羆の人生記

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健全に痩せる方法

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ダイエットとルッキズム

世間がダイエットの話題に事欠かないのは、多くの人がそれに興味があるからだ。なぜ興味があるのかというと、体重を減らすことがメリットと考える人が多数を占めるから。どうしてメリットになるかといえば、プロポーションが良い、からの「他人の評価が上がる」で「自己肯定感が高まる」というのが式なのだと思う。

 

この「プロポーションが良い」=「美しい・価値がある」の前提をどう見ればいいのか、自分なりにどう見るか。まぁ、有体にいえばルッキズム*1の代表格みたいなものだと少なからず感じる。なくそうとしても、むつかしいけど。「デブは悪」という極端で醜悪な差別は良くないという風潮を世間で、皆で少しずつ共有すれば、ある程度健全な道徳的な観念は人口に膾炙するはず。ただ、どうしても、見た目を生理的に嫌悪する感情というのは、無意識に沈めることはできても、自分の中に生まれることそのものを無くすことは無理だから。

 

ここまでが前置きで、今回の主題は「健全に痩せる方法」

 

極端な方法で痩せるのは難しくない

極論、食わなきゃ痩せる。これを肯定できるだろうか?馬鹿でも分かる痩せる方法。食べるという生物の根幹を成す本能に抗うというむつかしさはあるけれど、金も手間もかからないという意味でハードルは低い。もし、何かしらの理由があって、短期間に一気に痩せなければならない事情が自分にできたのなら、迷わず食うのを止めて、大人しく水だけ飲む。運動とか、痩せるために無駄なことはひとつもしない。ただ、食わないだけで、みるみるうちに痩せていく。「それ筋肉の分では」という意見に対しては、確かに動かない食わないでは筋肉は落ちるけれども、食わなければまず分解が始まるのは脂肪である。脂肪がなくなれば(体脂肪率が3%程度になれば)いよいよ筋肉を本格的に分解してエネルギーにし始めるのが順序だから、やっぱり食わなければ脂肪は燃えていく。始めに筋肉が本格的に分解される人などいない。

 

脂質を重点的に摂る、という方法もある。脂質は摂取してもインスリンを出しにくいから、肝臓がグリコーゲンを蓄えないのでやっぱり痩せる。ウンコは黄色くなるし、ねっとりするのですごく不快だけど、痩せたいなら脂肪ばっかり食うという手もある。でもこれも、極端なダイエット法。万人におすすめできるものではない。

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この記事も話題になったが、ブックマークコメントを見ると批判の対象になっている。そりゃあ、ねぇ、2か月で30kgはちょっとやりすぎよね。ただ、「脂肪を摂ると太る」という前時代的な知識を変革させることに一役買っているのも確かなので、無価値とは思わない。

 

なぜ人は極端なダイエットを好むのか

考える必要がないから。裁量で進めなくていいから、バランスをとることにリソースを割かなくていい。先述の「食わない」も至極簡単、ただ、食わないだけ。何も考えなくていい。脂肪をメインに摂るのもそうで、あまり考えなくていい。脂肪ばっかり食ってりゃいいわけだから。

 

つまり、人は、簡単に痩せたいのだ。痩せるための我慢はする、ここまでが許容範囲で、そこから先は「これ以上なにを頑張れっちゅーねん」という思考になるのだろう。ただでさえ我慢するんだから、そこから先も複雑なものを求められるとかまっぴら御免と。そういうことですな。

 

で、市場もその心理を分かっていて、手ごろな極端ダイエット法を売り出す。考えなくていいダイエット法だから、人はそれに手を出す。売り手は儲かる。人は痩せる。これでWIN-WINの関係でめでたしめでたし・・・とそうは問屋が卸さない。極端なダイエットには罠も待っている。筋肉落ちる(リバウンドしやすい体に)、耐糖能がなくなる(糖尿になりやい体に)、などなど。弊害たっぷりの極端ダイエット。

 

健全に痩せる方法

物事の理は中庸、バランスが何よりも重要、と。

 

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痩せるためにはどうしたらいいか、その方法は科学が証明しつつある。人が脂肪を蓄えるメカニズムは、知識も深くないので割愛するけれども、インスリンがキーになっていることは確か。なので、これまで炭水化物に偏重していた食生活を見直すだけでいい。1日3食をしっかり白飯食ってた人は、そのどれかで白飯を食わず、代わりに食物繊維を摂ればいい。次点で脂肪、最低でもタンパク質か。これだけで長期的に体形は変わってくる。

 

それと、間食。特にスナック菓子類・砂糖の入ったジュース類。これらはてきめんにインスリンを出すから、合間合間にちょいちょい食べていると、不健康な体形まっしぐら。間食は悪と断じるのも極端だけれど、これもお付き合いを考えるといい。例えば決まった時間に、決まった量しか食べないとか。1日の初めに器に一定量を盛って、これ以上食べないと決めるとかしないと、ダイエットの大きな弊害になる。間食するならナッツ類とかチーズとか、それこそ脂肪を上手く利用しよう。

(余談だが、人工甘味料もインスリンを出すらしいので、結局、砂糖の入ったジュースと同じらしいです。)

 

忘れてはいけないのは、極端なダイエットは弊害を生むこと。結果を焦りすぎたら、その余波がくる、必ず。だから、痩せるにしても長期計画でいく必要がある。気の長い話をするのなら、5年かけてもいい。例えば1日3食の白飯を2食にして5年間、続ける。個人差は当然としても、5年後の自分は今とはずいぶん違うはずだ。

 

100-0思考ではなく、これまで0で極端なことをしていたのなら、まず90-10と譲歩していけばいい。それで、理想の50-50に近づけていく。50-50で安定したのなら、そこからブレることなく生きていけば、市場の極端なダイエット法を目に耳にして右往左往する必要もなくなる。だって、理想の体形がこれからも続くわけだから。

 

終わりに

私、羆は非常に極端な人間です。だから、こういうバランスをとるのが大の苦手。でも、仕事の面でこういう極端な思考が仇となり、壁にぶつかっている最中です。それはダイエットにもいえます。過去、激やせした時期は極端なダイエットを繰り返してきました。プロポーションは得たけれども、失ったものもかなり大きい。齢40を過ぎてこのままでは健全な晩節はないな、と自戒し、「中庸」を理想に掲げて、このような記事を書きました。

 

極端な思考は、時に大きな成功を生みます。100で貫けるなら、社会的な成功に繋げることも可能です。そういうチャンスをものにするための踏ん張りどころで100を発揮するのならいいのですけれども、日常的にそういうことをやっていると、転んだ時に大けがをしてしまう。やる気は出すべき時に出せばいいのです。

 

マザーテレサの名言*2ではないけれども、習慣は性格となり、それが運命になるというのは、正鵠を射ていると思います。習慣を正すのはむつかしい。己を律する必要があります。ただ、長期的にでも、少しずつ、バランスをとって生活していけば。習慣にすることができれば、性格を、そして運命をも変えることができる。

 

一日一歩、三日で散歩ですね。

*1:外見にもとづく差別

*2:思考に気をつけなさい、それは、いつか言葉になるから。言葉に気をつけなさい、それは、いつか行動になるから。行動に気をつけなさい、それは、いつか習慣になるから。習慣に気をつけなさい、それは、いつか性格になるから。性格に気をつけなさい、それは、いつか運命になるから。