僕が入社したのは十数年前。その頃は歓迎会に送別会、忘年会に新年会はもとより、やれ花見だ麻雀だボウリングだ球技大会だのと行事が満載でした。
しかし、今では先に述べた4行事があるくらいで、昨今は減少しているなぁと。これについて思うことを書きます。
時代の流れ?
「時代の流れかね」と中堅~ベテランは言います。それについて異を唱える人がいないので、みなだいたいはこの「時代の流れ」で納得しているのかなと。
「時代の流れ」ってどこか漠然としてきっちりとらえきれないところがありますけど、でもなんとなーく、理解できます。個人主義、とでも言いましょうか、みなそれぞれに好きなことをする。お互いに干渉しない。人と人との摩擦を最小限にして、ストレスフリーで。こんな世の中です。
ところで、虚礼廃止(きょれいはいし)って言葉、ご存知ですか?
形だけで心のこもっていない、意味のない儀礼はやめる、という意味の表現。年賀状や、贈賄に繋がる政治家への中元などについて言う場合が多い。
引用先では年賀状・中元について言うことが多いと述べていますが、個人的にはあながちこの「虚礼廃止」の波を職場行事が受けていないとも限らないのではと見ています。
「形だけで」「心がこもってない」「意味のない」
なかなか痛切なワードが並びますが、職場行事に参加する者の過半がこのような感情を抱いているとすれば、その行事はもはや「虚礼」 にしかならないのかなと。
本来は親睦を深めるため、人間関係を円滑にして業務をスムーズにするための行事。しかし、ふたを開けてみると上司・先輩からのマウンティングがあったり、若手の労務的な割合が多かったり、酒の席では狂う人に悩まされたりといった事例に枚挙にいとまなし、といった状況です。(あくまでも僕の観測範囲では、です。しかし、他部署の宴会でもそういう話は良く聞きます)
「虚礼」の心を持った人間が徐々に増えてくるにつれ、行事をやっていても盛り上がらずに「次どうする」「うーん、適当でいいんじゃない?」という、力の入っていない動き出しになったり、行事そのものが陳腐化、参加者が減少してついには
「もう止めたら?」
という決定的なワードがどこからともなく飛び出してそれが燎原の火のごとくみなの意識に浸透して、その行事は消滅するのです。
個人的には歓迎だが・・・
僕は「ひとりが好き」人間です。
その想いは上記エントリーで思う存分書きなぐってますので、お時間のある方はご一読を願います。
さらに、職場の宴会も止めちまえ派です。
先述に同じ。
だもんですから、職場外の行事・人付き合いが減ることは単純に賛成。なんで若者がこんなに苦労しなきゃいけないのよ、体育会系死すべし。
・・・なんですけど、歳を重ねた影響もあるのでしょうか、人付き合いを真っ向から否定するのは、いかがなものかなぁなんて考え始めちゃってるのです。30代も半ばにさしかかった頃からでしょうか。
我々は、一人では生きていけません。誰の力も借りてない、なんて強がっても、実際に一人でなんて生きてない。いつも、誰かの力を借りている。口にする食べ物だって、生産者がいて、販売業者がいるからこそ徒歩数分の場所でそれが手に入るわけです。
会社勤めはサラリーをもらっていますし、個人事業主だって顧客がいるから収入がある。食い扶持の金銭だって、誰かがいるから回ってくる。
結局、人と関わらずには生きていけない。社会的な生き物なのです。だとすれば、ですよ。自分の命を繋いでいる他者との関りを疎かにする、ということは命そのものを疎かにすることにも通じるのではないかと。これは良くない。こう考えるわけです。
「ひとりが好き」なことは否定しません。むしろ肯定することで、随分と生きやすくなったものです。無理をして誰かと一緒にいる必要はない。けど、他者との縁まで否定するのは、お門違いなのかなと。そこはむしろ大事にすべき。ただ、自分に鞭打って心身を擦り減らしてまで求めるものではないし維持すべきものでもない。自分の生活の範囲での縁を大切にする。これくらいの感覚でいいのかなって。
話は戻りますが、職場の行事を通じて人間関係に何らかの前向きな力が生じることがあるのなら、全てを全て無くしてそれでOK、とは思えないんです。行事での付き合いも、やっぱり縁。自分が擦り減らない範囲でなら、残すものは残しておくべきじゃないかなぁ。
職場の人間関係って微妙なんだよね
人との縁は幸福度にも影響する、という研究結果があるそうです。だから、余計に、他者との関りの寸断を奨励すべきではない。これはわかります。
けど、職場の人間関係って微妙なんですよ。
仕事って、食い扶持(金銭)を稼ぐために、基本は行くわけじゃないですか。もちろん、人生を助ける大きな要素として機能することも否定はしませんが。けど、基本ですよ。やっぱり、給料がメインになる。
給料をもらう、この目的のために集まった集団です。同じ趣味趣向を共有するような集団ではない。だから、人付き合いも割り切ったものになりがちです。同僚の中には気が合う人もいるかもしれない。けど、前提として「気が合うから集まっている」のではなく「仕事として集まった結果、たまたま気が合うから仲良くなる」わけで、数はそんなに多くならないでしょう。
結局、親睦だなんだと謳っても虚礼的な行事にしかならないんじゃないかなって。その行事を盛り上げることがひいては組織の活性化に繋がるから尽力しよう、なんて人は稀有ですからね。みんな、プライベートな時間を割くのであれば、楽しくなければそこに合理性を見いだせなくなる。
給料をもらうために集まった集団である。これは前提に置いてしかるべきだと思います。それこそ、時代の流れ。もう会社がファミリーだなんて、若い人には一切通じない。それを踏まえたうえで今後の職場外での行事・人付き合いについては開催の是非も含めて検討すていくべきじゃないかな。
・・・と、なれば、やっぱり「開催しない」が妥当になっちゃうというね(´・ω・`)
いや、まぁ、それでも良いんだけれど。
もしやるとすれば、職場の立場というのを忘れて、気遣いなしマウンティングなしの気楽な参加ができるものじゃないと、駄目だろうなぁ。
え、そんなの実現できるかって?
うちの会社では、現状では無理かな・・・あはは・・・