昔、こんな記事を書いていたんですけれども、近頃、これについて前向きな感想をメールでいただいたものですから、ちょいと記事を読み返して、人間っていうのは3年程度でどれくらい考え方が変わるのかってのを確認してみようと思います。ちょいとお付き合いを。
総評
青くせえことを割と言っているなというヘンテコな痒さは伴いましたけれども、まぁ言っていることに嘘はないっすね。おおむね、今も、似たような所感。ただ、やっぱり、齢40を超えて世間の不条理の中で泳ぎまくっていたら、やっぱり細かい部分は変化しているなと感じました!
自己肯定感?
自己肯定感ってなんだ、自己肯定感ってなあに?いまさら辞書引いて引用するまでもねえ、読んで字のごとくさね。自己肯定感ってじゃあつまるところ、どうやって獲得したらええねん、というと、サラリーマンの立場からいえば、仕事において誰かに頼られたり、そこらの人ではなかなかなしえないプロジェクトを任されたりすることで、自己肯定感は上がっている感じはしますね。で、最近、これが自分の中で育っているな、と感じるタイミングっつうのは酒の席ですね。酒ってのは、人間の本性を暴いちまうもんなんです。普段は理性で抑え込んでいるあいつらを解き放つ、それが酒。どうやら脳を溶かすらしいので、飲んだことない人は飲まんほうがいい。話を戻すが、昔は仕事でも認められてねえって場合に、酒盛りなんかをした暁にゃ「なんで俺が認められねえんだこんちくしょう」とばかりに、社会通念に照らし合わせても非常に残念な言動をとっちまっていたものですが、ここ最近ではそれがない。やっぱり、心のどっかで、認められたいけど認められてねえっつう不満を蓄積していたんですね。で、それを爆発させてしまう、ということ。仕事が充実していて、つらいし疲れるけどやりがいを感じているような人は、酒を飲んだとしても、そこまで乱れたりしないもんなんじゃないですか。もともとの酒癖との関係性は知らん。
無理して恋すんな
じゃあお勤め人じゃなくて、こと恋愛においてどうしたら自己肯定感を高めたらええねん、というと、これ!といった回答を示せない。なんというか力不足を感じる。ごめんな。けど、間違いないのは、自分の価値を下げてまで、あるいは背伸びして相手に合わせてまで継続する恋愛にそこまでの価値はねえってことです。これは自信あるよ。あなたの今、ゲロ吐きながら維持してる無理な恋愛、それはあと何年続くか知らんけれども、蓄財もできなければ無駄に年を食うだけであり、ふと我に返った場合に「なんであんな奴に入れ込んでいたのか過去の自分を呪いたい」なんて思うのが関の山ですって。ですから、無理に延命する恋愛に一片の価値もないんです。もし、別れてしまったら、寂しくて自我が崩壊するかもしれない、と思うかもしれないじゃないですか。でも、それ、気のせいです。また、腹も減れば眠くもなるわけです人間というのは。だから、そうなった場合は出汁の効いたタマネギと牛肉の煮込んだやつを白飯にぶっかけて、腹の中にかっ込めばいいわけですし、くたびれたソファなのか万年床なのか知らんけれども、そこで小さく死ぬように寝ればいいんです。そんで、自分が好きなことでもやって、また元気を取り戻したらどうなんでしょう。いっそ、小さく、死ねばいいなんて、なんたら直太朗も言ってたくらいです。
理想の恋人なんていねえんだわ
そんなものは、近頃噂のAIにでも描いてもらえ。そうでもしなきゃ、理想の恋人なんているわけねえ。ちょっと想像してみよう。あなたのいうことを100%実現させてくれる、わがままも聞いてくれる、常に先回りしてお姫様だか王子様に仕立て上げてくれる、それでいて八頭身二重鼻筋シュっであっちも抜群な恋人っていったいどこの転生世界にいると思ってんの。夢は寝ているからこそ見れるわけであって、起きて見る白昼夢はホスピタルにGO案件ですよ。いい加減、現実を受け入れよう。他人なんてのはそもそもDNAが違う。別の個体。生まれも育ちも、セロリが好きかもわからんし、アレルギーかもしれない。そんな他人と一緒に暮らすってことが、いかにして苦行なのか。そんなもん、坊主の智慧を借りるまでもないでしょうに。まったく別の個体なの!それに対して理想を押し付けるのはやめろ。それを今すぐ捨てられないのなら、ローン組んでロボフォンとでもおしゃべりしてなさい。
何が言いたいのかってーと、結局のところ、恋愛初期にポーっとして「この人は運命の人よ!」なんてのぼせ上っているのは、脳の化学物質がそれをさせているだけであって、本来であれば他人と同じ屋根の下で障害をともにする(あえてこう書くが)ということって、かなーりクールに、劇的に自分を冷まして考えないと駄目っちゅうことなんです。で、それと、これを至上命題にしてほしいのですが、自分を一番に思ってください。あなたが一番。山崎一番。田中も。いやほんとうにまじでコレ。相手が優先とかやってると、そんな生まれつき聖母あるいはメシアのように高潔でやんごとない霊験あらたかで神聖性のある誉れ高き人間じゃない限りは、かならずどこかで、破綻する。無理して行う善意っていうのは、自己破産のない借金みたいなもん。これ、返しきれなかったら、死ぬ直前に「なんでこんな人生歩んじゃったかな」という、身もふたもないフィナーレで清算することになっからね。こんなこと経験するくらいなら、いっそ、自分の好きなことして、おおいに笑って、楽しんで、一人死んでいくほうがずっと美しいしカッコいい。少なくとも俺は花を添えに行く。
結局は恋する自分に恋しているパッティーヌ
「なんとでも言うがいいわ、私のこの気持ちは本物。いくら無理する恋とはいえ、この気持ちは抑えられない。リミテットブレイク」とか思っているあなたなんですけれども、これはですね、十中八九が「恋する自分に恋してる」状態です。これについては、対象が誰であろうと無関係です。何なら、ダンゴムシ相手でもOKです。結局は自分によっちゃってる。本当に、相手の幸せ、考えていますか?相手にとって、なにが幸せなのか。それを推し量る精神を持ちえないのであれば、色眼鏡を外して、本気で相手に聞いてみたらいいですよ。「あなたにとって、何が幸せなのですか?」と。そうしたら、本当にその場で本心を打ち明けていいんだ!という確信が得られた相手なら、割と高確率で「今すぐ別れたい」って言うと思うの。だって、あいては、自分をダシにして自分に恋しちゃうただのナルシストなわけですから。こんなのに、一度しかない人生を棒に振りたくはないでしょ?なもんですから、現在、恋してペロンペロンに酔っぱらっている方は、自分の胸に手を当てて考えてみてください。本当にそれ、相手にとっての幸せですか?それとも自己陶酔しているだけですか?後者であれば、早いとこ開放してあげてください。
まぁ、あれだ、世間の大半は、自己陶酔できる相手を縛り付けて、半永久的に酔っぱらいながら、割と年を食っていって、そんで気づかないうちに鬼籍に入っちまうんだろうなぁ。知らぬが仏。夢を見ながら人生の幕引きってのは、当人にとってみりゃ、いいことしか、ないわな。
あれ!?気づかぬうちに3,000文字も与太話してた。