよ。どうにかすれば、いつかパっと光が差すかのごとく、目の前が開けるんじゃなかろうか?そう信じて突き進んだんです。

 

結果的にどうなったかは、後述します。

それより、周りの「本音と建前」ってどうなってんの?

そりゃひどい有様で。

 

他人の本音と建前に戦慄

日頃は愛想よく笑って仕事をしている先輩2人のうち片方が、片方のいないところで「あのクソ」とか言ってるのを見て戦慄した。「え、じゃああの笑顔はなんだったの!?」と。ほんと信じられない。よくまあ、そんなことを考えつつ普段は笑顔でいられるよな。

ほかにも、いろいろ見たよ。まぁよくもいないところで、そんな他人のことを悪く言えるもんだね、と。「〇〇さんがいないと駄目なんすよー(笑)」って、ついこないだ愛想振りまいてたじゃない。もう、わけわからん。ここはディストピアだ。

とかいいつつ、自分だって考えてはいるんだよね。嫌いな先輩のこととか、内心では面白くない、と思っているもの。

でも・・・実際にその人たちと接するときに露骨に嫌な顔とか、しない。実際に声に出すのは、どうかと思う。それを聞いたら周りの人は、本当の意味でその人のことを信用してくれなくなる。だから僕はね、いない人の悪口などは言わないようにしてるのさ(参考記事)。

 

もーわからん。どうすりゃいいんだ・・・。

 

「本音」は死んでも誰も悲しまない

先述、試行錯誤はついぞ成功を見なかった。何をやっても無駄だった、のである。言い方を変えれば揚げ足を取られ、言葉を変えれば違う角度からマイナスにとられる。もう駄目だ、詰んでいる。新聞の詰み将棋コーナーで、詰まれる側にいる気分。どう料理してやろうか、とあぐらをかいた親父どもが僕を虎視眈々と見ているんだ。

そのうち僕は、考えるのをやめた。だって、どうせ詰んでるんだもん。じたばたするなよ、世紀末はもう過ぎたよ。

・・・いややっぱ考えてみた。で、ひらめいた。「みんなもしかして、本音が聞きたくないだけじゃない?」この考えはなかったなー。つまり、だ。僕の本音なんて、誰も聞きたくはなかったのである。夫婦喧嘩の次くらいに、誰も食わないコンテンツ、それが「僕の本音」だったのである。

うわー、ショックだなー。この社会では、言いたいことを言わずに生きるしか、心を病まずに保つ術がないらしいぞ。どうやらこれ、現実のようです。にわかには、信じがたい。けど、ほっぺをツネっても夢からは醒めない。本音なんかいらない、そんな社会に今立っているんだ!

と、いうことは、だ。本音を殺せばいいんだ。

 

Starting Over

Starting Over

  • Mr.Children
  • J-Pop
  • ¥250
  • provided courtesy of iTunes

Dtarthing Overを彷彿とさせる感じ。歌詞は著作権の関係で書けないけれど、サビで「自分の世界にいるモンスターを散弾銃で殺す」的なことを奏でているわけ。OH、まさしくこれは本音を殺していることに、ほかならない!?なんて思うわけです。ま、歌詞の解釈は人それぞれだけどもね。僕がこれを聞いたときは、本音を殺し続けて生きてきた自分の悲鳴を救い上げてくれた感覚に包まれて自然と涙がでたもんさ。

 

そして出来上がった(完全に社会化された)マシーンがこちら☆

 

話を聞く専門、自分語りの封印

他人が自分を語りたければ、それに真剣に向き合って傾聴する。相槌を打ちつつ、掘り下げるところは掘り下げる。話の落としどころに到着するまで、流れを変えたり断ち切ったりは、極力しない。そうすることで、相手はとても気持ちよくなれる。こちらに対する風当たりもなくなり、逆に味方として振舞うようになる。人は、自分の話を真剣に聞いてくれる人を味方と認識するらしい。

そして自分語りの徹底的な封印である。隙あらば自分語り、なんてことは、しない。促されれば、する。「昨日は何してたの?」って聞かれれば、何をしてたかに誠実に答える。しかし、それをしたことによって、どう感じたか、などの感想は述べない。もちろん、感想を聞かれれば述べるまで。このように、語り掛けなければ情報が取れないNPCのような生き方を覚えたのである。

建前?いうよ。もし、その場で発言することが必要になった場合、でしょ。そんときゃーもちろん、場の雰囲気を悪くしない、かつ誰も傷つけないワードを脳内でチャカチャカっと調理したあとに出すよ。「おまたせしました、建前のフィレでございます。」ね、これで文句は言われない。人と摩擦しない。心がツカレナイ。モウボクハ、カナシマナクテイイ・・・。カユイウマ。的な。

 

人間やめますか、それともサラリーマンやめますか。

 

というのは言い過ぎで、サラリーマンだって結構面白いっすよ(笑)→(参考記事

 

けど、アイツが見当たらないんですわ。

 

じゃあ「本音」はどこへいったの?

