この記事では
- 書籍『嫌われる勇気』の面白さ
- どんな人に読んでもらいたいか
- アドラー心理学の難しさと活かし方
について書きます。
なお、管理人は
- 書籍『嫌われる勇気』を3回ほど読み返し
- 続編である『幸せになる勇気』を読み
- アドラー心理学の入門書である『アドラー心理学入門-よりよい人間関係のために』を読んで...
アドラー心理学に強い影響を受けていることを申し添えます。
書籍『嫌われる勇気』の面白さ
「哲人」と「青年」による対話形式で内容のほとんどが構成されています。回り道などせず、悩める青年が哲人にひたすら反駁する形でリズミカルに進む形は、多くの人に本を読み進める力、動機を与えます。
何はともあれ読みやすい、これが大きな魅力であり面白さの根源です。
どんなに有益な内容でも、見せ方が難しければ(難解な専門用語を羅列するなど)多くの人に読んでもらうことは不可能です。
対話形式は、古代ギリシャの哲学者であるソクラテスが行った青年たちとの対話をベースに構成したとのこと。ソクラテスと青年たちは遠慮なく、忌憚なく言いたいことを言い合ったと伝えられています。(模様を記したのはプラトン)
次に紹介する面白さのエッセンスとして「青年の悩みが、現代社会に生きる人間の悩みをリアルに描いている」こと。これが読み手の心に響くのです。
例えば親が厳格で優秀な兄弟と比較され、劣等感に苛まれているだとか。嫌味な上司がいて仕事で辛い思いをしている、などですね。また、日本の「世間」ではありがちな他人におもねる、顔色を伺って自分の行動を決めていることに対するジレンマを持っている方も大勢いるでしょうから、こういった層にも大きな共感を呼んでいると推察できます。
どんな人に読んでもらいたいか
この本は万人に読んでほしい気持ちがある、同時に書籍の青年のように過去のトラウマや劣等感に苛まれ、「自分はここに存在して良いのか」と今でも消え入りそうな人こそ最も読んでほしいターゲットなのです。
本の内容を紹介する、これだけでもテキストに「伝わるように」起こすのはエネルギーが必要なのですけど、僕は持てるだけの表現力を駆使してここに伝えたい。なぜなら書籍『嫌われる勇気』を読んで一人でも多くの人に「勇気を出して自分を変える」ことを実践してほしいからです。
書籍各項目についての簡単な感想
トラウマを否定せよ
過去への意味付けは自分の考え方次第で良くも悪くもなる、ってことです。
全ての悩みは対人関係
極論、宇宙に自分一人になれば悩みは消滅することになります。
他者の課題を切り捨てる
変えられないものに腐心せず、変えられるものを変えていく勇気を持つ。
ニーバーの祈りそのものですね。
世界の中心はどこにあるのか
世界の中心は地図で例えれば平面図ではなく地球儀なんだよ、と。
「いま、ここ」を真剣に生きる
人生は刹那の連続で「線」ではなく「点」であります。
振り返って「こんなところまで来ていたのか」終着点は決まっていません。
「いま、ここ」を生きぬはアドラー曰く「人生最大の嘘である」
以上、ざっくりと書きました。
どうしてここまで簡素化したかというと、目的は「本を読んでもらうこと」で、さらなる目標は「アドラー心理学を活かして生きやすくなる人が増える」ことだから。
ここで記したことは目次に毛の生えたようなものです。だから、実際に本を手に取って読んでください。凄く読みやすい本だと思います、あなたとアドラー心理学の出会いを最高の形で助けてくれる、運命的な点になるかもしれません。
この項の締めとして、アドラーが述べた「幸せの定義」を紹介しましょう。
「幸福とは、貢献感である」。
『嫌われる勇気』より
アドラー心理学は劇薬
僕が初めてこの本を読み終わったあとの話をします。
書籍内で「嫌われる勇気を持て」「褒めず叱らず横の関係を築け」という教えがあります。これを早合点して「よし、今日から僕も嫌われる勇気を持つぞ!褒めない叱らない、実践するぞ!」と息巻いて、馬鹿正直に意識しまくりました。『嫌われる勇気』という本はここまで強い影響力を持っているのです。
