禁煙19日目。
この時期は割と地味で、禁煙30日目(禁煙1か月目)あたりの記事に紛れてしまう印象。
禁煙1週間~3か月くらいは、禁煙してます!というアピールが地味になりがちで、それを自分のために果たして実行できているのか?というのを確かめる上ではいい時期かなと思う。
さて今回は「身内に喫煙者がいた場合はどうする?」という話をしたいと思う。
管理人の場合は母親や兄弟が喫煙者なのだが、兄弟はどうでもいい、とうか喫煙しているからといって特別な感情は起きない。喫煙したことによるリスク云々を含め、自分で背負っていただきたい所存。
母親については、若かりし頃には喫煙を諫めることは幾度かあった。正直、これは迂闊、というか深慮に至らぬ行為だったように思える。というのは、どういうことか、というと...
親しい人には、たばこを止めてもらいたい。これはある程度、多くの人と共有できる考えだと思っている。長生きしてほしいし、できればピンピンコロリと逝って頂きたい、そう考えるのであれば、やはり「たばこ」というものとは距離をとっていただきたい、というのが正直な気持ちである。
https://www.e-healthnet.mhlw.go.jp/information/tobacco-summaries/t-03
上記はe-ヘルスネットの「喫煙とNCD(生活習慣病)」についての記載であるが、喫煙リスクは急性心筋梗塞などのACS(急性冠症候群)も招くが、生活習慣病、というくらいであって糖尿病や呼吸器疾患などの慢性的な疾患のリスクを増大させるのである。
糖尿病や呼吸器疾患を患っての高齢に突入した場合、客観的には幸せそうな老後には見えない。僕は仕事柄、こういう人をたくさん見るけれども、若いころのやんちゃや、歳をとっても酒やたばこを過剰に嗜むことで、身内が苦労をしたりあるいは本人が過度の不健康により穏やかな老後を過ごせない、などの状況に陥っているところを、たくさん見ている。
だから、母親には節制してほしかった。酒もそうだが、まずはたばこ、である。何の益もないたばこ。これをやめてほしいな、という思いが強い時期もあって、新型たばこのリスクについて記載された書物を貸したりもした。
けど、貸した本は結局、十数ページしか読み進めることはなくて、喫煙はそれからもずっと続いた。それについて個人的に「残念」という気持ちはおきない。望んで相手に意見を述べた、のは間違いないが、その望みが叶うかどうかは結局、相手次第。水飲み場まで連れて行くことはできても、水を飲むのは本人なのである。このケースで言うと、自分は母親を水飲み場まですらも連れて行くことはできなかったように思える。
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でも、今は考え方が違う。
母は、育児よりも仕事に生きた人だった。しかも、かなり偉くなっている。晩年は、部下のために頭を下げることが多かった、と本人から聞いている。それゆえ、退職後はそのような責務から解放され、のびのびとした生活を送ることを満喫しているのだという。
そんなセカンドライフで、好きなことを我慢して、果たして素敵な人生といえるのか。大好きな酒とたばこを制限してまで、長生きする人生が、母の望むセカンドライフなのであろうか。
こういうことをリアルに想像した結果、「母には、現役時代に苦労した分、好きなことをしてもらいたいな」と思うようになった。だから、飲酒も喫煙も、好きなようにやってもらおう!という結論に至ったのである。
もちろん、昼夜問わず連続飲酒するような極度に病的な飲酒や、一日に3箱も4箱も吸うようなヘビーチェーンスモークがみられるのなら、同居している家族も無事ではいられないし、対策を講じざるを得ないところなのだろう。しかし、今の母はそうではない。
酒を飲む時間も、日が落ちて常識的な範囲になったら飲む、というのは意識しているようだ。また、たばこについても息子の僕がある程度うるさく言った時期があってかどうかは分からないが、多少の節制はしているらしく、吸う本数を減らしているという。
いうことを聞いてくれる母親を持てたことは誠に僥倖であるが、「吸う本数を減らすことは、ニコチン中毒を加速させる」というリテラシーは残念ながら母は持ち得ていない。でも、素敵な親だと思っている。
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身内がたばこを吸っていることを、諫めるのは簡単。「それが人体に有害で、喫煙は依存症です。吸う人は弱者です。JTに搾取されているだけです。財務省がJTの株式を多量に保有していることを学ぶべきです。大血管系のリスクをはじめ、各主癌の罹患率を大幅に上げます。世間ではたばこを吸う人は今日日、自己管理ができていな人の代名詞となっています。それでもあなた、たばこを吸いますか?」というのは簡単ですよ。
けど、でも、人生における数少ない楽しみ、脳を刺激してドーパミン(アセチルコリン?)を分泌させる「たばこ」を無理やり制限してまで、生きる意味はあるのだろうか。どうなのだろう。僕が母親の愉しみのたばこを諫め続けることに、果たして益はあるのだろうか?
いや、ない。と、個人的に判断した。
だから、母の日や誕生日には、喫煙関係の補助グッズを送ることもある。ステレオタイプな禁煙強要は、しない。それが、母に対する今の自分の気持ちの結論である。
この持論は、後生、大切な人にも当てはめていきたいと思う。畢竟、自分の思うことを相手に強要する、というのは、自分の思うがままに相手をコントロールしたいという欲求の現れであり、エゴに過ぎない、相手の人生は、相手のもの。水飲み場に連れて行こうとするのは一向にかまわないのだが、水を飲むのは、結局は相手次第なのだから。