- 期待すると外れた時に落胆する。
- 期待しなければ外れても「ま、そんなもんか」で諦めがつく。
- 期待しなければ、いいことがあったら「ラッキー♪」って思える。
以上。
・・・76文字で終わる話なんだけれどね。
ここからダラダラ書くのさ!
期待
期待。
期待ってなんだ?
気体じゃねえぞ。機体でもない。
あることが実現するだろうと望みをかけて待ち受けること。当てにして心待ちにすること。
以上はデジタル大辞泉からの引用。
まぁようするに「あったらいいな!あればいいな!あるよね?多分ある!いーや、絶対ある!必ず起きる!」という、淡い期待のことである(飛躍
期待する一日
朝起きるじゃん。
で、早速期待するじゃん。
「今日一日、なにか良いことないかな。」と。
じゃあ実際にどうさ。
そんな毎日、良いことなんてあるかい?
大概が、ほぼ毎日同じことの繰り返しじゃあないのかい?
なーんて、こんな考えは有難みを忘れているよ。健康で毎日を過ごせることは何よりも素晴らしいことさ。でも、今回はそういう徳の高い考え方じゃなくって、一般論の話さ。
そうそう、いいこと、なんてのは身の上に起きないんだってば。恋と一緒だって。待ってても来ないの。んで、「もう、別にいいや」って開き直って忘れたあたりで突然訪れる。そういうもんなのよ。
だからー、毎日「何かに期待する」というのは、言い換えれば「ほぼ毎日、何かに期待外れ(落胆)を起こす」ってことになるのよ。OK?
どうですか。ほぼ毎日落胆とか。嫌じゃないですか?できればガッカリって、したくないですよねぇ。経験になるガッカリってのもありますけれど、日々のルーチンで行った「期待」で毎日ガッカリして精神力減らすのは、とてもクレバーとは言い難いですよねぇ。
期待しなかったら、何が楽かって人間関係なんだよな
人間関係に期待したら駄目。
朝、出社して「おはようございまーす」って挨拶してさ。相手から「○○さん、おはようございます↑」ってアゲアゲで調子のいいレスポンスを期待してごらんなさい。これでもし相手から挨拶が返ってこなかった時の滑りっぷりったらないよ。もう大けがよ。だから、期待しちゃダメなんだって。挨拶なんて投げっぱなしジャーマン。放ったらそれまでなんだから。返ってきたかこないかで、効果判定したらその時点で負けだから。相手に伝えたらそれでもう99%の目的達成だから。これ大事だからよく覚えておいてね。で、相手から「おはようございます」って、返ってきたらどう?ラッキーじゃね?え、いやいやそれは普通だよ、って?んなこたーぁない。必ず挨拶が返ってくるとか、平和ボケも大概にしろよ。がっつりシカトされることだって、珍しくないんだからな。
挨拶だけに限らんよ。自分への当たり全般、全部そうかな。期待しちゃうと、ほんとガッカリの連続。「もっとチヤホヤされるはずなのに」「もっとやさしくしてくれるんじゃないの?」とか、こんなおねだりばっかりするような弱者になり果てちゃう。それが期待の怖ささ!
じゃ、期待しなきゃどうなる?「別に、挨拶して返ってこなくてもOK。自分がチヤホヤされなくても、やさしくされなくてもOK。やるべきことを、しっかりとやるだけ」って考えておく。そうすれば、挨拶ひとつ返ってきただけで「ラッキー、挨拶返してくれた」ってなるじゃん。少しでも優しくされれば「わ、今日はついてるなー!」って思えるじゃん。思えない??
