小学校高学年の頃、いじめられていた。
内容は典型的なもので、罵詈雑言の類を飛ばされたり、小突かれたりが日常的に起こる感じ。
今回はその思い出話を。
いじめられた経験のある人や今も受けている人へのエール
いじめの始まり
原因は自分にもあった。人との距離感がいまいちつかめなくて、手荒な言動をすることも多々あったし、小難しい言葉を覚えては得意げに使うような、こまっしゃくれた子供だったので、余計に叩き甲斐があったのだと思う。
さらに輪をかける要因として「肥満」があった。子供というのは非常に残酷な生き物で、人の身体的ハンディキャップを何のお構いなしにえぐり、いじめのリーダーに乗っかるように集中攻撃を浴びせる。
授業の合間に小休憩があるでしょ?あの時は真っ先に教室を飛び出て、物陰に隠れるんだわ。そうしないと攻撃されるから。こんなこと、(5時間授業であれば)5コマも堪えられないのさ。時には捜索されるので、音楽室の2枚ドアの間に身を潜めてたこともある。リキッド・スネークみたい。反撃はできないけどね(笑)
当時のやつらは悪魔のように見えた。同じ人間とはとても思えない。「死んでくれ」下校時に毎日、呪詛を浴びせた記憶がある。今思えば子供らしい発想だよね。相手を変えるより自分を変えた方がずっと早いのに、そんなことには気が付かないで、迷路に迷い込んじゃうんだよなぁ。
エピソード
教師「5~6人のグループを作れ」との指示がある。仲の良い者同士はすぐにくっつく。2~3人の塊が即座にできあがり、さらにそれらが合体してあれよあれよというまに6人グループが複数できあがった。
いじめられていた私は、そのどれにも入ることなく、余されてしまう。こういう「任意でグループを作れ」と言われたときも、毎回、辛い思いをした。
教師「なんだ、○○、まだグループに入れないのか。なにをやっているんだおまえは。よし、そこのグループに入れ」
そこはいじめリーダーのグループだった。
先生、なんでよりによってこのグループに・・・
当時のいじめっ子はすでに教師を味方に付けたり、クラスの人間に根回しして上手に立ち回る狡猾さを有していたため、教師は私がいじめられていることなどは把握していなかったのだ。
逆らうわけにもいかず、そのグループに入っていく。当然、グループのメンバーは露骨にいやな顔をする。「なんで来るんだよ」それに対し(先生に言われたからだよ、何聞いてたんだアホンダラ)と、心の中でつぶやいた。
分かれたチーム同士で点数を競い合う小テストを実施するという、いまいち意味の分からないものだったが、対抗心を燃やすクラスメート同士で盛り上がった。私の気持ちは落ちたまま。
テストの結果が発表された。私はそのチーム内で最下位だった。「死ね」などという罵声をチームメイトから浴びる。足を引っ張ったからだろう。いじめっ子たちは頭が良かった。だから上手く立ち回れるのだろうし、テストの点数も良い。教師受けも良い。
「やっと地獄のような時間が終わった」ほっとする私。しかし、次に耳を疑うようなことを教師が言ったのだ。「チーム内で最下位だった者へは、そのチームメイトが罰ゲームを課すように。」
いったい、何を考えているのだろう。生徒同士で私刑を容認するようなものなのに。しかもクラスでは最高責任者の担任教師がそれを認めるなんて...。
一気に血の気が引いた。対して、ニヤニヤと邪悪な笑みを浮かべるいじめっ子たち。「どうする、みんな。こいつは最低だ。俺たちの足を引っ張りやがった。相当重たいのを課すべきだよね。」そんなことを話していた気がする。頭の中が真っ白になる。生きた心地がしない。
案の定、私にかけられた罰ゲームは「罰ゲーム」の範疇をゆうに越えていた。
「明日までに作文を原稿用紙50枚分書いてこい」