その結果、どうなったか。
世間の意識との乖離に苦しみ悩み、「アドラー心理学は理想論で、日本には馴染まない」と結論付けたのです。
(もちろん、いまは違います)
劇薬なんですよね、アドラー心理学は。理屈では理解できるし「なるほど!」とその場ではうなずかされるのですが、いざ実践するとなると途端に難しくなる。ある種、究極の理想を描いた心理学であり哲学であるともいえます、それが解りやすく頭の中に流れ込んでくるものだから、本当の意味で落とし込まないうちに半端なパラダイムシフトを引き起こして「拗らす」わけです。
「アドラー拗らせ症候群」に僕は罹患しました。その結果、いろいろな場面で想いを挫かれ、挫折感を伴うアドラー離れをしたのです。
いや、「挫折したと思っていた」のほうが適切な表現ですね。
アドラー心理学の活かし方
さて、本を読んでから1年の時が経ちました。日常生活の中で自分の認知に変化が起きていることは、はっきりと自覚できます。
「アドラー心理学が心の中で呼吸している」
全ての事象、主に対人関係ですが認知にアドラー心理学の教えが生きているのです。
他者に対する考え方の変化が顕著で、課題の分離の概念はとても僕を楽にしています。「相手からの評判、評価はコントロールできない」これが根底にあるものですから、誰かに批判されたり嫌われても「それは仕方ない」と考えられるようになった。
トラウマの否定や「いま、ここ」を生きる考え方もそうですね。
過去には色々なことがありました、世間的に見れば「途方もない挫折」でも、それに対する僕の意味付けは「なかなか体験できない良い経験」「人に優しくなれるエッセンス」として捉えています。
散歩していても、一歩一歩がこの瞬間を生きているって考えて、身体に活力がみなぎります。朝起きても「人生が始まった」感を強く感じています。松岡修造氏「今ここを生きていけば、みんな生き生きするぞ!!」の意味、今なら噛み締められます。
で、結局アドラー心理学を本当に活かしきれているのかといえば現状はNoです。まだまだ未熟で無知であり、感情に支配されることも普通にあります。変えられぬものに心を惑わされることだって、しょっちゅうです。
が、アドラー心理学を本当に理解するには書籍内から参考にさせていただくと
生きてきた年数の半分の時間を要する
らしいのですよ。僕が40歳と仮定して20年です。つまり60歳頃にならなければ真の理解と実践は難しいということ。それだけ深いものなのですね。
アドラー心理学の活かし方、それはまず「知ること」です。それを最大限に助けてくれるのが『嫌われる勇気』と考えます。だから、書籍を手に取って知ってください、それが第一歩となるでしょう。
読み進めていくうちに「無茶だ」と感じる方もいらっしゃるでしょうし、読み終えて面白かったので実践を試みても、僕のように挫かれて失望する方もいるかもしれません。ですが、アドラー心理学が面白いのはここからです。
読んで心に落とし込んだこの学問はいわば「種」
「種」は心という土に植えられ、日常生活、主に対人関係において「水」という栄養を得ます。そして「アドラーの教え」という芽が、始めは可愛い小さな芽が確実に萌える。長い年月を経て、人と、社会と関わり、アドラー心理学が提唱する「共同体感覚」に漠然とでも思いを馳せているうちに芽は成長してやがて大きな木となるでしょう。
今、僕の中にはアドラーの芽があります。
完全に実践するには弱く、世間と折り合いをつけながら、それでも枯れぬ摘まれぬ芽があって、間違いなく生きていく上でのヒントや力をもらっているんです。まだまだ未熟で右往左往していますが、いつかこの芽を木にしたい。多くの人にアドラー心理学を勧める傍らで、さらなる学問への知見を掘り下げ、「いま、ここ」を生きていきたいと思います。
アドラー心理学をさらに深めたい方には以下の2冊もお勧めです!