羆の人生記

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「クリぼっち」がネガティブじゃない時代の到来

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クリぼっちとはクリスマスを1人で過ごす事を表現した用語です。

「クリぼっち」の意味は? - キーワードノート

僕も長らくクリぼっちやってますけど、どうも最近は「クリぼっち」を後ろ向きに捉える風潮が静まり、むしろ前向きに捉えつつあるような気がするのは僕だけでしょうか?

「クリぼっち」でGoogle検索してみると

  1. 「クリぼっち」を寂しいと思わない人は約7割! 理由は「クリスマスだからといって普段と変わらないから」 | Pouch[ポーチ]
  2. 今年も「クリぼっち商戦」がアツい!聖夜におひとりさまを楽しむ方法 - エキサイトニュース(1/2)
  3. クリぼっちまとめ クリスマス シングル女子はどう過ごす? | ウーマンエキサイト

上から順にこのような記事が躍る。

「寂しいと思わない」という直球、市場と結び付けたもの、「どう過ごす?」という前向きなもの。

どれもポジティブな反応に見えなくもないですね。

僕はてっきり「今年もクリぼっちでおわたwww」とかいう5ちゃんの見出しが躍るかと(それはそれでどうかと思いますけど)。

 

10年前を考えてみる

もう少し、いや気持ちの問題なのかもしれないけれど、「クリスマスに恋人がいない」は悲劇として面白おかしく(時に切なく)世間で扱われていたし、僕の身の回りでもクリぼっちを揶揄する声は少なくなかった。

しかし、今年はどうだい。彼氏彼女がいる人はまぁ当たり前のように街を闊歩するとして、それ以外の単独者も哀愁のようなものを感じさせず己の道を確かに歩んでいる(ように見える)。 

 

一人の時代到来か

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これ、当サイトの雀の涙なアクセスの中からGoogle検索のTOPを獲得した記事なんですけどね。見事に「一人が好き」が王座についているんですよ。それだけ「一人が好き」で検索する人が多いってことです。

今の時代、「一人が好き」な人がいっぱいいて、いや今までそう感じていたけど一人が好きなんて誰かの前で言おうものなら異端扱いされてつま弾きにされるから言えなかったけど、世間が認めざるを得ないくらいに一人で過ごすことが当たり前の風潮になってきたんちゃうかな?

いやー「時代到来か」なんて見出しつけましたけど、独身者、未婚者、離婚による単身者が右肩上がりに増え続けてこれから先もまだまだ増えるという統計を見る限り、もうとっくの前に始まっていたのかもわからんね。

んで、市場はこれまで「まだ一人でクリスマス過ごしてるの?恥ずかしくない?」とか臆面もなく単独者を煽りに煽ってきたけど、ついに一人で過ごすことに無我の境地を切り開いた人が増殖した現実を前に利益をむさぼることが出来なくなって、それで仕方なく(必然的に)単身者にターゲットを絞ったマーケティングをしかけてきてるんじゃないかと推察する。

 

一人好きには過ごしやすい時代である

市場の下心がどうこう勘ぐるとカルマが溜まりそうなので前向きに解釈すると現代は「一人好きには過ごしやすい時代である」ということ。まさに僕みたいな人がストレスをためずに過ごせる時代。僕らの時代が来たよっ!って大声で言いたくなるような。

以前みたいに休日の過ごし方を聞かれて「一人で本読んでます」って答えると、えー友達と遊ばないの?いい若いもんが恋人の一人もいないんかーみたいな余計なお世話をされにくい時代になっている☆

けどこれ地域差もあるかもわからんね。北海道民は他人にあまり興味がない傾向がある。内地(北海道では東京(本州)のことをこう呼ぶんよ)は家柄だとかそういうのにも厳しいし、やっぱり単独者には過ごしにくい場所なんだろうか。どうなんでしょう、メトロポリタン住みの皆さん、単独者への風当たりはそちらでは厳しいでしょうか?