泣きそうになった。こんなこと、できるわけがない。文字数にして2万文字。それを小学生に書けというのか。書く内容もない。
「こんなことはできない」そう必死に彼らに訴えるも、「罰ゲームには従え」と、教師の決めたルールを凶器にして、私の心を容赦なくえぐった。
無理なものは無理だ。私は意を決して教師に直訴した。「このような罰ゲームを指示されましたが、私にはできません」これで助かる、そんな気持ちだった。
教師はこう言い放った。
「おまえたちで決めたことなのだから、ちゃんとやりなさい」
たったそれだけだった。私は泣きながら帰った。
「この事実を家族に伝える」それは凄く勇気のいることだった。私はいじめられていたことを親や兄弟に話していなかった。「恥ずかしい、悔しい」という気持ちがあったから。
それでも思い切って伝えた。そうしたら、みんな自分のために憤慨してくれたよ。そんなのは非常識だって。凄くうれしかったなぁ。嬉しさと悔しさと悲しさと、色々な感情がごちゃ混ぜになって号泣した。
でも、先生が言ったことだし、そのルール内で決めたことだから仕方ない部分もあるよねって、そう言われた。そのかわり、手伝ってくれたんだ。筆跡も全然違うけど、その日は一家全員で作文を書いた。
翌日、原稿用紙50枚、一家全員合作の作文を持って登校した。足どりは軽かった。家族が助けてくれて、自分は窮地を脱することができたんだ!ってね。
甘かったわ。いじめっ子たちによる、罰ゲーム提出状況の精査がはじまる。「これ、明らかに字が違うくね?」あっという間に指摘される。私は言う。「一人でできるわけないじゃないか、仕方ないじゃないか!」いじめっ子は言う。「ふざけんじゃねぇ、家族に甘えてんじゃねえぞ。おまえ一人でやれ。やり直しだ!」
父に護られた
意味がわからなかった。
家族全員で困難を乗り越えたと思っていた私は、絶望した。もう駄目だ、どこにも逃げ場はない・・・
帰宅した私からその事実を聞いた父の怒りは、遂に頂点に達した。即座に学校へ連絡、1時間以上にわたる猛烈な抗議。その次は各いじめっ子の家へ連絡し、30分以上にわたる抗議。
父は普段は温厚なのだが、一度怒ると手が付けられなくなる。しかも怒りに任せて怒鳴るだけじゃない。相手のぐうの音も出ないほど説き伏せてしまうスキルを持っていた。
当事者であるいじめっ子全員が謝罪してきた。「もう二度とこのようなことはしません。本当にごめんなさい」だって。当時は、とても許す気にはなかった。「私の受けた傷は消えないよ」そう思ってた。この後だって、きっと何か言われるだろうって考えてたし。
翌日、言われたことは予想通り「チクリ魔」。しかし、明らかに従来の勢いは落ちていた。親にこってりと絞られたのだろう。学校側もいじめっ子を呼び出して事情の聴取を実施。この時ばかりはスカっとした記憶がある。
ーー
それ以来、いじめは消沈化した。相変わらず小規模なものはあるけど、組織だった狡猾な様相を呈すことはなくなった。それだけで随分と楽になったよ。個別の案件に対処していけばいいわけだからね。
家族に救われたんだ。家は私にとって、心強い味方のいる逃げ場所だったんだよ。だから今はこうして元気に生きてるんだと思う。まさにお陰様。
あの時、家族が助けてくれなかったらどうなったかなぁ。未成年だし、学校や家から逃げるのも一苦労だよね。きっと、どこかアウトローな場所に逃げ込んで、コミュニティに入ったかもしれない。いわゆる「グレる」ってやつだね。
グレる人間は、学校や家庭環境が生み出すものだ。好きでグレたわけじゃないんだよ。生きるためには、仕方ないんだ。だって、学校も家族も助けてくれないんだよ。そんな状況でどうやって年端もいかない子供が真っ当に生きていけばいいのか見当もつかない。
