羆の人生記

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実家で過ごすのが楽しくない

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2021年から2022年にかけての年末年始は、毎年恒例の実家帰り。生まれも育ちも旭川な私には、特段、帰省感のないものになる。

 

率直に本題を述べれば「実家はそれほど楽しくない。」ということだ。どういうことかというと、実家にいたとしても、落ち着かないし、これなら自分の家で好きなものを食いながらゲームやアニメに興じていたほうが数倍マシ、という感覚になってしまうということ。

 

不仲なわけでもないし、ちょいちょい顔を出すし、集まる親類兄弟との関係も悪くない。実家にいたからといって、あれはどうしたこれはどうしたと詮索や押し付けの嵐が始まるわけではない。

 

「なんだそれなら天国じゃん。」と毒親持ちの人は言うだろうし、確かに全然恵まれた方ではある。しかし、世間というか、ステレオタイプな幸せな実家というのは、なんというか、居るだけで寛げて、いつまでもだらだら居座れるというか、「居心地の良さ」を感じられる場所なのかなと。それはひとえに、幼少期からの成長段階で「無条件の」肯定をされた者だとか、あるいは意図的にでも「こいつの帰る場所にしてやろう。」と努力しなければ生まれない場所(状況)なのかなと思うわけ。

 

間接的にではあるけれど、つまり、うちの親は自分のことを「無条件で」肯定したことはなく、自立だとか、社会的にまっとうに生きるだとか、規範を重視した教育方針で、それに放任主義が合わさるもんだから、変に気難しくて自立心を旺盛にした精神が練り上がってしまったんじゃないかって、今更ながらに両親に対し抗議めいた文章を連ねているわけである(もちろん、こんなこと直接言わんが。)。

 

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いや、こんな小難しいことではなくて、単純に性格によるものかもしれない。誰とも、距離を近くできない、縮められないという気質。誰かといると疲れてしまうから、表面上はうまくお付き合いはするけれども、懐には入られたくない。で、本当の意味で近づけると、反発しあって喧嘩する。自分で書いてて幼稚さにちょっとうんざりするけれども、これは紛れもない自分の気質なのである。40年弱でそれがようやっと分かるあたり、自分なんて理解しがたい。他人なんてもっとだ。

 

だ、もんだから、親が育てた教育方針を恨んで牙をむくようなことはないし(なぜならそれは自立心も育成したのだから)、自分の気質に不満を感じていじけることもない(それもまた個性だから悩んでも無駄)。ただ、素朴に。世間で、実家でいつまでものんびり凄しても窮屈さや飽きを感ない一部の恵まれた人々に対して、小さなやっかみをこうして書いてみたくなっただけ。

 

2022年最初のエントリがこれだけれど、自分の幼稚さを自覚できてこそ、地に足をつけて前に進む生き方ができると思って「公開する」ボタンを押す。

 

今年もよろしくお願いします。