こちらはすでに-10℃の極寒ブリザードが吹き荒れてますけど、単身者(クリぼっち)には穏やかな風が吹いています。こういう時は、土地柄に救われた部分も大きいなって北の大地に感謝できる。

 

「クリぼっちなんてキニスンナ」というマウントについて

僕が例えば記事タイトルを「クリぼっちなんてキニスンナ」と書いてしまえば、それはマウントになるでしょう。何故ならばいかに×2とはいえ少なくとも2人の恋人とは熱いクリスマスを過ごしたことがある(経験がある)からです。それを振りかざして「キニスンナ」はさすがに無理がある。

でも、本当は言いたい。「クリぼっちキニスンナ」早く言いたい。理想は他人と比べない幸せなんですよね。けど、伝統的にこの国は幸せの判断基準を周囲との差に求める傾向がある。さらに大きいのはやはり経験値なのでしょう。

かつて童貞を酒の肴にされて深く傷ついた経験を思い返して見ると、そんなもんは捨ててしまえばなんていうことはなかった。ただ、「捨ててしまえば」の話なのである。得ていないものは想像だにできない。つまりクリスマスを恋人と熱く過ごしたことのないものにとって、それは「幻の秘宝」みたいなもんで、心の中では永遠に輝き続けるんですわ。童貞にとってのSEXが果てしなく煌めくのと一緒。

常人離れした人はそんなもの経験せずとも不必要だと悟って解脱できます。しかし、それはあくまでも常人を離れているからこそ成せる芸当であり、一般庶民の我々にはクリぼっちを前向きなものに昇華させるための唯一絶対の方法は「いちど経験してみること」以外にないのではないかと。

残酷な事実を伝えているのかもしれません。これも一種のマウントでしょう。でも、これ事実なんですよね。結婚もそうですよ。僕が現時点で「結婚なんてしなくても良いじゃん別にさぁ」って言えるのは間違いなく自分の経験値からくるものです。

とどのつまり「一歩を踏み出してみる」ことこそが、周囲と比べたりメディアに煽られて辟易している人を救う唯一の解決策なのかもしれません。数多の自己啓発書に踊る、未知の経験をせよというのはあながち的外れではないってことです。自分が振られるのが怖くて、気になる人に想いを伝えられない人。これは自尊心という殻を打ち破れない現状を表しています。戸籍に×をつけたくないから結婚に踏み切れない人。これも自分というブランドに傷がつくことを恐れる自尊心の防衛です。失敗が怖いのです。カミングアウトするにせよ、結婚するにせよ、その先に絶対的な幸せを求めるという不合理な心理が、あなたの一歩を阻害しているようにも思えます。何事も経験。経験してみなければわからない。経験してみて初めて悟れることもいっぱいある、ということです。

なーんて書いて本当は病的な性格の相手でも惚れ込んで結婚し、ミイラになるまで搾り取られる人を見るのが忍びないので軽はずみな結婚は否定派なんですけどね。でも、経験は大事だし。うーん、ここらへんは微妙。でも、ずっと自分を守ってたらいつまでたっても経験したことのない「結婚」に見た目以上の夢を見続ける人生が続いてしまいますよ。どっかで決断することも必要なんじゃないでしょーか。失敗したって、その先は続くし。何よりあなたには「結婚に失敗した」という未婚者には経験しえない珠玉の知恵が付くわけですからねぇ。

あ!そうそう、クリぼっちの話ね。いつから結婚の話になったんだろう。まぁいいや。とりあえずクリぼっちってのは最近では当たり前になり過ぎてもはやネガティブワードでもなんでもなくなってんじゃないの?ってことと、クリぼっちの輪廻に悩み苦しんでいる人はいちど経験するために自分の自尊心の殻を思いっきりぶち破るくらいの冒険はしてみても良いんじゃない?ってことを言いたかったのです。はい。

 

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