羆の人生記

雑記ブログの育て方をメインコンテンツに、時事オピニオンや書評などを日々更新中です。

「時間が解決してくれる」に救われる

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みんな、悩んでる?

で、その悩みは、今すぐ解決可能?

僕は、悩みはあるけど、すぐには解決不可能。

どうすれば解決するかというと、時間が必要なんです。

焦る日々

ほんと悪い癖なんですけど、落ち着いていられないんです。どういうことかというと、「今日はどんな有意義なことをしてやろうか!」みたいな、謎のパワーに突き動かされるんですよ。ダラダラと布団の上で転がっているうちに、出勤時間になったーみたいな、まったりした時間の使い方ができないんです。

別にたいそうなことを成し遂げなくても、1日は終わるわけだし、何をそんなに焦っているのだろう?って自分でも不思議なんですけどね。なんというかこう、もやっとして晴れない心。特定の問題があれば、それに対して悩んでいるのだろうということは自覚できるのですが、こういう場合は謎なんですよ。何を焦ってるんだろう。

 

手負いの悪あがき

詳しくは言えないですが。

僕には事情があります。今すぐに全ての物事へ漕ぎ出せるような立ち位置にいません。むこう数年は、某事情に縛られて動かざるを得ない立場にあります。

まぁ、「時間が解決してくれる」案件です。今、何をどれだけやっても、どうしようもない問題を抱えてるんです。理屈ではわかってるのですけどね、どうもこれが、腑に落ちてないみたい。

だから、ひたすらもがくのだと思います。その、もがいてもがいて苦しい状況が、日々の焦燥感として噴出するのではないか、と。

要するに、子供っぽいのだと思います。時間が経たないとどうしようもないことなのに、それを今すぐに粉砕したいから、悪あがきをする。諦めが足りない証拠です。

今の僕には、時間が必要。ジタバタしても、どうにもならない。あと数年で、動き出すこともたくさんある。それまでに、英気を養っておく・・・とまではいかなくとも、せめて心病むようなことのないように健全に過ごすことをモットーにすべきなのかなと。

 

歩行禅

今日はね、いつもに増して焦る気持ちが強かったんですよ。

動悸を感じた人は、心臓がドキドキして苦しくなるそうですが。そのメンタル版といったところでしょうか。心がざわざわして、とにかく落ち着かない。ほんと、苦しいです。

「歩くことは、禅になる」という話を聞いたことがありまして。まぁ禅とまではいかなくとも、有酸素運動が精神状態に与える良い影響については経験済みでしたので。

「よし、こういう心が落ち着かない日は、歩いて禅を実践しよう」と考えたわけです。そんで、とりあえず10kmほど歩いてみたんです。

そうしたら、さきほど述べていた「時間が解決してくれる」に辿り着いたんですね。僕の現在の状況が、歩くことによって客観視され、気づきを得たのです。

ってなわけで、なんだか知らないけど焦っている系の人は、歩いて考えを整理することをおすすめするよ。

 

今、焦ってる人へ

気持ちはすんごいわかるんだけど、それは

今なにかを実行することで解決する問題なんだろうか?

それとも、ある程度の時間が必要な問題なのだろうか?

これ、どちらかを見定める必要があると思います。前者なら、今すぐに自分のできうる限りのことをして、問題解決に向けて頑張ってみたら良いと思います。

後者だったら・・・ちょっと冷静になったほうが良いかも。例えば、散歩してみるとか。焦る自分の気持ちが、客観的に見えるまで。できる人は、マインドフルネスでも良いよ。僕は、それができないから歩行禅に頼っただけです。そのおかげで、「時間が解決してくれること」で思い悩んでいるのだなってことが理解できたので。オーライです。

 

心の傷が癒えるまで

  • 最愛の人の死
  • ペットロス
  • 耐え難い離別

などで精神をズタズタに切り裂かれた人へ。

時間は、あなたの心の傷を癒してくれるでしょう。

今は、本当に苦しいかもしれません。ですが、きっと数年後には、振り返っても平気なくらいに傷が癒えていることと存じます。時が過ぎるのを待ちましょう。辛苦の今は、まさに治癒の真っただ中と考えてくださいね。僕も、こう解釈するようにします。

 

「時間が解決してくれる」に救われる

どんな大罪人でも。

どんなヘイトを集めた人でも。

時間というのは、それを洗い流してくれる力を持っています。

断罪されるべき咎を背負った人は、背負った瞬間は一生誰からも嫌われたいがためにそれを犯したのでしょうか。僕はそうは思えない。一時の気の迷いや、感情に左右されてやってしまったことも、あると思うのです。しかし、その一瞬の判断がその後の生涯を全て暗黒のものに変えてしまって良いのかというと、どうも腑に落ちないのですよね。

語弊はあるかもしれませんが、人を殺めた人も、殺めるに至る人生の道筋ってのがあるんですよね、間違いなくある。それをアセスメントせずに表面的な罪状だけで人間性というか、そこに至る経過を無視して結果で裁きの眼差しを注ぐ世間に違和感を感じざるを得ない。殺された遺族の気持ちが悲痛であればあるほど、犯罪人のアセスメントは難しくなるとは思いますが。

犯罪擁護しようってわけじゃないですよ。時間というのは、耐えがたい悲しみを癒す力もあるし、罪を犯しても更生して真っ当に生きていこうとする人の味方にもなるって言いたいのです。「時間が解決してくれる」ってのは、凄いことですよ、すごい効能です。時間はすべてを癒すんです。

 

今のこの胸のもやもやは、きっと1年後には思い出して笑ってしまうくらいの些細なことになっている。そうに違いない。それくらい、時間の治癒力というのはずば抜けていると思いますね。人の記憶も曖昧にしますし、何事も「ま、そんなこともあったけど、昔のことだからね」って言わせちゃうから。