離婚歴のある管理人です。
それぞれに結婚観ってあると思うんですよ、既婚者から未婚者、僕のような結婚経験者まで。
どうですか、みなさんは結婚をどのように見てますか?
生涯未婚率について報じられる
50歳まで一度も結婚したことがない人が2015年に男性で4人に1人、女性で7人に1人いたことが、国立社会保障・人口問題研究所の調査で分かった。こうした人の割合を示す「生涯未婚率」は、10年の前回調査から男女とも3ポイント以上増えて過去最高を更新した。
「いずれは結婚したい」と考える18~34歳の未婚者の割合は男性85・7%、女性89・3%だった。高水準だが、「結婚資金」や「結婚のための住居」の確保が障害と考えている人が多く、研究所の担当者は「非正規労働者の増加も生涯未婚率の上昇に影響している」とみている。
生涯未婚率が、調査により過去最高だったこと。
調査機関の見方として、お金や住居の問題、雇用形態に原因があるとされています。
結婚するよりある程度、将来を予測できる独身でいた方が安心感を得られる人が多いから生涯未婚になる人が増えているのではないか
こちらは、はてなアノニマスダイアリーに投稿され、多くの人に読まれている内容の一部です。未婚者が増える原因を「精神的なもの」としてとらえている。一読に値する興味深い内容でしたし、共感もできます。
お金?住居?雇用?精神的なもの?
どれが生涯未婚を過去最高とした要因なのでしょうか。 僕はすべてだと思います。この4つで生涯未婚率の増加全てが説明できるとは思いませんけど、一部だと感じます。
まず、世間一般では、結婚するならお金が必要という認識が強い。結婚式に子供の養育、果ては老後の資金まで。
次に住居ですが、将来家族を形成する(子供が増える)ことを前提とするならば、1LDKでは子育てスペースとして不適である、だから少しでも広い場所に住みたい。にも関わらず都心の住居費が高すぎることが問題ですね。
雇用はいわゆる非正規問題、ワーキングプア問題が挙げられます。最近、貧乏な人が増加しているという話題もネット上で注目を浴びていましたね、日本は貧しくなっています。
精神的なものについては、これまでは上手く回っていたと思われる、年功序列を前提として男が稼いで女が家を守るという形が崩壊。男女それぞれで権利を叫ぶ時代に突入して個々人の軋轢が増した結果、「ひとりが楽」という価値観を形成し、徐々に広がっているのではないか?というのが僕の見方です。
ひとりが好きな人の特徴は?誰かといると消耗する僕が語ります - ポジ熊の人生記
管理人も「ひとりが好き」人間で、こちらで詳しく語っています。
お金、住居、雇用、精神的なもの。
どれも認めざるをえないでしょう。
世間における結婚の前提を取っ払ってみたらどうか?
例えば子供。別に無理に生まなくてもOK。そりゃいたら嬉しいのだろうけど、お金がかかることは事実なわけだし、育てられる備えがなければ、無理に作るものじゃないと思う。それで貧困に窮して一家離散するくらいなら、いないほうがまだ良いですよ。社会が子供の教育にかかる費用を捻出してくれるのなら、もっと生みやすい環境ができるのだろうけど、簡単な問題じゃないですね。
次に、どちらかが養うという考え方をなくす。そうじゃなくて、二人の収入を足せばいい。これに合わせて考えたいのが住居の問題。これまではひとりで10万円支払ってきた家賃を、共稼ぎで5万円にできる。これなら重くのしかかる住居費を半分にできるじゃないですか?
