羆の人生記

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大金はたいて結婚式に行くことはスタンダードではない

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自分が結婚式をしたのは、干支が一周するずっと前の話で、その時は確か120万円くらいだったと思う。なにせかなり前なので記憶が曖昧。出席者の支払いでほぼほぼペイできたようにも記憶している。準田舎の、少なくとも北海道旭川市においては「ご祝儀」システムがなく、出席者は1万円~1万5千円程度を支払って飲み食いし、新郎新婦の謎の動画を眺め、お涙頂戴のご両親への手紙を朗読するすすりなき新婦を目の当たりにし、後腐れのないお土産をもらって陽キャや参加者狙いは2次会の薄暗い地下のバーに行き、そうでないものは帰路に就き、明日の仕事の心配あたりをするのが相場になっている(一部偏見あり)。

 

anond.hatelabo.jp

 

はてなアノニマスダイアリー、通称「増田」でこの記事が話題になっていて、インパクトあるのが結婚式費用の見積もりが600万円とのことである。すっげ、600万円。600万円あれば自分なら今の生活が一変する、というのも養育費と車のローンと親への借金返済が一発ツモで終わるからだ。第2の人生の始まりである。車と家を売り飛ばして、南の方面に出立してしまうかもしれない、600万円なんて転がり込んだら。なーんて、ぜんぜん趣旨と違う、まるで当たりもしない宝くじが当たったらこうしようあーしようの妄想に毛すら生えないこんな話は他所へやることとする。

 

コメントの反応は「祝ってくれる友人がこんなにいることが幸せ」「友人の結婚式というのを否定的に見るのはネットの文脈。基本、嬉しいしご祝儀も普通に出す」的なものが耳目や共感を集めているようだ。

 

確かに、周りが自分の結婚を本気で祝ってくれて、しかも見積もり費用まであけすけに語ったものに対して頭を捻ってくれるなんてのは、今のご時世、かなりレアな部類であり、幸せなことだろう。ただ、友人の結婚式は普通にめでたくてお祝いしたい、という気持ちになれるのも、それは幸せなことなんだろうよ。行く気持ちになれるのも、金があるのも、装備が充実していることも、特別なことだと考えて頂きたいし、それは決して今の日本で一般化することなどできん。

 

自分は友人が結婚するのであればそれに対して否定的な感情はわかないし、祝いたい気持ちでいっぱいである。しかし、1万なにがし円を支払ってエンターテイメントを見に行く気には毛頭なれない。それだったら、金一封包んで直接自宅に祝辞を述べにいくほうがいいなぁと思う。どうして結婚式に行きたくないのか?というと、まず支払った金額に対してそれに見合った価値があるとは思えないから。お二人の幸せな姿を見るのはいい。それがメインだ。ただ、出される飯とか酒とか、会場借り上げ費とかブライダル業界への養分となるのは不本意なわけである。二人の幸せな姿を見るだけなら、チャペルの、新郎新婦の前で永遠の愛を誓いあう姿だけでも見てあげて、玄米を振りかぶって投げつけででもしてあげればいいのでは。それに、着ていく服がない。くったくたの十数年も使いまわしたスーツとヨレヨレのネクタイ、そして擦り傷満載の合皮皮靴で城紛いの建物で行われる催事に参加する気にもとてもなれないのであった。

 

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社会の分断を煽ることは決してしたくはないのだけれども、現状として友人の結婚式に少なからずの金を出して参加することは美徳であり、普通であり、普遍であり、多数派であるということはまかり通ってほしくない。そうしたい人はそうすればいいし、そうできない人もとやかく言われない。格差を是認することにもつながりかねないのだけれど、多様性を重んじる社会を作っていくという意味で、肯定も否定も存在を抹消されない風潮を望むのである。