期待は甘えを生む
若い頃、飲食店でバイトしている時のこと。
最初は仕事の覚えも悪いし、ミスを連発するしで散々だった僕。で、ある日、店の備品を壊してしまった時のこと。店長からこう言われたんですよ。「君には期待してないから」と。その瞬間、自分の中で何かが崩壊した。というか、「期待されているかも?」という淡い甘えの梯子が外れた感覚というか。その瞬間、完全に自分は孤立した。もう、どこにもベソをかく場所がない。背水の陣だ。
そこからは、成長は速かった。完全にプッツンと開き直ったんだね。もう、迷いもなければ甘えもなくなった。ただバリバリと仕事をこなすようになった。そうしたら、いつのまにかその店で最も仕事ができる人間になっていた。
で、これはどういうことかというと、周りが自分に期待しているかも?って考えると、甘えちゃう人間もいるってことだね。それがまさに自分だった。けど、それは見事に崩壊した、突き放された形だね。そうしたら、甘えなくなって成長した、と。こういうパターンもあるんだね。
だから、へたに期待をチラつかせてしまうと、成長しない人間も中にはいるんじゃないかってことです。僕みたいな、ね。けど、そうじゃない人ももちろんいるからね。期待してあげると、成長する人もさ。なので一概には言えないけれど。
期待しないほうが幸運を感じやすい論
これはちょっと自信あるよ。例えば同僚に特段、何も期待していない状況で優しくされた場合に「お、ラッキー」って思えるじゃない?これがもしだよ、「こいつは俺に優しくするかもしれない、してほしい!」って期待しちゃうと、その通りに優しくされても「ね、やっぱりそうでしょ?」って欺瞞に陥るかもしれない。優しくされなければ「なんでそうなるんだよ、期待してたのに!」ってなる。だから、ね?期待しないほうが、幸運を感じやすいんだよ。別に、今日一日は、良いことも悪いことも起きえる。その、どちらかに期待しないほうがいい。で、良いことがあれば「ラッキー」でいいし、悪いことがあれば「そんな日もあるさ」でいいじゃん。Bad Dayじゃないけどさ。
そうそう、ツイてないだけなのさ。これはね、期待しない人生にこそ生まれる思考なんだな。
ちょっとここで補足というか、大事なことを伝えておく。期待しない、とはいうけれど、じゃあ何もしないで怠惰に過ごせばいいのか?というのは、違う。それとは混同しないでくれ。あなたの出来る限りの、力いっぱいの努力は、決して無駄じゃないと思う。やって損はないと思う。けれど、それに対する過剰な見返りというか、そういうのを求めるのが違うんじゃないかなってことなんだわ。
育児、自分の子供に対する投資や努力もそうだね。「こんなにしてあげたのに!」「これだけのお金をかけたのに」って落胆する人もいるかもしれないけれど、あんたね、自分が子供になにかしたのなら、その時点で手を離しなさいよ。もう、あんたの所管じゃないんだよ。離れたの。サイは投げられたの。あとはその子が、どう加工するのか。どう化けるのか。それを楽しみに待つのが良いんじゃないの?それこそ「期待」せずに。
そういうことなんだよ。で、子供がさ、自分の投じた色々なことを結果として形にしたとするじゃない?その時は「やっぱりそうでしょ」じゃなくって「お、ラッキーだな。やってくれたか」って思える方が、健全じゃない?自分の思い通りになんて、子供は絶対にいかない。子供以上に、期待し過ぎちゃいけないものなんて、この世にない!とおじさんは思うねぇー!
期待する時
ある。
あるよ。
俺にだってある。
例えば昨日いい感じに終わった合コンで女の子からLINEが来た瞬間に「あ、これもしかして」とか淡い期待、すること、あるよ。
けどね、そんな時も、期待しちゃ駄目なのさ。「○○さん、昨日はありがとうございました、すっごい楽しかったです。また機会があれば一緒に飲みましょー(*´▽`*)」という社交辞令的テンプレが返ってくるだけだから。
この時に期待しているかしてないかで、大きく反応が分かれるでしょ。期待してたらガッカリするし、してなかったら「ま、そんなもんでしょ」ってな具合にクールに終われる。もし、具合のいい連絡だったら((例)こんど、二人で飲みませんか?)うおーラッキー!ってなるでしょ。そういうことですよ。
基本、人は期待しちゃう。誰かの挙動に身を委ねちゃう。つまりは「甘え」だ。しかし、これを意図的に排除しよう。「今日は誰にも期待しないぞ」って、朝起きたら、願掛けしていいレベル。期待したら駄目。期待したら足元をすくわれる。人生。思うようにいかないように設計されている。そんなもんなんだ。いい加減、諦めろ。そうすりゃ、楽になれるぞ。
終わりに
今日もみんな、期待する、いろんなことに、期待する。そして、期待のそぐわぬ結果となり、落胆する。そんな毎日の繰り返しだ。それが、人の業なんだ。けれど、期待しないことを覚えれば、それはすなわち精神的な進化というか前進を指す。執着を手放すということである。自分の思う通りにいかない!という欲望、執着を手放すことこそが、期待しない、ということになるのではないかと思うのであります。
いやー、まぁ、わかりますよ、期待したい、その気持ち。自分が、どれだけ尽力したか、そのエネルギー量に比例して期待の熱量も高まるのではないかと存じます。ですけどね、ちょっと冷静に考えてほしいんですよ。そいういう、自分はこれほどやったのに!って時ほどに、期待は外してほしいんですよ。あんまり、あなたの「私はこれだけ投資した、頑張った」要素を出さないでほしいんですよ。それすなわち、あなたの自慰に等しい行為なんですから。そうじゃなくってさ、総じて、結果として幸福が生産されるかどうか。ここらへんを、見極めてほしいなぁって思います。
伝わるかなー。