結婚式だって挙げなくていい、指輪だって無理に買う必要はないし、結納もしなくてよし。できるだけ結婚にお金をかけない。こういう考え方が当たり前の社会になれば、結婚のハードルってもっと低くなるはずなんです。
精神的な問題をクリアするのなら、しっかりと意思の疎通ができて、認め合えるパートナーを見抜く心を養う必要があります。年収や容姿で相手を選ばず、慈愛の精神があるか自分と向き合える人なのか、など人間性に目を向けることが肝心です。今はあっても、未来にあるかどうかわからないものをパートナーに求める条件とするのは愚かな考えにほかなりません。無論、目をつむるところはつむり、感謝の気持ちを忘れないという努力も必要であることを申し添えます。
「子供産まなくてもOK」とか少子化を加速させかねない思想かもしれないけど、でも、こういうことが障害になって未婚の人が増え続けるのは、社会にとって損失でしかないと感じるのですよね。結婚って、もっと「助け合い」の精神でやっても良いと思うのです。
結婚って助け合いじゃない?
お互いに足りない部分を補い合って、経済的にも精神的にも支え合い、生きていく。これ、僕の思い描く理想の結婚像です。ここにお金は必要ありません。
もちろん、双方仕事をしていることが望ましいですが、片方が失業してもその心細い間はパートナーが精神的支えとなって次の食い扶持を探す際の拠り所となれれば素敵ですよね。
住むところだって「俺んとここないか?」「あたしんち、おいでよ」で解決する話じゃないですか。あとは狭い部屋にシングルの敷布団でよろしく休めば良い。どっちも家がないなら、力を合わせて住むところ探せばOK。
貧乏だっていいじゃん、二人いれば心細いことはない、どうにでも生きていける。人はひとりではとっても弱い、けど傍で誰かが「私がいるよ」って言ってくれたら、それだけでどんな過酷な状況でも前に進めるんです。別に結婚にこだわらなくても良いです、内縁でもなんでも。とにかく支え合って同じかまどで共存できればそれでいいんです。そこには肉体関係すら問わず、性別も異性だろうが同性だろうが助け合えれば良い!
ま、今回は「結婚」を主にしていますので、あまり話を広げ過ぎないようにします。
結婚を阻む「社会」と「親」
なんでもかんでも社会と親のせいにするのはいただけませんが、こと結婚に関しては目の上のたんこぶになりがちなのがこの2つです。
社会は子供を産むことを前提とした家族を望みます。このプレッシャーが、苦しい二人で助け合う共存を阻みます。
親は「ちゃんとした人と結婚しなさい」だとか、そういうコンサバな考えで子供の結婚に反対したりします。自分が生まれた時代と混同して、凝り固まった価値観を子供にそのままあてはめようとする場合が多い。子を心配する気持ちは理解できますが、連れてきた相手の出自や年収だけで一事が万事とするのは浅薄な考えです。どうか人間性も見てほしい。
こういうのがあるから、みんな気楽に結婚できないんじゃないですか?
本当はもっと、助け合うような、弱い個々でも寄り添えば生きていけるような形でも、結婚したいなぁと考えている人はいるのではないでしょうか。
それとも、自ら結婚に対して「お金がいる」「相手は素敵な人じゃないと駄目」「パパが認めてくれないと」などという考えを作り出して、踏み切れないのでしょうか。もしそうだとしたら、これは仕方ないことですが。
昔、お付き合いしていた女性でしきりに「私は30歳までに絶対結婚する!」とおっしゃる方がいて、僕が「結婚したら幸せになるの?」と聞くと「もちろん」とのことでした。あぁ、なるほど、そこがゴールでその先は宇宙の果てみたいなもんで、幕が下りてエンドロールが流れるイメージなのか。いやまて、その先はどうするんだ、その先は。なんて唖然とした経験がありますけど。余談。
人生なんて今の繰り返し、刹那の連続なんですよね。ここにしか人生はないし、幸せもない。その今が苦しいのであれば、一緒に共闘できるパートナーを獲得することは大きなアドバンテージになります。苦難を乗り越える力が増えます。そこに形式を持ち込むのは野暮ったいというか、ナンセンスな気がするんですよ。相手は誰だっていいじゃないですか、助け合える共存者、戦友がいればそれで。お金がないと、駄目ですか?お金がなく貧乏だからこそ、結婚して助け合うのが自然だと思うのです。