ポジ熊の人生記

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何かを我慢するという人生は窮屈に見えるかもしれない【禁煙8日目】

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photo by https://www.irasutoya.com/


何かを我慢する人生というのは、それを見ている人にとっては不自由であり、自虐的であり、もっと自由に多様な人生を認めればいいのに、と思われる場合もあるかもしれない。

 

唐突にこんなことを書くのはこの記事を公開する前日に公開した

 

www.pojihiguma.com

 

このエントリーに対する反応を見たからである。

 

主語がでかかった、とは思う。酒を飲まないほうが人生豊かになるだろう、というのはあくまでも僕個人に関してはの話であり、ほかの人にとってみれば酒は息抜きであり楽しみであり生きがいまたは人生とも呼べるかもしれないのだ。

 

それはたばこも一緒。僕は当然にたばこは人生において不要だと思っているし、世の中からたばこが根絶すればいいと思っているひとりである。だが、ほかの人にとってみればやはり楽しみで生きがいで、たばこも含め人生なのかもしれない。それを否定するものもない。禁煙を勧めようとも思わない。

 

 

どうだろう、我慢するというのは、窮屈そうに見えるだろうか。

 

こと自分の人生においては本能をそのまま放し飼いにしていたら、たいていは後悔する結果としてフィードバックされた。酒、たばこ、異性。どれも目を覆いたくなるような、公の場で話されようものなら穴にでも入りたくなるエピソードが目白押しなのである。

 

かくして、本能、特に酒、たばこ、異性関係を抑える我慢の人生を歩もうというマインドが自分の中に形成された。あんな辛い思いは、そして他人の辛い顔は、見たくないのである。こんな馬鹿でも経験からは幾分かのものを学べる素地があったようで、うれしい限りだ。

 

きっと、ここらへんのコントロール、つまり「本能とのお付き合い」が凄く苦手なんだと思う。上手な人は、破滅するような失敗をする前にしっかりと気づくわけだし、命が消えるその瞬間までそれらとお付き合いできるものなのだろう。

 

しかしながら、自分はそうではない。少なくとも、自分は、そうではないのだ。本能のタガを外してしまうと、それが猛然と走り出して崖から転げ落ちるあるいは誰かに噛みついてケガをさせてしまうのである。

 

ここらへん、「病気」としっかり線引きして病識を持つことができれば「治療」という選択肢も出てくる。が、ここでもまた弱い自分が顔を出す。周囲に「病気なので」って言おうものなら、あるいは通院していますって話そうものならそれからのレッテル張りが半端ではなく、それがたまらなく嫌で迎合してしまうのだ。

 

最近では、禁煙に関しての知識は人口に膾炙しているようで、喫煙行動は依存症であり医療機関での治療は有効だ、というのは常識の範囲内に入ってきた。

 

が、手ごわいのはそう、「酒」である。これはかなり手ごわい。何がてごわいかというと、夜の街は酒で経済が回っているといっても過言ではない状況であり、TVをつければ芸能人がのどを鳴らしてビールを飲み干しているこの環境で、果たして「僕は付き合いでもお酒を飲みません。病気なので」とカミングアウトできるのかということだ。ここ田舎においては、確実にこの行動は孤立を深める結果となるのである。

 

と、がたがた抜かしたところで所詮は言い訳。結局は自分が飲みたいからに他ならない依存症なのである。

 

本気でやめたい人間は、周囲が何と言おうと、孤立しようと、酒をやめれると思う。それに、酒をやめたからって人間関係は全くの0にはならず、むしろ本物の人間関係だけが残る結果となるだろう。真に自分に必要なものを探るのであれば、酒の関係を断つのもまた、有効な手段かもしれない。

 

 

とりとめもなく書きなぐった内容となったが、要は「自分は依存症で、それを病気と認めて世間の爪はじきにあってでも我慢を貫くことは今のところできない臆病者だ」ということである。んで、たばこを吸おうが酒を飲もうが人生は人生であり、いろいろだということも、ここには書いておこう。

 

 

・・・あ!禁煙ネタなんだけど夢の中でガッツリたばこを吸ってしまって、「うわ!!やっちまった!!!ブログに【禁煙1日目②】というエントリでスリップを告白しなきゃいけないやん!!」と大慌てしたところで夢から覚めてホッとする、というのを体験しました。あぶねー(´-ω-`)