私の今回の件。教師の対応はどうだっただろう。酷いものだよ。最初の罰ゲームで無理難題を押し付けられて、それを勇気をもって相談した生徒の必死の嘆願を一蹴したんだ。人情味の欠片も感じない。必ずその報いは受けると思う。もう受けているかもしれない。
教師も色々と「しがらみ」があるだろうし、自分の生活を守りたいから静観してたのだろうけど、もしこれで私の家族が非協力的だったら、どうなってたかなぁ。グレるか、そのような縁にも恵まれなければ別人格を作り出して心理的負荷を散らすか、最悪は自死だね。
生徒のヘルプサインに向き合おうとせず、自分の安泰を最優先にした教師が、結果的に子供の命を絶つことを幇助する。これ、今もどこかで、複数進行しているケースだと思うなぁ。
年頃の子供を持つ親御さんへ
逃げ場所を作ってあげてください。家しか逃げ場はないのです。甘やかす、という意味ではないのですよ。ただ、「もう駄目だ」と思ったお子さんを救ってあげてほしい。本当に絶望的なんです。真っ暗なんですよ。助けてほしいのです。
言えない子供、いっぱいいます。頑張り屋さんこそ、いじめられていることをカミングアウトできません。恥ずかしいし、悔しいし、親に心配をかけたくない気持ちもある。どんなに辛くても笑顔で帰宅する、ひたむきな子もいる。
だから、サインを拾ってあげてほしい。子供と向き合って、毎日様子を見ていれば変化に気づくはず。必ず何かを発しているです。
いよいよになり、子供が「僕、いじめられてるんだ。辛い」って言ってきたら、まずはその勇気を誉めてあげてください。本当に頑張って告白したと思うから。そして、話を聞いてあげてください。全てを聴かずにステレオで叱咤し、止めの一撃を我が子に加えるようなことは止めてください。でないと、小さな棺桶を見ることになるかもしれませんよ。
私の父のやり方が正解だったかわわかりませんが、まず話を聞いてあげて、そのあとでどのような対処をするかは各家庭に委ねられていると思います。それでも、どんな対応でも、家族が味方をしてくれたなら、どうあがいてもその子は頑張れるんです。
どうか、お願いします。
教職に就かれている方へ
私の担任がしたことは許せるものではありませんし、先ほど強い嫌悪感を記したところですが、教員というのは本当に大変だろうなとお察しします。学校と家庭に挟まれ、多数の生徒を相手に責任を負う立場にある。きっと私にはできないことだと思います。尊敬します。
ですが、追い詰められた生徒について、少しでもエネルギーを振ることもしてほしい。お忙しいのは解りますが、それで取り返しのつかない結果を招くことだって十分に考えられるのです。
「この生徒は限界を迎えていて、ここまで追い詰められているのかも」という想像力を働かせていただきたいのです。これは幼い命に係る「危機管理」だと思います。
いろんなしがらみがあって、私の知らない仕組みでがんじがらめにはなっているのでしょうけど、当時の自分の立場から考え、稚拙ながらも心情を伝えさせて頂きました。
あとがき
勢いに任せて当時の心境を語りました。辛辣な言い回しもありますが、嘘はありません。いじめというのは全体的に捉えて環境を整える必要もあるのでしょうが、いじめられている本人にしてみれば、ただただ辛いものです。目の前が真っ暗です。そこを想像して、手を差し伸べる人間が一人でも増えてほしいってのが正直な気持ちです。それでこんな訴えるような記事になったのかもしれません。
今も全国でいじめられている子供たちが大勢いることでしょうが、どうか色々な縁に助けられつつ、幼い命を自ら断つことのないように祈るばかりです。
負けてもいいんだよ、帰る場所があるなら。勝たなくていい。そして君は、とても優しい人になれると思う。
以上です。