おーい、本音やーい、どこへいったーー!隠れてないで、でてきなさーーーーい!って、いくら叫んでも一向に出てこない「本音」氏。それはいったい、なぜ?

理由は明らか。何故ならばその無垢な存在は、社会に受け入れられなかったからです。受け入れられなかった事実を、コテンパンに、何度も何度も打ちのめされることで、体で覚えてしまったからです。だから、出てこない。ボッコボコに殴られた生き物が、呼んだところで姿を現すと思いますか?思わないでしょー。逆の立場になれば、わかるでしょ。すっごく辛い目に遭ったんだから。世界は自分を拒絶した。これほど辛いこと、ありますか?精神的死刑宣告に匹敵しますよ。

だ、もんですから。建前仕様になったこの脳みそは、ものの見事に本音氏を殺したのであります。本当は、認めてほしかったんです。素の自分を、受け入れて欲しかった。だから、社会に出てしばらくしたあともですね、もがき苦しんだんですよ。「受け入れてくれ!ピエロなんか演じたくない!本当の俺はコレなんだよ!」と悲痛に叫び続けた。しかし、社会はそれを望んでいなかった。

でもですね、きっと「本音」氏は、生きている。建前で生きている、ということはコインの裏側、光と影の如く同じ割合だけ存在している、はずなんです。僕の中にいる「本音」こいつを、どう慰めてやるのか。それが、心のバランスを崩さないために考えるべきことなのだと思います。

 

ここまで「本音」が殺されるには、大きな理由があるんじゃ?

ってことで次っ!

 

建前で成り立つ社会

本音を出しまくったら社会はどうなる?滅茶苦茶になると思いますよ。もう朝から罵詈雑言が飛び交って、遂に栓抜きでオデコを殴打して血がブシャーなります。それだけ鬱憤ためでんですから、当然でしょ。特に今の段階で国が緊急発令「明日から本音で生きてください」とか発しちゃうと、月並みな感想では「ヤベー」ことになる。

日本社会が穏便に成り立っているのは、ひとえに建前のお陰でしょう。言いたいことをグっとこらえて、結果としてパフォーマンスを挙げることに注力する。自分は会社の歯車であって、個人事業主ではない。だから、目立つ必要もないし、本音を語る必要も当然ない。語ろうものなら歯車の形がイビツになって、周りと噛み合わなくなるんでしょ?

だから、新人が会社に入って自分を出そうとしたら、周りの先輩は必至にそれを潰そうとする。別に会社はスターを育てたいわけじゃない。集団で同じ目的に向かっていきたいだけ。だから、イレギュラーな動きをする個体は排除しなければならない。全体を危機にさらすような要素は殺す必要がある。

かくして、僕は殺されるに至ったわけです。本音の僕は、もう十数年も前に、死んでいたんですねえええ!

 

ここまではまるで本音を無垢でピュアで天使の如く扱ってきましたけど、アイツは結構、危ないところもあるんですわ・・・

 

危険な本音の話

実際ですよ、このブログ記事だってオール本音で語っているわけじゃない。とはいえ、かなり本音成分は高めですよ。僕は匿名でブログを書いていますので、現実の友人知人と紐づけられている人よりは、本音を言いやすい。しかし、やっぱり、完全にあけすけなる文章は書けません。

それはなぜか?ここは社会だからです。クローズドな世界じゃなく、ワールドワイドです。これを書き終わって「公開する」をポチっとするだけで、誰でも閲覧できる状態になる。パブリックですよね。そこでむき出しの本音を語ると、やっぱり炎上の危険ははらむんじゃないかなー。

いやね、過去に炎上したことがあるんですよ。もう3年も前ですねれど。そん時は肝を冷やしましたよー、そして痛感したんです。「あ、ここは社会だ。好き放題書いていい場所じゃなく、誰かが必ず見ていて、その中で傷つく人もいるんだな」って。

なるほどー。結局、純粋な本音というのは、むき出しにできる場所なんてのは、自分の頭の中くらいにしか、ないんでしょうかねぇ?そんな気がします。

で、本音の危険性なんですけどね。僕が本気の本音をぶちまけると、炎上する危険がある。つまり、そういう思想を持っているってことなんです。他人様には言えないような、思想です。それって、危険じゃないですか?考えるだけ、妄想するだけならば自由だってのは憲法にも謳われているわけですが、いざ行動に起こすと、檻の中とかね。そういうのを持っている。じゃ、具体的にそれは何?って言われても、大人の事情で言えないわけです。

ほかの人はどうですか。あなたはどうですか。聖人君主なんてまずいない、だろうから、それぞれ、それなりに危険な本音は持っていると思うんですよねー。みんな、それぞれに危険な本音を持っている、と仮定します。そうなれば、やっぱり、むき出しにしていいものではなくなるんですね、本音ってやつは。

こう、モヤっとしますよね。自分の本音が反社会的なものだとして、それを反社会的と認めたくなくても、誰にも言えない時点で認めざるをえなくなるわけで、そうなると自分の本性・心性って「うわー、こんなこと考えてんんだ」とか下手すりゃ蔑視することにも繋がりかねない。言えないフラストレーションはある。

すいません、極端な話になりましたね。僕はかつて社会に出て本音を出して叩き潰されたエピソードを語りましたが、そんな危険なことをベラベラと並べ立てていたわけではありませんよ。そこでは、なんというか、感じるままの感性を言語化したり表情に出したりしてたって意味の本音であって、ここで語っているのは秘めたる危険な本音の話です。でも、どっちも本音ですよね?

 

0か1かで極端に話をしちゃうの、悪い癖なんですけどね。

きっと混合比率もあると思うんです。

そこから導き出せるものとは。

 

本音と建前の混合比率で「親友」や「心地よい場所」が変わる

もし、職場が「本音5:建前5」で構成されているとすれば、その人は凄く幸せなのだろうなと想像します。今の自分の職場では「本音0.5:建前9.5」くらいですからね。当然、仕事外でのお付き合いなんて、する気が起きません。なんでプライベートまで95%の建前しなきゃいけないの。冗談じゃないよ。

では、本音を出せる人や場所はありますか?例えば人ならば、親友との集まりなどですね。そこで本音の比率をどれだけ高められるか。僕にとってそれが親友もしくは仲のいい友達、と言えるのは「本音7:建前3」くらいですかね。いやー、本音を出し切るのって、苦手なんですよねー。本音をガッツリ出せるのは、自分の子供くらいかなー。本音9割くらい出せる。でも、それ以外で仲のいい人には、7割が限界。どうしても3割は建前になる。ここらへんは「親しき中にも礼儀あり」という言葉通りなのかなと。いや礼儀と建前を一緒にすんなよ?って指摘されそうですけどね。たとえ話です。

場所、についても人、と考え方は一緒ですね。僕にとって最高のフィールドはなんといっても自宅です。これ最強。何故なら自分ひとりでいれば、全て自分の本音の通りに動けるじゃなですか。誰の干渉も受けずに、誰に気を遣うわけでもなく、ですよ。これは譲れない。人によっては、それが実家だったりするかもしれませんね。親に本音95%で話せる人。なんという幸運でしょう。独り立ちするのが難しくなるくらいに、実家が心地よい場所になるかもしれません。幸か不幸か、僕の実家はそうではありませんでしたが。

さて、というわけでですね、人が誰かを親友と呼べるか、あるいは自分にとってその場所が癒しのスポットになるかどうかは、どれだけ素の自分でいられるか、本音を語れるかで指数化できるのではないか?というのが僕の推論であります。どうですか、あなたの本音はどこにありますか?インターネットって人も、けっこういるんでしょうね。そんで、過激な本音をぶちまけて戦いに明け暮れてしまうケースもあろうかと存じます。

 

次はやっと締め!

ここまで読んだ人凄い!

 

終わりに

いやはや、己の語彙力というか文章力というか、そういうのの稚拙さを嫌ってほど知るのは以下のような記載を見たときかな。

「本音」は、何かしらの事柄に対して、個人や集団に共有される意識に内在する感情や欲求を含む価値観に照らして心に抱かれるものであり、これは全く自由な心の働きによって形作られる。同義語には「本心」が挙げられ、自身に対する偽り(嘘)を含まない。

ただこういった本音は、その人や集団が社会から期待されていたり求められるものとは食い違うこともある。そういった対外的な要素を加味して形作られるのが「建前」である。建前では、本音のうちで余り他に知られることが芳しくない事柄が語られない一方、例え本音では自身が望まない事柄であろうとも、それを肯定することで結果的に自身の望む結果が期待されるなら、敢えて認めるなどされる。建前は「表向きの方針」とも解され、実際の方向性はともあれ、対外的に表明される。

本音と建前 - Wikipedia

6000文字に渡りキーボードを叩き続けて表現した内容がここまでまとめられていると、痛いのを通り越して気持ちよくなるってもんです。リンク先では建前(立前)の語源を始め興味深い記述が多々見受けられるので、いちど覗いてみてはいかがか。 

 

結局、真の「本音」というのは自分の心の中にあり、それを完全に言語化するのは社会的にも危険だし社会もそれを求めてないし、中に飼いならしておくのが一番安全で無難なんだろうな。「俺のむき出しの本音を認めてくれ」ってのは、ちと厳しいのかも。社会と折り合いがつけられなくなって挙げる叫び声、それが「言いたいことも言えない・・・」ってやつなんでしょうなー。そんな中でも、本音の割合を少しでも増やせる人や場所が、自分にとっては「本当の自分に近い自分」でいられるわけで。そういうところは、大事にしていきたいですよねぇ。

 

本音本音、って言いますけれど、今夜眠って明日起きた時にその本音ってやつは形を変えているかもしれないし、なんだかんだ、絶えず形を変えて流れ続ける概念なのかもしれない。そう考えると、あまりこだわりすぎても意味なし?「会社で建前ばっかりだーうわー」っていいつつも、傷つかないことを選択してうまくやっている今の状況こそが「本音」だったりして。本音と建前の棲み分けっていう概念じたい、無用なのかな。どうなんだろう!って最後にひっくり返す形で締めるんかい(-ω-;)